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映えないことが栄える世界を
映えない、盛らない、語らない。という私の中でSNSスター状態という投稿を見ると胸が熱くなる。やはり、笑えたり、人間味溢れる人々の姿をみるとHit。表面だけで、本当はみんなその本質が分かっている、だけど言わないってことだと思うので、改めて言う事でもないが、言う。
SNSは疲れる!
で、それ要るのかな?
会社員時代、よくイライラすることがあった。
それは、要らない前置きである。大体は親切で一から、背景から、歴史と偉大な先輩の功績から有難い説明をしてくれるのだが…ごめんよ、それは先には要らんよ。と思うことが多かった。多分だが、やんわりとこの巻でお願いしやす!願望を伝えても、そもそも相手はそれが分からないから、要らない前置きをしているのである。聞いてる様子で流す技術は鍛えられた。欲しい情報以外は興味
結局、どうやって肯定するか。
緊張したり、他人の目が気になると吐露したり検索したりすると、
自意識過剰と言う括りにされる事が多い。
が、自分に対する意識が過剰だと言うこと自体
悪いことだと私は思っていない。
過剰過ぎてなのか?恰好が良い自分でいたいから、恰好悪い自分を見せたくないから、羞恥心が邪魔をして行動できない。このループは嫌だけど、なかなか変われないのは、自分が好きだからに他ならないと思っている。
それに、長年その意
疲れたから、書いてみた。
脈略なく、ただ文章を書いてみようと思ったのだが、もう何十年とブログを書いていないことを思い出した。
以前書いたのは、思春期の真っ只中だった記憶がある。思春期という時期だったが、特におセンチな気持ちも、グレタさんみたいな(グレるにかけたつもりが…ちなみに、彼女は意思ある不満顔だが)こともなかった。昔から耳年増で、大体のどんより事にも、まあ、こんなこともあるよね〜と、過ごしていた頃だ。
その頃の内