【自己紹介】自分を知り、人生を攻略する
はじめまして。けいごと申します。
本記事は、私の自己紹介とnoteの方向性について書きます。普通に自己紹介してても読者さんの貴重な時間がもったいないと思うので、私の行っている「自己分析」も含めた自己紹介記事にしたいと思います。
私が行っている自己分析は「自分の行動や思考パターンから発生している強みやポジティブな要素を抜き出して把握する」という方法です。
なので、自分の持っている要素を各項目の最後に書いていきます。
noteの方向性に関しては最後にまとめます。
生き物が大好きだった(〜小学生)
私は小学校を卒業するまで「生き物」が大好きでした。
特に古生物の類が大好きで、よく両親に博物館に連れていってもらっては無料の資料を持って帰り、自分のオリジナルノートとしてまとめているほど大好きでした。
あと生き物好きのエピソードといえば、海水のエビを飼っていたことがあったり、カブトエビの卵から孵化させたりなど。。。あげればキリがありません。
飼育した経験のある方ならわかるかもしれませんが、海水の生き物の飼育って結構手間なんですよね、でもなぜかそうゆう難しいところを選んで飼育していた気がします。
理由は覚えてませんが、海水のエビがカッコ良かったからだと思います(笑)
揶揄われて内向的な性格に(〜中学生)
小学校では生き物が好きなことで有名でしたが、中学校ではなんとなーく、そうゆうのがダサいと思う時期ですよね。
周りを気にせず堂々としていればいいだけの話ですが、やっぱり自分は生き物が好きだけど周りからはオタクと言われるから控えようって感じになり、生き物について考えるのはやめてしまいました。
あと中学校って運動神経がいい男が女性からも男性からもモテますよね。
でも私は運動神経が非常に悪く頭も悪かったので、段々周囲からハブられるようになり、一時期揶揄われていました。
日々揶揄われていると段々性格が固定されていき、自分を殺して生活するようになっていきました。
結果、自分に「内向的な性格」が形成され、「一人でいることが好き」になっていきました。
もしかしたら「飽き性」になったのも周囲の目を意識し始めたことが原因だったのかな〜、なんて考えたりします。
高校デビューで挽回(〜高校生)
中学校でダメダメだった自分をどうにかしようと高校デビューをすることにしました。
髪の毛にワックスを塗ってツンツンにして登校し、運動音痴を知られたくなかったので軽音楽部に入部して、幽霊部員を全うしました。
あ、3年生になってからちゃんと活動しましたよ。学祭のライブにもでましたし、卒業イベントでベース弾きました(笑)
では、幽霊部員の期間に放課後何をやっていたかというと、映画鑑賞かバイトです。
バイトは週4くらい入ってそれ以外は映画鑑賞、勉強はあんまりしなくても成績はとれてたので何も言われませんでした。
バイトは物流センターの仕分けのバイトを二年半ほどやっていました。年数が立ってからは数量チェックもさせてもらえるようになり、バイトなのにボーナスをもらってました。
そんなこんなで、高校卒業時に貯金が50万くらいあった気がしましたが、大学でパソコン買ったりなど、いつのまにかなくってましたが。。。
充実していた大学生活(〜大学生)
高校生でアメリカのアクション映画にハマり、そのかっこいい姿から将来は「警察官になりたい」と思うようになりました。
そのため、大学は公務員の試験対策ができる大学に入り、部活も体育会系の部活に入りました。
さらに自分は部活動にしがみつくだけで精一杯になると考えていたので、成績は残せいないだろうと見越し、体育会系の団体を統括する団体に入ることで肩書きを身に付けることにしました。
予想通り部活ではなんの成績も残せませんでしたが、4年間動いていただけあって運動神経は見違えました。
さらになぜか統括団体で会長になってしまい、1年間大変な思いをしました。
。。。と言いたいところですが、会長という立場を使って、部活をよくサボっていました。
希望していた警察官に(社会人〜)
そんなこんなで希望していた警察官になることができました。
警察官になってからは6ヶ月間警察学校に入り、無難に耐え抜いて卒業しました。
「内向的性格」から基本的に目立ちたくはなかったので、目立たないように無難に行動をして、なんとか切り抜けて卒業し警察署に配属になりました。正直私にとってはしんどかったですが・・・(笑)
警察署に配属されてからは最初は何もかもがわからないので先輩について周り、無難に仕事をしていきました。
研修を終えて独り立ちしても、また無難に仕事をこなしていきましたが、自分がこれからこの組織で何をしたいのかがわかりませんでした。
ただ、学校は向いていませんでしたが、交番の現場は向いていると思える点はいくつかありました。交番勤務は柔軟的な対応が求められ、学校では規律的な対応が求められました。
満ち溢れていたやる気が苦痛に
現場をある程度経験して目標もなく何をしていいかわからなかった私は、なんとなくがむしゃらに仕事やプライベートを過ごしてみることにしました。
仕事では「実績向上」や「行きたくない部署に異動してみる」、プライベートは「街コンにいったり」など、思いついたことをひたすら実行にうつしてみました。理由もなく「やる気MAX○リックス」の状態でした。
結果はそこそこ出ましたが特に充実感を感じることはなく、燃え尽き症候群のような状態になってしまったこともあります。
異動先では以前いた部署よりもやりがいを感じられず鬱っぽくなり、様々な要因が相まって、約四年努めた警察官の退職を決意することになりました。
因みに、ここは自分の人生の転機となり、主体的に生きるキッカケとなった大きな出来事です。
「ライフシフト」という本に出会ったことが、転職を決断できた一つの要因です。転職に悩んでいる方にはとてもおすすめの本なので、是非読んでみてください。私の固定観念を一撃で粉砕してくれました。
IT業界へ転職するも・・・
転職後は通信系のITエンジニアとして約一年半働きました。
理由は特にありません。あげるとすれば、会社で技術を身に付けてフリーランスになりたかったってことぐらいです。(今は独立にこだわりがなく、どちらでもいいと思っています。)
仕事内容はネットワーク構築に関する成果物の提出でした。
いつも通り無難に仕事をこなしていましたが、この仕事が何の役に立っているのかがわかりませんでした。
すると一気に仕事がつまらなくなっていった結果、楽しい要素を見つけることができなくなり退職することにしました。
自営業で様々なビジネスを試す
ITエンジニアをやっていた当時、独立を目標に掲げていた私は自営業を行い様々なことに挑戦しました。
フリーランスになりたくてIT業界に入りましたが、正直独立の手段なんてなんでもよかったからです。
挑戦してきた中で「うまく行ったモノ」「行かなかったモノ」どちらも多くありますが、リスクをとった行動もしていました。
楽しくて継続したい気持ちがありつつも、損出が大きくなったビジネスは、「これ以上はやめた方がいい」というところまでいくと止めることもありました。
あとは、自分が「やりたい」と直感的に思ったことにしか挑戦しませんでした(笑)
自営業の経験は、様々な視野を増やしたり、見える視点が増えたりしたのでリスクをとって行動して良かったと思っています。
介護士になり福祉主軸のキャリアに
ITと自営業をやめ、現在は介護士になりました。
理由は、自己分析を行い「自分に向いている」と仮説を立てたためです。
また、警察官として地域の事件を取り扱っているなかで、「認知症の方の対応」や「高齢者の孤立死」を複数とり扱い、退職後もその記憶が鮮明に残っていました。
その原体験をきっかけに社会課題を意識するようになり、介護業界に転職しました。
現在は介護士になり1年半(2022年3月時点)ですが、様々な理由で「向いている」と感じます。自分の「価値観」にそって得意なことを発揮し、社会に貢献できているという実感があります。
そして警察官、IT業界で培った能力が、今の仕事に活きています。
さらに向こうへ「プルスウルトラ」
ヒロアカすいません(笑)
福祉の仕事が楽しく、2022年より介護主任の役職をいただき、その後に社会福祉士の資格を取得して、結婚をしました。
2022年と2023年はとても充実した盛沢山な年ですが、これからも続きそうです(笑)
しかしそれは自分が幸せに、主体的に生活できている証拠です。
自己分析の結果を参考にすると、今後の人生において、これまで培ってきた以下の強みを発揮することが可能です。
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