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小説

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#読書感想文

『人魚とビスケット』 J・M・スコット

『人魚とビスケット』 J・M・スコット

開いた本のページから冒険の世界が、熱気を巻き起こしながら立ち上がり、読み手を引きずりこむ。そんなファンタジー映画のような現象を起こす小説だった。
ただしその冒険は輝くファンタジーからは程遠い、限界極限サバイバルである。

*****

冒頭は探偵小説のようだ。
人魚とは、ビスケットとは何者か。
語り手である作家が、その謎めいた新聞広告に興味を抱いて書き手とコンタクトを取り、ある過去の出来事を知るに

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『菓子祭』 吉行淳之介

『菓子祭』 吉行淳之介

夏の休日。
冷房の効いた快適な部屋で、たまには吉行淳之介でも、と短編集を手に取った。

*****

「煙突男」

『ヒトラー』というドキュメント映画を観に行く、麻田という男。
彼はヒトラー及びナチスに関心を持っているようだが、その関心は奇妙にねじれて、過去の日本で起きた二つの殺人事件の方により強い興味があるようにうかがわれる。

一つは阿部定事件、もう一つは、とある青酸カリ殺人事件だ。
二つの事

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『八月の母』 早見和真

『八月の母』 早見和真

越智美智子は、愛を知らない子供だった。
愛媛県伊予市。瀬戸内海の静かな海に面した小さな町。
ひたすら厳しいだけの父親が支配する、団欒もぬくもりもない家庭で美智子は育つ。

その父の死後、母親は男に頼って生活するようになるが、母が縋る男は美智子に劣情を向け、母は娘を守るどころか、嫉妬心を剥き出しにした。
そんな母の姿、男の卑しさを見続けた美智子は、愛や感情にほだされず、誰にも頼らずに生きていくことを

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『この人の閾』 保坂和志

『この人の閾』 保坂和志

久しぶりにこんな本が読みたいと思っていた。
力が抜けて気持ちがゆるくなる。
可もなく不可もない日曜日の午後のような小説だ。

お父さんはソファー寝そべってゴルフか競馬かNHKの紀行番組を見ている。中学生の娘は友達との約束もなく部屋にいる。一日中家にいるのもなんだから一緒に買い物に行かないかとお母さんが誘い、娘はどうしようかなと言っている。
そんな何でもない穏やかな時間。
ただそこに実は、誰も気がつ

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『時は老いをいそぐ』 アントニオ・タブッキ

『時は老いをいそぐ』 アントニオ・タブッキ

老いと人生の物語。
ひとつの生を生き、後ろに伸びる過去の道を振り返る時に、人は何を思うのか。
タブッキの作品は全てそうだが、この本も、何度も読んで、繰り返し読むことでゆっくりと吸収していきたい一冊だ。

*****

『亡者を食卓に』は、東ドイツの諜報部員だった男が、過去に囚われて生きる孤独な老人となり街を彷徨う物語。誰に打ち明けることもなく彼が心に抱えている秘密が苦い。
読み終わった時に自分の心

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『情事の終り』 グレアム・グリーン

『情事の終り』 グレアム・グリーン

第二次大戦直後の、まだ戦争の傷跡も生々しいロンドン。
「わたし」ことモーリスは、雨の降る街角で見知った男を見かけ、声を掛ける。
男は近所に住む高級官吏ヘンリ。実はモーリスは2年前まで、彼の妻サラァと不倫関係にあった。

久しぶりに会うヘンリは何やら悩んでいる様子。聞くと、サラァがどうやら外に男を作っているようだという。
サラァとの情事はもう終わったものとしていたモーリスだが、その話を聞くと俄然嫉妬

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『ホットミルク』 デボラ・レヴィ

『ホットミルク』 デボラ・レヴィ

塩気を含んだ暑く気だるい空気。
永遠に続くような午後の日差し。
子供が叫んだスペイン語が、風に乗って響く。
作品に満ちているそんな情緒にそぐわず、内容はシビアだ。

25歳のソフィーは、原因不明の脚の不調を抱える母に付き添い、病院のある南スペインに滞在している。
そこでソフィーは母を連れて病院に通い、空いた時間には海で泳ぎ、知り合ったドイツ人女性と恋に落ちる。

舞台は灼熱のビーチサイドなのだが、

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『はぐれんぼう』 青山七恵

『はぐれんぼう』 青山七恵

社会の片隅に追いやられがちな繊細さんがゆるりと自分探しなどをしていくお話か、と思いきや、予測を裏切るパンチの効いた冒険譚だ。

押しが弱く存在感も薄い主人公優子は、「あさりクリーニング」でアルバイトとして働いている。
職場ではおしゃべりで押しの強い先輩社員、馬宵さんの話相手になり、家では地味な自炊をしながら、淡々と過ごす毎日。

そんなある日優子は馬宵さんから、「はぐれんぼちゃん」たちを家に持ち帰

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『ウィトゲンシュタインの愛人』 デイヴィッド・マークソン

『ウィトゲンシュタインの愛人』 デイヴィッド・マークソン

謎めいた題名の本書は、一人の女性がタイプライターで書き綴る手記、という体裁の小説だ。
何が起きたのかは明かされないが、世界から人間と動物が消滅し、この女性は、唯一の生き残りのようである。

最初は他の生き残りを探し、やがて諦め、何年もただ一人世界中を移動しながら生きてきた彼女が、その孤独な移動生活や、事が起こるより前の生活について、と同時に、ランダムに頭の中に浮かんでくる様々な文化的知識を正誤ない

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『アサッテの人』 諏訪哲史

『アサッテの人』 諏訪哲史

読む者の感覚に働きかける奇妙な力を持つ、面白い小説だ。

何のことやら意味不明である。
意味不明なのにわけもなく惹かれてしまう。
そしてこの意味不明な文章を、本書を最後まで読んだ後で立ち戻って読むと、くっきりと意味が通ってくるのだから面白い。

語り手である「私」の叔父が、「万事心配無用」という葉書を残して失踪する。後始末のために叔父の住んでいた団地の部屋を訪れた「私」は、そこで叔父の日記を見つけ

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『インディアナ、インディアナ』 レアード・ハント

『インディアナ、インディアナ』 レアード・ハント

不思議な読み心地の小説だ。
人物の相関関係や物語の流れがなかなか掴めず、中盤までは読み進めるのがややしんどい。

何人かの人物が登場するのだが、彼らが何者なのか、どういう関係なのか、いまいちはっきりしないまま、幻覚や回想や手紙で構成されていく。読む者はそれらに書かれる断片的な情報から、彼らが何者なのかを想像しなければならない。
その作業がやっかいで挫折しないともかぎらないので、読む方がいたら手助け

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『奇跡の自転車』 ロン・マクラーティ

『奇跡の自転車』 ロン・マクラーティ

中年デブッチョの「ぼく」ことスミシー・アイド。
スミシーにはべサニーという美しい姉がいたが、ベサニーは精神を病み、長い間行方不明になっていた。
姉から「フック」という愛称で呼ばれていた少年時代のスミシーは、痩せて、川釣りと自転車を愛し、いつも走っていた。だが今の彼は、だらけた生活を送る巨漢の独身43歳だ。

そんなスミシーは、ある日突然、両親を事故で失ってしまう。
葬儀の後、スミシーは両親宛の郵便

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『壁の向こうへ続く道』 シャーリイ・ジャクスン

『壁の向こうへ続く道』 シャーリイ・ジャクスン

ごく平凡に見える世界が、近寄ってよく見てみたら、とんでもなく異常な世界だった。
そんな、「ほんとは怖い普通の世界」を描いて異彩を放つ、じんわりホラーの旗手シャーリイ・ジャクスンの長編小説。
長編小説、しかも群像劇ということで、シンプルな構成の短編小説が多いジャクスンにしては珍しいタイプの作品だ。

時は1930年台。カリフォルニア州郊外の小規模な住宅地が物語の舞台であり、そこに住む人々が登場人物で

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『彼女は頭が悪いから』 姫野カオルコ

『彼女は頭が悪いから』 姫野カオルコ

不快な読書である。
しかしガツンとくる読書である。
そしてこのガツンは貴重なガツンである。
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東大に通う大学生及び大学院生が、ある女子大生を痛飲させた上アパートに連れ込み、性的暴行を加えたとして逮捕起訴される。
その被害者・美咲と、加害者の一人・つばさを軸に、この事件に至るまでのそれぞれの過程が物語られる。

美咲は、どこにでもいるようなごく普通の女の子。
善良で庶民的で野心の

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