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突き当たりに現の栞


 確かに昼間「大それた夢を見るのはやめなさい」と述べたが、今はそれを悔やんでいる。
 学校の授業で習った物語について「作者が伝えたいこととは」だとか、果ては「この登場人物のようにならないためには」などを各々が真剣に考え、話し合った。
 沼元(ヌモト、以下ヌモと呼ぶ)は『主人公と自分を重ねてしまい、予習の段階で涙が止まらなかった』に消しゴムをかける。教室に集まった同級生の誰もそうは思わないらしい、かと言って異を唱える気力もなく。

 そして夜半過ぎの住宅に舞台は移り、突如、何者かが声を轟かせ、ヌモの部屋に二箇所ある窓のガラスをどちらも突き破って現れた。
 片方は目映く、もう片方は真暗闇といったところか。いずれにせよ直視は困難で正体が分からず、自分及び家族に殺意を抱いているのではーーと、咄嗟にヌモは判断する。
「グオォォォォォ」
 再びの咆哮に、恐れをなし震えつつ、ぎゅっとスマートフォンを掴んで飛び出した先は、西洋風のドアが等間隔に並ぶ、どこぞのホテルと思われた。
 だが後戻りはできない。謎に追われ、ヌモは縞模様の半袖シャツと無地のハーフパンツつまりはルームウェアのまま、裸足で見知らぬ廊下を駆けた。

 
 暖色の灯りに包まれてもアンティーク調の鏡に一瞬映る顔は蒼白く、部屋番号と贅沢な大理石の床がどこまでも続き、妙に無人だ。
 古本の類いが見当たらないにも拘らず、紙やインクの香りが立ち込め、背面のぐちゃぐちゃ、ぬめぬめ、どろどろ。
 何者かが這う不快な音と呻きに今にも捕らわれそうで息が弾み、
「はぁ、はっ。ふざけんな、よ」
とヌモの乾き切った口から漏れる。
 まだ幼い弟妹は両親と同じ寝室。五時間前に「おやすみ」と言葉を交わして、何故だか現在は別の階で逃げ惑う図がふと浮かび、穏やかな沼元家に訪れた初の危機をどう切り抜ければ良いのやら、血迷い、フロントに助けを乞うつもりで閉まりかけの(恐らくは)安全な胡桃色のエレベーターに入った。

 とはいえ、その中はガラス張りで解放感に溢れる閉鎖的な空間、さながら遊園地のアトラクション、必死で『↓』のボタンを押すとひたすら急降下して行く。
「うわあーっ、帰りたい、いい加減にしろ。ひえーっ、ごめん、いきなりの絶叫系はきつい!」
 あれこれ喚き散らすうちに外側をびっしり覆われるも、幸いなことにヌモは混乱のあまり目を閉じて、ぺたんと座る。


 何者かはヌモが密かに持つ夢の固まり/塊であった。必ずしも美しいとは限らない、稀にこうして牙を剥く。
「ちょっと君、大丈夫?」
「いや。子供だし、随分とぐったりしてるから、取り敢えずスタッフさんを呼ぼう」
 しかし朝陽が昇る頃、散々、時を彷徨って辿り着いたフロアで二人組が話し掛けた。
 偶然の出来事だろうか。宿泊客に見せ掛けた新たな敵。芽生えた疑いは天気と同じく晴れ、ヌモが握り締めたスマートフォンの画面はメッセージアプリの通知、着信でいっぱい、母親がGPS機能で息子の居場所を捜し、後に連絡を受けて、遥か遠くまで迎えに来る。
 当然ながら沼元家の長男だけが夢に連れ去られ、自宅は何事もないと言う。


「改めて、本当にホテルだったんだ……しかも高層の」
 ロビーにて。普段通りの時刻に『旅路の口笛』が鳴り響いた。昨日に比べて、やや勇ましいアラームを止め、急いで体を丸めて堂々としたソファに隠れたヌモは懲りもせず、思い切り叱られる覚悟でつぶやく。
「ノンフィクションって信じてもらえるかな。愚かでも、夢を見るのはやめられない」



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