植物と両親
今日は亡き母の誕生日である。
11年が経ち、生きていれば71歳ということだ。
71歳って、それでもまだまだ若い。早すぎたな、と改めて思う。
最近、季節がらもあってか、積極的に観葉植物を迎えている。お花もそうだ。もともと、アトリエや玄関に植物はそこそこ飾っていたけど、ズボラな自分は冬になるとよく枯らしていた。築古戸建てのデメリットとして、冬が寒いということもある。室温で10°を切るほどなのだ。大概の植物には向いていない。
しかし、愛犬モネが他界し、金魚を迎えたころから、また植物熱が復活している。水やりや日当たりの位置もこまめに変えて、デリケートなエバーフィレッシュを初めて冬越しできた。そして春は、桜の木やウンベラータ、苔玉植物、オリーブなどを迎えた。剪定もしている。
両親は、宮崎の熱帯植物園で出会い、結婚した。父は33歳、母は24歳だった。父は家系の神主を継がず、画家の夢をあきらめて、もともと好きだった造園関係に。母は幼少期からだいぶ天然でぼんやりとした人だったが、やはり花を育てるのは好きだったそうだ。
植物が繋いだご縁で、僕らが生まれた。つまり、植物は僕にとって「生命の奇跡」なのだ。
そんな植物への憧れがあれど、何一つ専門的なことはわからないし、いまいち熱烈な興味もなかった。しかし、父の仕事を手伝ったりもしてたので、なんとなく近くもあったのだろう。
いまだに持ち家もないし、庭も賃貸の場所を間借りしてるだけだが、それでも、ひっそりと植物を迎え、暮らしていた。
ご縁のある大屋さんが、どのかたもご年配で優しく自然を愛する人だったのも、何かあるのかもしれない。前の家では立派な梅の木。今の家では、これまた立派な柿の老木がある。実のなる木のそばで住めることは幸せなことだ。
植物を迎え、育てるたびに、水やりをしていた両親を思い出す。南国だったので、実家の庭の、亜熱帯植物たちには、ホースでたっぷりと水やりをしていた。そこでスイカを食べて、種を飛ばしたりしていた。幸せだったと思う。その後、別居を繰り返し、喧嘩ばかりして、結局早く天国に行った2人だが、幸せな思い出の時間には、亜熱帯植物の庭が目に浮かぶのだ。
植物は、生命の奇跡。そして幸せの証し。自分のエネルギーが低い時ほど、救いのように植物を求めている。そして、ぼーっと眺めながら、遠い世界に旅立っている。
今回迎えたオリーブの品種は、ルッカという。二品種が並ばないと身をつけないオリーブだが、ルッカは単独で身をつけるという。その話を聞いて即決したのも、僕にとって必要なニュアンスが含まれていたからだろう。
そして、近所に小さな小さなオリーブの苗を見つけて、それはアトリエに飾ってある。まるで我が家の子供たちのように、初々しく、金魚の隣りで日向ぼっこしている。
母の誕生日。離れてから、ますます近くに感じる。そう、植物を通して。毎日の祈りの時間を通して。仏間に手を合わせ、線香をあげ、お礼を伝える。誰からも忘れ去られたとしても、僕が覚えている。この血と肉と感性をもって。
ありがとう。そしてこれからもどうか見守っていてください。
おしまい。
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