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内閣校長先生?|エッセイ


小学校高学年の我が子が、モヤモヤしています。
『国会と内閣って何が違うの?』

ついつい、こう答えてモヤモヤを深めてしまうこと、ありませんか?
『国会が法律を作るところ、内閣が行政をするところ。』

『テレビで言い合いしてるのが、国会でしょ?』
 『そうね。』
『言い合いをすると法律ができるの?』

『行政って何をすることなの?』
『内閣って総理大臣のこと?』


活きた情報は乾いたスポンジのように吸収されます。
反面、発する側が本当に理解していない情報は、静電気を帯びた衣服のようにパチパチと弾かれます。

これは、きっと子ども相手に限ったことではないでしょう。
むしろ大人の場合、情報を聞く側と発する側の両方で、これを感じているのではないでしょうか。

だからこそ、子どもと同じ目線でしっかりと考えます。
どのように伝えれば良いのか。

やはり、吸収されやすいよう身近な事柄に落とし込むのが良さそうです。
活きた情報とは、実感を伴う情報ということですから。


今回、私は、論理的な完璧さよりも、実感を伴うことに重点を置き、以下のような事例で説明をしてみました。

  • 国会議員:別の学校の先生たち

  • 国会:月に何回か色々な学校の先生たちが研修に行くところ

  • 内閣:小学校の職員室

  • 総理大臣:校長先生

  • 行政:授業

  • テレビで見る国会:研修の風景

こうすると、思った以上に子供の実感を引き出せます。
行政という言葉がよく分からなくても、授業に置き換えれば、そこを出発点にして、想像が広がります。

教室が "〇年△組 省" になって、"職員室 内閣" から "担任先生 大臣" が来るのです。
内閣が、職員室という形で視覚的に、しかも身近に浮かび上がるのです。

先生たちが "研修 国会" で話し合って、"タブレットPCの使い方 法律" を決めて来るのです。

もちろん『国会はひとつなのに内閣は学校の数だけ有るの?』という鋭い質問で破綻する構成です。
我が子の場合は、その世界の大部分を通っている学校が占めている為か、破綻せずに済みました。
落とし込む身近な事例には、もっと良いものがあるのかも知れません。


上述のような子どもとの対話は問題点を共有する機会にもなります。
国会と内閣が習った通りの姿で動いているのかを、大人である私も、実はきちんと把握できていないのです。
批判や評論ではなく、把握できていないという事実を伝えることが我が子にとって大切に思えます。

念の為ですが、国会と内閣の姿を知る為の情報はきちんと公開されているはずです。
しかし、積極的に情報を取りに行き、時間をかけて読み解かなければ、きちんと把握できません。
事実というのは、私がそれをしない、ごく一般的な大人であるということです。


今回、我が子の疑問に向き合った結果、私も気づきを得ることができました。
私自身が、活きた情報をどれだけ持っているのか、政治とどのような係わりを持ちたいと思っているのか、などなど。

このような試みは、広く行うだけの価値があるのではないでしょうか。
子を持たない選択、子を持てない事情、それぞれですから、対象を我が子に限る必要もないでしょう。
大人から歩み寄って、地域の子どもたちと議論ができるならば、未来が明るくなるような気がします。

そんな明るい未来が、実は数十年も前に有ったらしいです。
でも、それはもう難しいでしょう。

大人が地域の子どもと接するには何らかの資格か安全証明が必要だと思います。
子を持つ親としての私はそう思います。

そして、そのようにしてしまったのは、私を含めた代々の大人です。
この事実も忘れずにおかなければなりません。

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