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文章を書くことを書く

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沖縄には、詩が湧いている

沖縄には、詩が湧いている

2024年度になりました。締切などが落ち着いて、ようやく、ほうっと自分の時間を持てる季節になったなぁと思います。

趣味は文芸とピアノで、特にエッセイと小説を日々書いているのですが、2020年に沖縄に来てからは、もっと文芸に割く時間がほしくて、生活の中での優先度が変わるほど、色々書いてきたような気がします。

詩はたぶん、小学生の頃から書いていたけれど、一番大きなきっかけは高校3年生で、2か月ほど

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91歳のエッセイ

91歳のエッセイ

エッセイ教室に通っている。楽しくて、たまらない。ということを前にも書いたかもしれない。その教室の人びとから、大切なことに気づかせてもらっているので、書いておこうと思います。

エッセイ教室は、同じ先生がもう15年ほど続けているもの。そこでは一人ずつ、自分の書いたエッセイを音読していきます。先生が講評し、みなでそれを聞きます。

人の書いた文章を、一緒に読み、聞くということは、貴重な時間です。流し読

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手放しの年

手放しの年

二〇二二年、あけまして、おめでとうございます。もう一月四日になってしまいました。

さて、今年は色々あって、いくつか大きな変化があります。

①ケイスリー取締役を、退任します。
②新しい会社を、始めます。
③本を、出版します。

①はもうすでに起こったことで、②はもうすぐ起こることで、③は今年中に起こしたいこと。

全然手放せてないじゃん、むしろ一つ手放して、二つ手に入れようとしるじゃん、と思うか

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誰のために文章を書くのか〜コツコツと、訥々とでも、書く意味〜

誰のために文章を書くのか〜コツコツと、訥々とでも、書く意味〜

毎日文章を書くようにしていて、この文章は何のためで、誰のためなのかと考えることがあります。

今のところ、三つの意味があって書いているのだと思います。

一つは、自分のため。書くことは、自分が頭の中で考えていることを、文章にしようと試みることであり、自分の思考をクリアにしていくプロセスだと捉えています。なぜ人々に芸術文化が必要と思うのか、なぜ経済的価値以外に目を向ける必要があると思うのか。自分の曖

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ただ生きるように、ただ創る

ただ生きるように、ただ創る

文章を読むと、その人がわかる。小説でも、エッセイでも、詩でも。その人の息遣い、語り口だけでない、生い立ちや生きざまが浮き上がって揺らぎ立つように現れる。

だからそこには気持ちの良い文章も、気持ちの悪い文章もないと、私は思う。それぞれの個性であり、生き方であり、全ての実存であるように思う。本棚に並ぶ背表紙は、そのままそれぞれの作者の各時代のポートレートでもあるのだ。

音楽にも、同じことを思う。構

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一本の名作より百本の駄作

一本の名作より百本の駄作

金曜日に、近藤康太郎さんのオンライン講座に参加した。朝日新聞の名物記者であり、私の愛読書となっている「三行で撃つ」の著者だ。

著書の中でも学びが多いが、講座の中で、脳の奥底にこびりついた言葉がある。それは、「一つの名文を書こうとするより、百の駄文を書け」という言葉だ。

そうか、と思った。文章を書くのが遅々として進まない時は、単純に気負いすぎているのかもしれない。良いものを、誰かの勇気になるもの

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ペンは剣よりも強し

ペンは剣よりも強し

今から約二十年前、私が中学受験した時、トップ校と呼ばれる開成中学校の校章を知った。男子校なので私は受験できなかったけれど、その校章の意味を知って、憧れた。「ペンは剣よりも強し」のマークである。

この言葉は元々、19世紀のイギリスの作家・政治家のエドワード・ブルワー・リットンが”The pen is mightier than the sword”と使ったものだそうだ。

ペンは剣よりも強し。言論

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文章こわい

文章こわい

あぁ、文章を書くのが怖い。文章こわい、表現こわいである。昨日、通っている文章講座の先生が「表現しているつもりが、実は自分自身が表現されているもんなんですよ。文章ってそういうもんです」と言った。

うーん、これはよくわかる。音楽、舞踊、絵画。表現活動と呼ばれるものに関しては、なんでもそうだと思う。その人の考えること、生き様、何でもかんでも全て作品に浮き上がってくる。

例えば昔私が頑張っていたピアノ

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