見出し画像

【書評日記】向こうがなくなり、こっちもなくなる?!金森将「バタ足ノンデュアリティ」

 そして、こっちだけ、こっちだけってやっていくうちに、ある日、はっと気がつくんです。「あれれ、もしかして、こっちもない?」って。笑いしか出てきませんよ。

本書より

【書評日記】向こうがなくなり、こっちもなくなる?!金森将「バタ足ノンデュアリティ」

「向こう」がないという話なんだけどさ。

向こうがないってどゆこと?

六処(五感+意)で感じてるこの世界は、バーチャル・リアリティーに過ぎない。だって、センサーで感じてるだけだもの。

うーん、まあ、その理屈はわかるよ。何度も、仏教の唯識の教え、教わったからね。

唯識の教え。

唯識とは、認識=世界という教えだ。

特に視覚からは、向こうに世界があるように、感じられるね。

でもさ、認識=世界だとしたら、向こうも、自分の中の世界、こっち、ってなるよね。

両目で見ると、立体に見えるから、片眼で見るとわかりやすいかなぁ・・・。

まあ、そうかもしれないね。とにかく、視覚で広がっている向こうの世界はなくて、こっちしかないんだ。

あれれ、こっちもない?

とにかく、こっちしかない、こっちしかない、と意識していくと、なんとなく、感覚がつかめるようにならない?

うーん、なるような気もするけど、難しいなぁ。

まあ、とにかく、向こうはなくて、こっちしかないと思えたとする。

うん。

でも、こっちもないんだよ。

ほえ???

だって、わたしはいないからねぇ・・・。

認識しかなくて、認識主体のない世界。

言語化すると、摩訶不思議な感じがするけれど、向こうもこっちもないのが、ノンデュアリティ(非二元)だ。

本当に、摩訶不思議な感じがする。

でも、実際にノンデュアリティを体感すると、それが現実なんだ。このブログ書いている今も、書いているボクのほうは(正確には、ボクもいないんだけど、便宜的に)、そうなっている。

それが、世界の真の姿か。

わたしがいないから、認識しかなくて、認識主体のない世界になる。そして、向こうもなければ、こっちもないんだ。

⇧本書は、Kindle Unlimited対象。お得に読むなら、無料体験!

⇧上のリンクを使わないと、面倒な検索をすることに。リンクを活用しては?実に名著!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?