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思い出

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過去のことを振り返って。
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幸運の毛

幸運の毛

今朝、リビングに向かうと、息子の左顔にあざのような血がついていた。妻に聞くと、鼻血を自分で顔につけて得意げになってるらしい。
僕がウェットテッシュで拭き取ると、息子は大激怒!床で地団駄踏んで泣き出した。「せっかく鼻血つけたのに!」と。めんどくさいこと極まりない。

そこで息子にこんな話をした。
ーー
パパが中学生の時にね。ほっぺたから一本の毛が生えてきたんだ。それはどんどん長くなった。おばあちゃん

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植物と両親

植物と両親

今日は亡き母の誕生日である。
11年が経ち、生きていれば71歳ということだ。
71歳って、それでもまだまだ若い。早すぎたな、と改めて思う。

最近、季節がらもあってか、積極的に観葉植物を迎えている。お花もそうだ。もともと、アトリエや玄関に植物はそこそこ飾っていたけど、ズボラな自分は冬になるとよく枯らしていた。築古戸建てのデメリットとして、冬が寒いということもある。室温で10°を切るほどなのだ。大概

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見上げると雪が。

見上げると雪が。

大学時代のことを思い出しました。
私は当時24歳、季節は1月。大学7年目で卒業制作に取り組んでいました。
大学時代、キャンパスライフに絶望し、3年間の引きこもりのあと、休学して上京しました。そこで2年間、専門学校へ行ったり、恋をしたり、展覧会を開いたり、必死にアートの道を模索していました。その一環で作っていたフリーペーパーがあります。幼馴染と2人で文章を綴りイラストを載せました。それが美術手帖の別

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オパトカというパン屋で。

オパトカというパン屋で。

2007年。中目黒のオパトカというパン屋さんの前で似顔絵を描いてました。土日になると外のテラスに座って、お客様にチラシを配り、日がな一日座ってました。0人ということもよくありましたが、全然落ちむことはありませんでした。そこに座って、ただ待っているだけで、僕はとても「自由」だったのです。
だって見てください。オパトカの店員さんをこんなに楽しく描けてるんですから。パンの飛行機に乗って、空を飛ぶ。天国の

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美大を目指した侍の話

美大を目指した侍の話

【8年前の記事】
美大を目指した侍の話。
ーーー
「薩摩の青年、国分寺の青春」
20年前、元服したての唐芋青年は、村の家族に見送られ、薩摩の地を後にして、長い旅の末、花のお江戸にたどり着いた。

芸事を極めようと幕府の設けた藩校を受けるため、はるばるやってきたのは国分寺のとある寺子屋。
全国津々浦々の浪人や猛者たちに恐れおののきながら、バテレン裸体の白い石像を、炭で描いていく。

青年は挫折する。

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上手い下手より大切なこと。

上手い下手より大切なこと。

今朝、ふと思ったことがありました


「美大受験に合格する・しないは、ただ上手いか下手かの違いだけだったんだな」と。
それが今後の人生を決定することでは全くないのです。
しかし、当時にとっては、受験というのはその後の人生が全て決まるほどのことでした。

無論、合格するに越したことはありません。近所の高校生の子も、合格して、こんなにおめでたいことはない!って心から嬉しかった。努力の結果があるわけだ

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忘れられない乗船者

忘れられない乗船者

「天国のクジラ」とは、亡くなったご家族を乗せて世界中を旅しているクジラの物語を描くシリーズです。

今まで14作ものクジラを描いてきて、約2000組以上のご家族に「乗船」していだきました。
それはもう、いろんな方のお話を聞かせていただきました。
この天国のクジラは、2013年に母が60歳で他界したことがキッカケですが、同じ想いをされている方々のお話を聞くたびに、画家としての役割を強く感じる日々でし

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中学生の時に描いたリンゴ。

中学生の時に描いたリンゴ。

過去のFacebook記事より。
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先日の鹿児島のグループ展でのこと。中学の時の美術担任で、この度退官されるたべ先生が、1点の絵を持参されました。それは、僕が当時、授業で描いたリンゴの絵でした。
なんと、25年前の絵を保管してくださっていたのです・・。感動で胸が詰まりました。ありがとうございます。
おぼろげに、この時のことを覚えていました。油絵ふうに描いてみようということで、プラスチックのナ

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