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行列に並ぶために行列に並ぶ
第171回芥川賞の候補作にもなっている尾崎世界観さんの「転の声」を読んだ。
作中の世界では、アーティストのライブチケットの転売が市民権を得て、いまだ賛否はあるけれど、転売ヤーがもてはやされ、アーティスト自ら転売ヤーに売り込みをする。
転売されればされるほど上がり続けるプレミアに群がる人々と、自らのプレミアに重きを置くアーティスト。
ねじれにねじれた歪なプレミア志向は、好きな音楽を楽しみたい、
迷いのないひとのかっこよさ
あのころの、ママとおんなじ歳になった。
20代の一時期、私は北新地のラウンジでホステスのアルバイトをしていた。その店のオーナーママだ。37歳だった。
「いい子が入ったね」
店長に紹介され、緊張しながら頭を下げる私を見て、ママはそう言いながら切れ長の瞳を柔らかく弓型にした。
隙なく結い上げられた日本髪に、繊細な紋様が施された高級そうな着物、美しく伸びた背筋から指先に至るまでの、優雅でしなやか
ぜんぶを持ってるひとはおらん
ほんとうの、ほんとうの悩みは外から見えない。安易にひとに相談できない。
だから、なんもかんもを持っているように見えるあのひとにもきっと、なにかしらの悩みはあるはずで、ひとつの側面だけを眺めて羨ましがるのは浅はかなことだ。
失恋をして、食べることも眠ることもままならないほどげっそり落ち込んでいる友人を、内心羨ましく思ったことがある。
恋人と別れたくらいのことで、そんな風に悩めていいな。励ましの
こちらから見れば黒だけど、あちらから見れば白。そのグラデーションを静かに眺める。
とても信用していたひとに裏切られていた可能性を知って、状況的にその可能性はかなり高くて、ひどく落ち込んでいる。
おそろしくて、それを本人に問いただすことはできていない。
とても信用していたと書いたけれど、つまり本当は、信じ切れていないのだ。そもそも、探るようなことをしたのはわたし。
そのひとの素晴らしい部分を、わたしはたくさん知っている。
もしも裏切り行為が事実だったとして、そのひとの全部
そんなに気にせんくてもよかったで
のちのちにあの人とは会わんくなるけど、あんたはなんにも悪くないから。タイミングの問題やから。
そのぶん新しい出会いが待ってるし、たのしいこともいっぱいあるし、心配せんくて大丈夫やで。
だれかと会ったあとの帰り道の、ひとり反省会の内容は、2日も経てば綺麗に忘れてしまうから。
結局は割とどうにかなるから、そんなに気にせんくてもよかったで。自分を責めんくてよかったで。めっちゃ気持ちはわかるけど。
幸せになる、ではなくて、幸せはある
どうにかこうにか幸せになりたくて、自己啓発系の本をたくさん読んできた。
どの本も、あらゆる角度から幸せに生きるための方法を説いていて、表現やテーマは違えど、ほとんどの本に共通して書かれている項目がいくつかある。
例えば、感謝をすること。掃除をすること。
それらを読んだわたしは、できる限り生活のなかに取り入れてみようと努力する。
感謝と掃除が大事というのは、それはもう身を持って実感してきた。
詩の授業が好きだった
小学生のころ、国語の授業で詩を知った。ほんの数行の中に世界があって、うつくしいリズムがあって、いつまでも読んでいたい。詩の授業が好きだった。
トントン、タンタン、トタタン、タタトン。
屋根で跳ねる音が見える。もじもじ、テカテカ、ぐるんぐるん。聞こえない音まで文字に擬態する。
普段当たり前に使う言葉の、あっちとこっちを繋ぎ合わせて並びを変えて、切り取る角度を少し変えれば、ほんの些細な景色や気づ
助けることで助けられ、循環する親切
ときに残酷な現実を、それぞれが背負うものを、分け合って、支え合って生きていく。
津村記久子さんの「水車小屋のネネ」を読んだ。ままならない事情から、親元を離れて生きていくことを決めた18歳と8歳の姉妹と、その周辺のひとたちの40年間を描いた長編小説だ。
経済的にも状況的にも不安定な生活を始めた姉妹は、さまざまなひとの手を借りながら、綱渡りのような生活をどうにかこうにか成り立たせていくのだけれど、
より少なくでより多くを得るために生きてるわけではないのにね
コスパとかタイパって言葉を聞くと、自分がいろんなものを無駄にしてきてしまったような気がしてなんだか焦る。
でもほんとうは、無駄ってたのしい。そのことをときどきすっかり忘れてしまう。
一時期、オーディオブックにハマっていた。文章が上手く書けるようになりたくて、そのためにはとにかくたくさんの本を読まなければと思った。だけど思うように読書の時間を確保できる日ばかりではなくて、そんなとき、音声で本を楽
小山さんノート/ホームレス生活を送る女性が生きるために綴ったことば
ときに読むのが苦しくなって、少しずつ、数ヶ月をかけて読み終えた。「小山さんノート」は、都内のテント村でホームレス生活を送っていたひとりの女性が、長年にわたって書き綴ったものだ。彼女が亡くなったあとに有志の人々によって文字起こしされ、書籍化された。
日雇いの仕事や拾ったものを売って得たわずかなお金で、彼女は足繁く喫茶店に通いノートを開く。明日を生きる不安に苛まれ、パートナーや周囲からの暴力、支配に
書かなくたって生きてはいける
それなのに、どうしてわたしは書きたいんだろう。もうなんども重ねてきたこの問いは、たいてい書くことに行き詰まっているときに頭をもたげる。
それで今。
だれに頼まれたわけでもない小説を勝手に書き始めて、勝手に行き詰まっている。
正直、書くのって面倒だ。自分に見えている景色を、感情を、うまく伝わるように言葉にするのはなかなかに難しい。思うように書けないときはもどかしい。スッパリとやめてしまったほう
もどりたい場所なんてどこにもないけど
くずもちを食べた。きな粉と蜜とのとろんとした甘さのむこうに蘇る景色があって、ああでもあれはわらびもちだった。
毎週の生協のトラックでやってくる、内心飽き飽きしてるけど、きな粉をまぶす前の透明がすきだった。
気怠い身体にまとわりつく塩素のにおい。固く尖った先端がじんじんと痛むばかりで膨らむ兆しのない乳房。団地のぐるりと25メートルプールでぜんぶの夏だった。ぺたんこの自分を抱えて帰らない兄の漫画を
「東京都同情塔」九段理江/あなたが罪を犯さずにいられるのは、恵まれた環境で生きてきたから
物語の中で、幸福学者のマサキ・セトは、犯罪者たちにホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)という新しい呼称を与え、彼らが快適に暮らすためのユートピアのような刑務所、シンパシータワートーキョー、通称東京都同情塔を設立する。
批判と賛同の声を半々に受けながら完成されたそれは、新宿御苑の真ん中に堂々と聳え立つ。
この東京都同情塔をデザインした建築家サラ・マキナの語りを軸にして物語は進むのだけれど、彼