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拝啓マエストロ【第一楽章】


「『本来、芸術に評価をつけるべきではない』と思ってはいるんだけどね」
 夏のコンクールに向けた合奏の最中、楽譜に書き込んだ何よりも印象的な、この余談が音楽に一生をかける先生の本音だった。

 
 友人に誘われて入った部活動は、仲間が次々と辞めていき、残りの十二名が後輩を率いて中学最後の舞台に立つ。成長を見込んで先生が決めた、難度の高い曲は初めてだらけで、懸命に食らい付くも、興がさめるような。
 音楽室もしくは準備室に収まり切らず、暗がりの廊下で各自、楽器を片付けるたちに、どうしろと?
「なーんか。ああ言われちゃうとうちらが毎日練習重ねてさ、おまけに生活態度まで。気使ってんの、馬鹿みたい」
 部長の立花が口火を切ると、周囲は声を潜め、先生のぼやきを非難した。
「ですよね」「やる気なくす」「今年こそ金賞とって県大会に出たいのに」
 価値観の違いによる反感のアンサンブルは危うくクレ(ッ)シェンドに。ナンセンスだとしても、美術部・演劇部・コーラス部にも目指すものはある。

 
 私は敢えて会話に入らず、黙々とウォーターキイから水を抜き、分解、ひたすら水分の除去、汚れや指紋を拭き取った。横に寝かせて本体を仕舞い、やっと蓋を閉めて、(学校の備品で古びた箱型)ハードケースの取っ手を握れば、
八木もそうでしょ」
あちらに同意を求められ、苦笑いで返す。
 
 
 自分と仲が良かった先輩は高校の入学を機にバンドを組んだ。
 文化祭に招待され、通りすがりの嘲笑、「ちゃんとボーカル歌ってんの?」に胸をずきずきと痛めながら、ライブ後に「ベースが。一番上手かったです」と感想を述べた。
 要は、切り離したくとも嫌と言う程に付き纏う。
 夕焼けに空腹と汗の臭いが交じる時、窓ガラスに張り付いた蝉が鳴く。
「やだぁ、こっちに来るかも」
 施錠したら飛んで行った、どこか生徒らの心と似ている。



 その晩、私はインターネットで先生のフルネームを検索する。
 音大卒。クラリネットを○○氏に師事(数人並んでいた)、有名なウインドオーケストラに入団、テレビ出演、馴染み深いCMの演奏を担当、サウンドトラックへの参加などを経て、現在は指導者として活躍。
 指揮は本業でなく、ましてや中学校の教師でもない。
 あれは、まだ一年生の頃。
 吹奏楽部の顧問が知人を連れて来て、まずクラリネットパート、次は木管、最後に全体、〈みんなの先生〉となった。斜めから撮られた宣材写真の、楽器を吹く姿はよく知っている。

 
 ただ、彼は以前、部員に質問されて
「ピアノを習い始めたのは覚えてないぐらいの年齢で、クラは小学生かな。そしたら、親が『プロになりなさい』って。楽しかったことが続けていくうちに辛くなる。例えば、表現力が豊かであっても、潰れてしまう人をたくさん見てきた。同じ目標を持って奏でる前の問題、トラブルが日常茶飯事だったり。なので僕は『絶対に』と『やらなければならない』とは、言いません。それに縛られるなら。音楽という言葉の意味を一度、考えてみてください」
と答えた。
 本人のホームページばかりか、過去に「クラリネット界のプリンス」だと称えた愛好家のブログも読み、暫し、うーんと頭を悩ませて、仲間にメールを送る。


『センセーを敵にして団結すんの、ホントに合ってると思う?』


 先生が通った道、幾多のコンクールやオーディションが総て良い結果な訳がなく、選考、審査、合否等の過程は、こちらにも理解できる。
「また来年、頑張ろう」
 一昨年の夏休み。地区大会の部内選抜に外れたメンバーで、泣きながら聴いた曲はどうしようもなく、悔しかった。
 人数の関係で、と、言うか昨年も舞台裏で出番を待つ間、他校の技術に唸らされ、自らの力不足を痛感する。

 ーー比べるな、私自身が認めればいい?
 本気で演ると純粋な「好き」だけでは実際のところ、厳しい。けれど、ここまで耐え切れた理由は、やはり「好きだから」に尽きて。
 ぶつかる壁、我が校の指揮者とて、挑んでは揺れていた。



 翌朝。お喋りなようで、部長らしく誰よりも早く登校して職員室に音楽室の鍵を取りに行く立花と階段付近で鉢合わせる。そこには顧問もおり、ふたりともいつに無く真剣な表情でどきりとした。
「おはよう。あぁ、丁度良かった。少し昨日のことで」
「八木、ごめん。連絡もらって冷静に考えてみたんだ」
 声が被り、「お先にどうぞ」と譲られた立花が「ありがとうございます」と顧問に頭を下げる。

 
 彼女は顔を上げずに足元の滑らかな床をじーっと見つめ、切り出した。
「正直。現状に苛立ってて、先生の発言をネガティブに捉えた。コンクールの為に全力で取り組む、うちらの方が間違いだとか、文句つけられてはないんだよね」
 今にも地団駄を踏みそうな勢いの早口、タンギング。
「喧嘩売られた気分で勝手に突っ走って、あーあ! 部長失格。最近ちっとも楽しめてなかったな。おかげでようやく気付けたわ」
 項垂れて丸めた肩をガバッと開き、心の底から叫んだであろう「あーあ!」が、幾らか涼しげな休日の校舎に響き渡る。ソロパートであれば褒められるかも知れなかった。


「まだ間に合う。立花さんは常に感情表現がストレートね」
 落ち着いた態度の顧問に対し、立花は「すみません」耳たぶと頬をほんのり赤く染め、よろけて私に寄り掛かる。

 顧問の話は続いた。
「あの伝え方は誤解を招く。でも、コンクールが近づくにつれてピリピリ、殺伐とした雰囲気に。勿論、程よい緊張感は必要、但し、匙加減が。とにかく怖いのよ、あなたたち。音も、ロングトーンどころか息を止めるような。今回の曲は、困難を乗り越えて明るく華やかな結末を迎える筈が、日増しに重苦しく聴こえるの。先生が一石を投じてくださった機会を逃さずに。さあ、移動しましょうか」
 指摘を受け「確かに」とは思ったが、立花の顔色を窺って、私は口をつぐむ。
 
 何としても金賞が欲しく、拘ると遠ざかり、踊り場を擦り抜けて、立ち入り禁止の屋上から青と積乱雲の彼方に消える。



 ミーティングを行い、各パート(※楽器ごと)に分かれ、教室を使って基礎、個人、パートまたはセクション(※役割ごと、うちでは木管・金管か高音・低音)練習の終わりかけに先生が現れて順に指導、昼食を挟んで合奏。
 現在の私たちに夏休みはない。音楽室のみならず、体育館に全楽器を運ぶこともあり、皆が校内を行ったり来たり、特に大量の打楽器によってジャージがぐしょぐしょ、来週は地元のホールを借りて制服着用、本番さながらの環境で、月末の地区大会に備える。


「本当は分かっています。挨拶とか些細な仕草に普段の生活が出る。〈コンクール限りの丁寧〉なんて、審査員の方には簡単に見抜けてしまう。勉強も同じで、一つずつの。積み重ねが未来を作るんです」
 ミーティング時、立花は改めて部員の前で熱を込めて語った。赤裸々な「努力が水の泡っぽくて」に何名かが頷く。

 
 そして、突発的に激しい雨が降り、校庭の野球部は撤収、雷鳴に怯える私と後輩、渦中の先生は温泉のロゴが目立つコミカルなタオルを被って、三階に駆け込んできた。

《狂うチューニングと青夏》




★タイトルは『吹奏楽のための』や『〇○曲』にしません、音楽と人生を描きます。調べながら登場人物に合わせてタイムトラベルすることが好きです。


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