唯識で「あなただけ」になったとき、後は自分を消せばいい?!金森将「バタ足ノンデュアリティ」
⇧この記事には、前の記事があります。唯識の教えが頭のいい人でも理解できないことが、たとえば、看護師やってる頭のいい方でも、理解できないことが、実際に話してみてわかったので、ああ、伝わっていないんだなぁ・・・、っていうのが正直なところ(苦笑)。
唯識で「あなただけ」になったとき、後は自分を消せばいい?!金森将「バタ足ノンデュアリティ」
唯識で「あなただけ」になるでしょ。
自分の外に世界がなく、自分の深層心「阿頼耶識」がすべてアナタに夢を見させているのが、この世界だからだよね。
で、「あなただけ」になったあと、アナタが自分を消せば、ノンデュアリティの完成じゃん。
そうだね。アナタだけになったとき、アナタ自身を消せば、何もいない空虚な世界になるね。
それが本来的な、非二元=ノンデュアリティなんだ。
空虚な世界=本来的なノンデュアリティ。
そこには、苦しみもない。でも、逆に言えば空虚なんだよね。
なんか、怖いね。ノンデュアリティって。
ワンネス的な理解のほうが、ハッピーだよね。サムシング・グレートがいて、みんなは言わば、まじりあっていて一つになり、私たちは生かされているという・・・。
空虚な世界が本来的なノンデュアリティなら、ワンネスのほうがいい。そのほうがハッピーだなぁ・・・。
でも、ノンデュアリティ・スピーカーたちも、ワンネス的な理解を持ち込んでいるような気がする・・・。
日本人初のノンデュアリティ・スピーカー、大和田菜穂さんは、ライフという。そして、金森将さんは、根源という。(「バタ足ノンデュアリティ」1巻目の段階では全体と言ってるみたいだけど。)
サムシング・グレートじゃないけど、なーんか、ノンデュアリティ・スピーカーたちも、ワンネス的な理解を持ち込んでいるような気がするね。
やっぱり、完全に空虚なノンデュアリティだと、いやなんだろうね。
自分を消すとは?
ところで、自分を消すとボクは言った。
言ってたね。
でも、自分は、元からいないんだ。
え??自分がいるのは、常識じゃん・・・。誰もが信じて疑わないよ。
それが誤解ということだ。
日常生活で忙しく動いているとき、自分はいるか?
日常生活で忙しく動いているとき、自分はいるか?考えてみてほしい。
特に自分を意識せず、活動しているよね。そういえば。
みんな、自分はいる、自我は有る、なーんて、信じ込まされているから、誤解が生まれるんだよ。ふとした拍子、上司に怒られたとか、たとえば、「いやなことがあったとき」とかに、「自分は嫌な気持ちを感じてる」とか、「自分」がときたま出てくるに過ぎないのに。
うーん、そう言われてみればそうだなぁ・・・。
ひとりで、孤独を感じてるとき、通勤通学で、電車にゆられているとき、これも言ってみれば、「いやなとき」だよね。
たしかに、そういうときには、思考のなかで、自分が出てくるよね。
六根って知ってる?
ちなみに、六根って知ってる?
なんだっけ??
五感+意のことだよ。今まで六処と書いてきたが、調べていたら、正確には六根のほうが正しいみたい。で、これらのセンサーによって、ボクらは世界を認識してるんだ。六識という言葉もある。これは、混同しそうになるけれど、五感+意というセンサーによって得られた認識のことをさすと考えていい。
うん。それと今の話と何の関係があるの?
実は、自己とか自我とか言うものは、六根の意というセンサーによって生まれた、六識でいうところの意識に過ぎないということだ。六根でいう意とは、単なるセンサーだから、思考の話ではなく、体感の話なんだけれどもね。
なんか話が難しくなってきたぞ・・・。
まあ、記事も長くなってきたので、今回は、この辺で留めておこう。この点について、この記事を読んでいるアナタも、考えておいてね。
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