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文章こわい

あぁ、文章を書くのが怖い。文章こわい、表現こわいである。昨日、通っている文章講座の先生が「表現しているつもりが、実は自分自身が表現されているもんなんですよ。文章ってそういうもんです」と言った。

うーん、これはよくわかる。音楽、舞踊、絵画。表現活動と呼ばれるものに関しては、なんでもそうだと思う。その人の考えること、生き様、何でもかんでも全て作品に浮き上がってくる。

例えば昔私が頑張っていたピアノコンクール。真摯に曲に向き合って弾いた時には「誠実で素晴らしい演奏」と評されたのに対し、賞を受賞した経験から調子に乗っていた時の演奏では「技巧に走り、これ見よがし。心を打たない」と言われた。全部お見通しなのである。

ダンスを観に行けば、その人たちが何を考えているのか身体を通じてダイレクトに伝わってくる。不思議だけど、表現しているつもりでみんな、「表現されちゃっている」のだ。

冒頭に戻って、これは言語表現でも同じなのだと鋭い言葉で指摘された。おつむの程度、価値観、人生観、死生観……なんでも表れちゃってますよ、あなたの文章に、と。

どんなに真面目な文章を書こうとも、私が夜な夜なくだらないラブコメドラマを一気見したり、子育てにイライラして舌打ちしたり、読まねばならない文献そっちのけでSNSに耽っていたりすることが、おそらく全て読者にお見通しになっているのである。

はぁ、文章こわい。となってしまった。しかし書かずにはいられないから、そんな自分を隠しながらも曝け出して書くしかないのだと思う。そして、自分全てが表れるのだから、生きる時間の全てをかけて、文章に向き合っていくのだと思う。

そして、文章こわいってことは、やっぱり文章大好きってことなんだと思う。

読んだ方が、自分らしく生きる勇気を得られるよう、文章を書き続けます。 サポートいただければ、とても嬉しいです。 いただきましたサポートは、執筆活動、子どもたちへの芸術文化の機会提供、文化・環境保全の支援等に使わせていただきます。