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見上げると雪が。

大学時代のことを思い出しました。
私は当時24歳、季節は1月。大学7年目で卒業制作に取り組んでいました。
大学時代、キャンパスライフに絶望し、3年間の引きこもりのあと、休学して上京しました。そこで2年間、専門学校へ行ったり、恋をしたり、展覧会を開いたり、必死にアートの道を模索していました。その一環で作っていたフリーペーパーがあります。幼馴染と2人で文章を綴りイラストを載せました。それが美術手帖の別紙に特集されたりしました。
休学期間の期限が来て、大学を中退するか、復学するかで迷いました。親からは辞めないでくれと懇願されました。その意向に乗る形を取りましたが、正直、めいいっぱい背伸びをした生活に疲れ切っていました。見失った自分を取り戻しに、また大学の佐賀県に戻りました。

それから2年間、後輩たちにノートを借りながら単位を所得し、キャンパスライフとうまく帳尻を合わせて生活する術くらいは、しっかり身についていました。入学当初の悶々とした時代よりは、何をするのか目標が見えていました。
「内観し、地力をつける。そしてふたたび彼の地へ」。自分を探すには、もってこいの静かな孤独の聖地でした。

それでもこの閉鎖された大学にいると、東京での暮らしの記憶が薄れてきました。変わらない時間、変わらないメンバー、変わらないバイト、変わらない未来。頭がどんどんぼやけていきました。まるで「その街と不確かな壁」の住人のように。私は、かつての記憶を忘れないために、1人必死に、今まで作り上げたフリーペーパーの続編を、大学の生協やカフェに配り続けました。1週間に3.4部は減っていました。そのことが嬉しかった。誰かに伝わっていることが。

そして、卒業制作の冬を迎えました。私は、それまでの苦悩、自分自身への悔やみをオブジェに込めました。表題は「墓所」。自分を埋葬するためのお墓です。

ある冷え切った夜。後輩の女の子と2人でアトリエにいました。いろいろ話してるうちに、私は思わず「芯」の悩みを吐露しました。そこで彼女は、冷静な目でバッサリと言いました。
「先輩、ウジウジ悩みすぎです」。
そして、自分の彼氏の話を始めました。彼女は21歳。僕は24歳。今からしてみればどちらも世間知らずの若造ですが、その3年の意識の違いは、天と地のように離れてました。

私は思わずアトリエを出て、夜空を見上げました。すると、白い影が降りてきました。初雪でした。私は泣いていました。真っ暗な闇の中の、儚くも美しい粉雪が、あまりに美しすぎて。
そうして私は、クルクル舞いながら、いつまでもいつまでも、その雪と共にいました。

これが私の青春の1シーンです。卒業制作の墓所は誰にも理解されませんでした。教授は単位だけを渡しました。それで卒業です。何よりも変え難い評価でした。

春、上京し、新社会人になりました。休学時代からお誘いのあった会社へイラストレーターとして入社。リベンジするのたと燃えていました。しかしその後、公私共に我が人生最悪の地獄が待ち受けているのですが、それはまた次のお話。

そうして25年が経った今も、あの雪のことは忘れられないのです。

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