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西洋近代と日本語人 第2期[番外編2の37]


5.近代(modern)と脱近代(postmodern)

5.2 観念説(続き)

はじめに

1514. 前回は、デカルトの第一の神の存在証明の論理を紹介しました。これは、考える私の心の中に神の観念があることを根拠として、神が心の外に実在することを論証する、という形式をとっています。論証のかなめは、考える私の心の中に神の観念が確かにあるが、その観念の表現している無限の実体を、考える私が丸ごと把握することはできない、という不均衡にあります。

1515. 人間は無限(infinity)をある程度まで理解できる。だが、それを丸ごと全体としてとらえることはできない*。神・無限・絶対は、理解を超えて広がっている。この、多少は分かっても全体は把握できない、という感じが、自分の理解の及ばない実在が自分の外部にあることを告知するわけです。このことにからんで、二つ補足したいことがあります。

注*: デカルトは、このことを“intelligō(理解する、understand)”という動詞と、“comprehendō(把握する、comprehend)”という動詞の使い分けで示しています。

1516. 第一は、ある程度わかるが全部はとらえられないという不均衡に着目して外的な実在を推認する方式は、人類がほとんど無意識に使っているものだ、ということ。その意味で、デカルトによる神の第一の存在証明は、人間の自然な認識の傾向に根拠をもつものです。

1517. 第二は、この推認の方式は絶対的存在(それ自体で存在するもの)を示唆する――だからこそ神の存在証明になる――のですが、絶対をあえて考えない傾向のある日本の伝統的な思考習慣では、この絶対の示唆はどのように処理されたのか、という問題。
 以上の二つはいずれも大きな問題です。詳細は措いて、大づかみな補足を試みます。

第一の問題 ―― 内在から超越へ

1518. 上に述べたように、神の観念が心の中にある場合、人はその観念が表現しているものをある程度までは理解していることになります。だが、その観念が表現している無限の実体は、人の理解を超えている。それなのに心の中にその観念があるのは、その観念の原型が心の外に実在するからだ。デカルトの第一の神の存在証明は、大略、こういう論法です。

1519. この、内在的な表象を手がかりとして超越的な実在にいたる論法は、それこそ悪い意味で〝神学談義〟であり、ひどく人工的な立論に見えるかもしれません。しかし、私たち人間はこの考え方をほとんど意識しないで日常的に使っています。先に、「キン(金)」という語を例にして、認識において〝絶対〟が姿を現す場面を説明しました(番外編2の14:567-575)。その場面の構造は、内在から超越にいたる論法と同じ形式になっています。

1520. 「キン」と呼ばれる物質は、非常に目立つ山吹色をしていて、比重は重く、極薄の箔にでき(展性に富む)、糸のように細い線にできる(延性に富む)という特徴をもっています。この場合、語「キン」は、特有の色、重さ、展性に富む、延性に富む、という4つの属性をしかるべく備えている物質の名前、として定義されます。語「キン」の意味(話し手がその言葉で言いたいこと)は、この4つの属性から成っている。

1521. ところが、ある人が、「キン」と呼ばれるその物質は塩酸と硫酸の混合液(王水)に溶けることを発見する。すると、ごく自然に、「キン」の定義は、上記の4つの属性に加えて、王水に溶ける、を追加した5つの属性で定義されることになる。語「キン」の定義が変わるのです。どういうことか。

1522. 語「キン」の表す物質の〝観念〟は、人々の心の中にあった。それは、「キンとは、特有の山吹色をして、かなり重く、展性、延性に富む物質だ」という観念だった。人々は、しかし、自分たちがその物質のすべての属性を把握してはいないことを暗黙のうちにわかっていた。だから、「キン」と呼ばれる物質に新しい属性が発見されたとき、自分たちの理解の及ばなかった実在の一端が新たに知られるようになった、と考えた。見知っているものの見知らぬ側面が姿を現してきたわけです。

1523. こういう場合、人々は、語「キン」の定義(意味、観念)を改定して、同じ物質を指し続けるようにする。こうすることによって、「キン」という名前は、その物質そのものに貼り付けた印しとして機能し、観念を超えた実在を指し示すはたらきをもちます。

1524. 新たな属性が出現してくるとき、人々は自分のそれまでの理解を超えるものの出現を感じ取ります。その〝もの〟は、経験される変化の背後にあって、人間の認識から独立にそれ自体で存在する絶対的なものであって、その全貌は把握できない。人間は、変化に接したとき、自然にこう考える傾向があります。自分の観念を超えるものが、同一性を保った一定のあり方で外界に実在していると考えるから、〝同一のものの新しい属性〟が発見できるのです。仮に、今まで知られていなかった特徴が見つかるたびごとに、次々に別の名前で呼ぶようにしていたら、事物についての知識は蓄積できなかったでしょう。人間の認識とは独立にそれ自体で存在しているものは、普通の言葉遣いでは、自然界の物体や物質ですが、哲学用語では、実体(substance)や物自体(thing-in-itself)などと呼ばれます。

1525. 人間が観念と言語を持ち、事物を分類し、世界を認識し、知識を蓄積していくかぎり、自分たちの心の中の観念を超えたもの(実体)が外なる世界に実在することは、暗黙のうちに前提されます。この意味で、デカルトの第一の神の存在証明は、スコラ哲学的な言葉の綾にたよる部分が目に付くとはいえ、根本的な洞察においては、人間の自然な認識の論理に基礎を置く健全なものだと考えられます。

第二の問題――絶対との接触の管理

1526. 人は環境に働きかけ、〝同一のものの新しい属性〟を発見し、そうやって知識を増やしていきます。このかぎりで、いつの時代のどんな社会でも、人間は、観念から独立に存在している絶対的な実在と接触していることになります。

1527. 「キン」の例では、接触の対象となる実体は自然の事物です。デカルトのように、接触の対象を神 God に置き換えても、実体の存在証明は同じやり方で――既知のものにおける未知の側面の出現は人間の理解を超える何らかの実在を告知する、という論法で――成立します。ただし、証明されるのは、人々の観念から独立していて、観念の変更をせまる〝何ものか〟の存在だけです。デカルトの信ずるユダヤ-キリスト教的な神の存在、即ち永遠で、無限で、全知かつ全能で、自己以外のいっさいのものの創造者である神の存在が、証明されるわけではありません。

1528. 絶対とまったくかかわりがない、つまり絶対の〝ない〟文明というものはありえない、絶対を〝あえて考えない〟文明がありうるだけだ、と前々回述べました(番外編2の35:1442)。そして、本居宣長の認識論を手がかりにして、日本語が作り上げた文明はそういうものであるように見える、とも言いました(同上1443-1446)。すると、絶対を〝あえて考えない〟文明において、絶対との接触はどのように管理されたのか、ということが疑問になります。

1529. 新井白石(1657-1725:明暦3~享保10)の『西洋紀聞』の一節が、この疑問に答えてくれます。白石は、宝永5年(1708年)8月に屋久島に現れたイタリア人宣教師シドッチ(Giovanni Battista Sidotti, 1668-1714)を、翌年、宝永6年(1709年)の11月と12月に4回にわたって尋問します。『西洋紀聞』は、そのやり取りの内容とその数年後のシドッチの獄死に至る事情を後年に記したものです。キリシタン禁令下では内容が公けにされることはなく、初めて刊行されたのは明治15年(1882年)でした*。

注*: 新井白石 著、宮崎道生 校注『新訂 西洋紀聞』(東洋文庫113)平凡社1968、及び、新井白石 原著、大岡勝義・飯盛宏 訳『〈原本現代語訳〉61 西洋紀聞』(教育社新書)教育社1980、の解説等による。以下の引用等では、それぞれ「東洋文庫版」「教育社版」と表記し、参照ページを付記します。

1530. 『西洋紀聞』は上中下の三巻に分かれます。下巻に、白石のいろいろな問いへのシドッチの答えが記され、さらに白石が執筆時に加えた考察が述べられています。なお、上巻はシドッチの尋問から彼の獄死に至る事件全体の経緯を記し、中巻はヨーロッパとアジアの地理や歴史についてシドッチが語った内容を記します。

1531. あるとき白石は、日本は東方の小国でありキリスト教を禁じてもいるのに、今さらなぜ当地へ来たのか、と尋ねます(東洋文庫版 p.77、教育社版 p.172)。シドッチは、まず、国を論ずるとき国土の大小や遠近は問題にならないと言い、キリスト教の禁止はオランダ人の讒言で暴君秀吉が決めたことに過ぎないと指摘します。そして、人が国を混乱に陥れるのは、その人の信じている教えのせいではなく、その人の人柄のせいなのだと述べ、だからキリスト教への禁止を解くことを請うために当地へ来た、と答えます。

1532. これに対して白石が加えた考察は次のようなものです。国を論ずるのに国土の大小遠近を問わないというのは卓見のように思われる。また国を混乱に陥れるのは、教えではなく、人柄なのだ、というのも理があるように見える。まずは、こう評価します。しかるに、そのキリスト教の教えがどういうものかというと、天主を創造主とし、これを大君大父とするものである。シドッチは、父を愛さず、君を敬わないのは不孝不忠なのだから、大君大父である天主を愛し敬わないということがあるはずはない、と主張している。キリスト教の教えをこう要約した後で、白石の考察が展開されます。ちょっと長いのですが、現代語での要約に引用をまじえて述べます。

1533. 『礼記』には、天子には上帝(天)に仕える礼があるので、諸侯以下のものは、あえて天を祀ることはしない。身分の上下関係を乱してはならないからである。臣下は君主を天とみなし、子は父を天とみなし、妻は夫を天とみなす。だから、君に忠であれば、臣下は天に仕えていることになる。父に孝であれば、子は天に仕えていることになる。夫に義であれば、妻は天に仕えていることになる。

「三綱の常を除くの外、また天につかふる道はあらず*」(東洋文庫版p.79)

もし我が君のほかに大君があり、我が父のほかに大父があって、尊さにおいて我が君、我が父の及ぶところではないとしたら、家に二尊、国に二君あるというだけのことでは済まない。君をないがしろにし、父をないがしろにすることが、これより大きいことはないだろう。たとえその教えそのものが、父をないがしろにし、君をないがしろにすることではないとしても、その教えがもたらす弊害は、極端な場合、君を殺し、父を殺すことになっても、気にかけないといったものになるだろう。(東洋文庫版 p.79、教育社新書版 p.176)

注*: 「三綱さんこう」は、社会の根本となる三つの大綱の意で、君臣・父子・夫婦の道。したがって引用は、「君臣・父子・夫婦の関係の正しいあり方以外には、天に仕える道はない」ということ。

1534. 白石の主張は明快です。まず「天主」はキリスト教の神 God を言い、「天」は、それをなじみのある漢語で置き換えたのでしょう。人間を超える絶対的な存在を一般的に表すと考えてよい。すると、白石の見解では、天即ち絶対的な存在と直接交流するのは、集団の最上位の者のみでなければならない。集団のその他の構成員は、最上位の者に服従することで、絶対的な存在に従う。集団の構成員が、それぞれ勝手に絶対的存在と接触することは、集団内の身分秩序を乱すことにつながる。君臣・父子・夫婦の身分秩序を守る以外に、絶対的な存在に従う正しい方法はない。「三綱の常を除くの外、また天につかふる道はあらず」とは、言いも言ったりという印象です。

1535. 天は、定義によって地上の権威に優越します。各人がみずから天と直接交わり、天に従って生きるとすると、地上の権威が天と対立した場合には、人は天に従い、権威に抗うことになる。たとえ天の教えが地上の権威を倒せというものではないとしても、結局は父殺し、王殺しに行き着く。白石は、各人がみずから絶対と結びつくのを許容することが、最終的には現行の秩序の転覆をもたらしうることを正確に予測していました。

1536. したがって、各人がそれぞれ自由に天と接触するのは抑制しなければならない。抑制の手法は、上で明らかなように、人々を身分の上下関係に従わせることです。上の者が天に従い、各人は上の者に従うことで、社会全体として天に従いつつ、社会秩序の転覆は避けることができる。人々は、天との結びつきを上位者に一任することによって、絶対を意識せずに、言いかえれば、未知なるものの出現に脅かされずに、既知の範囲で秩序ある整った生活を送ることが可能になる。絶対を〝あえて考えない〟文明は、このように身分差別の制度化によって支えられます。

丸山眞男の「抑圧の移譲」論

1537. 上の者のみが天に従い、下の者は上の者に従う仕組みは、丸山眞男が「抑圧の移譲」と名づけた戦前期日本の社会秩序と同じものです。日本の軍隊や官僚機構では、天皇という究極的価値に近いものが上位を占めて、下位を支配した。この構造について、丸山はこう言っています。

「自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の移譲による精神的均衡の保持とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行くことによって全体のバランスが維持されている体系である。これこそ近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな「遺産」の一つということが出来よう。」(丸山眞男「超国家主義の論理と心理」『増補版 現代政治の思想と行動』未来社1964所収、p.25)

ここで「自由なる主体的意識」と言われているものは、何をすべきか判断する自分なりの考えといったものでしょう。各人が自分なりの考えを心の中に持たず、上位者の命令でものごとを行なう。そうやって上からの圧力で行動する者は、こんどは下の者に同じ圧力をかけることでその抑圧を譲り渡す。こうして全体のバランスが維持される。これが近代日本における封建社会の「遺産」である。丸山はこう言っています。

1538. 丸山のいう抑圧の移譲は、上から下への価値観の強制です。この上から下への強制は、究極的価値(即ち、天)と接触する権利の〝下から上へ〟の上納を前提します。下位の者が自分なりの考え(「自由な主体的意識」)で行動したら、この体系は成り立たないからです。天への接近の権利を上に譲り渡すと、究極的価値(とされるもの)が上位者から下げ渡される。自分はそれを自分以下に下げ渡す。この仕組みは、戦前期だけでなく、現在でも日本社会の随所に見られると思います。

1539. 上で述べたように、この仕組みの根幹にあるのは身分差別です。身分差別に慣れきって、この社会の住人が身分差別を自然そのものの秩序であると思い込むようになれば、その社会が身分差別によって絶対との接触を管理し抑制している事実は忘れられてしまうでしょう。住人には、その社会が絶対を〝あえて考えない〟ように仕向けている事実が見えなくなる。こうして、事実上、絶対の〝ない〟文明、正確には、自分たちが絶対を考えないようにしていることに住人が気づかない文明、が出現すると考えられます。

1540. これまでのところ、絶対のない文明を特徴づけるものとして、本居宣長の審美的な認識論を取り上げて来ました。宣長的な認識論は、対象に感動することと、対象の本質を認識することを同一視します。「あはれ」と感じることは、「あはれなるもの」の全き把握であり、感動を通じて対象は余すところなく把握される。感動を超える異形の本質が姿を現すことは想定されておらず、その意味で、絶対をかいま見る体験は生じない。宣長の審美的認識論は、単純化すればこのようなものです。

1541. 今回あらたに、絶対のない文明を特徴づけるものとして、身分差別による絶対との接触の抑制という社会的な仕組みを見出しました。本居宣長も、「玉くしげ」で古道を論じたとき、今の世に定められた掟を謹んで守り、「おのわたくしのかしこだての、異なる行ひ」(「玉くしげ」193頁*)を行なったりしてはならないと説きました(番外編2の13:534 & 535)。

注*: 引用は、野口武彦(編注)『宣長選集』筑摩書房 1986。

1542. 審美的な認識論と、身分差別による絶対との接触の抑制は、前者が個々の認識主体における制約であり、後者は社会構造における制約であって、作用の場面が異なります。しかし、両者には何か本質的なつながりがあるのかもしれません。今のところ、つながりが有るか無いかも含めて不明ですが、これは今後の宿題とします。

西洋近代における絶対と個人

1543. 身分差別は、およそどんな社会にもあるはずです。身分差別が絶対との接触を抑制する効果を持つことも、容易に想像できます。西洋近代を特徴づけるのは、身分差別の不在ではなくて、身分差別を乗り越えて、個人が絶対と接触する権利を主張する思想や運動があったことです。

1544. 近代初期にドイツや英国で宗教改革と市民革命を引き起こしたのは、まさに、個人が自由に絶対と接することによって、現行の地上の権威を否定するというメカニズムでした。ルター(1483-1546)は、「私たちはみな司祭であり、…(中略)…信仰において何が正しく何が間違っているのか、吟味し判断する力を持つ」*と語り、平の信徒が、聖職者の仲立ちを排して、じかに神と交流することができると主張しました(番外編2の31:1248)。この姿勢が宗教改革という革命運動をもたらします。

注*: ルター「キリスト教界の改善についてドイツ国民のキリスト教貴族に訴える」、松田智雄(編)『世界の名著 ルター』所収p.94より。

1545. イングランドのピューリタン、ウィリアム・エイムズ(William Ames, 1576-1633)は、「人の良心は、その人に対する神の判断に従って、その人自身が自分に下す判断である」と述べています。自己意識としての良心は、成り立ちからして、神の意志と同じであり、いかなる地上の権力もこれに優越しないと明言しました*。この姿勢は、英国においてピューリタン革命(ca.1641‐1660)から名誉革命(1689)にいたる長期の革命運動をもたらしました。

注*: J. B. Schneewind, The Invention of Autonomy: A History of Modern Moral Philosophy, Cambridge University Press, 1998, p.93 より。(邦訳ジェローム・B・シュナイウィンド『自律の創生――近代道徳哲学史』田中秀夫完訳、逸見修二訳、法政大学出版局。新刊価格1万3千円! とても買えないので、手元になく、引用の該当頁は不明です。)

1546. デカルトの哲学も、個人は心の内なる観念から出発して神を見いだすことができ、神の存在証明によって新しい自然哲学を基礎づけることができると主張しました。これは、学問における革命(科学革命 the Scientific Revolution)を導きました。個人がそれぞれのやり方で絶対に接近することは正しい(right)、それは個人の権利(right)である、という考え方が、西洋近代を特徴づけています。

1547. 次回は6月22日に公開する予定です。イングランドの哲学者や自然学者たちは、個人が絶対に接近する道を、デカルトとは違うやり方で追求しました。彼らを取り上げる予定です。

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