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書くために目の前の生活をおざなりにしてはいけない
ときどき、書くことに夢中になり過ぎて、目の前のことがおろそかになってしまうことがある。
人の目を見て話を聞くこと、自然に触れること、生活をたのしむこと、感情をそのまま味わうこと、それらをあとまわしにして文章を書くことに躍起になるのは、なんだか本末転倒だなあと思う。
もちろん、人それぞれに書く理由があると思うから一概には言えないけれど。
わたしの場合は、単純に書くことがたのしいから、思考を深め
行列に並ぶために行列に並ぶ
第171回芥川賞の候補作にもなっている尾崎世界観さんの「転の声」を読んだ。
作中の世界では、アーティストのライブチケットの転売が市民権を得て、いまだ賛否はあるけれど、転売ヤーがもてはやされ、アーティスト自ら転売ヤーに売り込みをする。
転売されればされるほど上がり続けるプレミアに群がる人々と、自らのプレミアに重きを置くアーティスト。
ねじれにねじれた歪なプレミア志向は、好きな音楽を楽しみたい、
助けることで助けられ、循環する親切
ときに残酷な現実を、それぞれが背負うものを、分け合って、支え合って生きていく。
津村記久子さんの「水車小屋のネネ」を読んだ。ままならない事情から、親元を離れて生きていくことを決めた18歳と8歳の姉妹と、その周辺のひとたちの40年間を描いた長編小説だ。
経済的にも状況的にも不安定な生活を始めた姉妹は、さまざまなひとの手を借りながら、綱渡りのような生活をどうにかこうにか成り立たせていくのだけれど、
小山さんノート/ホームレス生活を送る女性が生きるために綴ったことば
ときに読むのが苦しくなって、少しずつ、数ヶ月をかけて読み終えた。「小山さんノート」は、都内のテント村でホームレス生活を送っていたひとりの女性が、長年にわたって書き綴ったものだ。彼女が亡くなったあとに有志の人々によって文字起こしされ、書籍化された。
日雇いの仕事や拾ったものを売って得たわずかなお金で、彼女は足繁く喫茶店に通いノートを開く。明日を生きる不安に苛まれ、パートナーや周囲からの暴力、支配に
書かなくたって生きてはいける
それなのに、どうしてわたしは書きたいんだろう。もうなんども重ねてきたこの問いは、たいてい書くことに行き詰まっているときに頭をもたげる。
それで今。
だれに頼まれたわけでもない小説を勝手に書き始めて、勝手に行き詰まっている。
正直、書くのって面倒だ。自分に見えている景色を、感情を、うまく伝わるように言葉にするのはなかなかに難しい。思うように書けないときはもどかしい。スッパリとやめてしまったほう
「東京都同情塔」九段理江/あなたが罪を犯さずにいられるのは、恵まれた環境で生きてきたから
物語の中で、幸福学者のマサキ・セトは、犯罪者たちにホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)という新しい呼称を与え、彼らが快適に暮らすためのユートピアのような刑務所、シンパシータワートーキョー、通称東京都同情塔を設立する。
批判と賛同の声を半々に受けながら完成されたそれは、新宿御苑の真ん中に堂々と聳え立つ。
この東京都同情塔をデザインした建築家サラ・マキナの語りを軸にして物語は進むのだけれど、彼
「観察の練習」菅俊一/見えているのに見えていない
この公園の芝生は、どうしてこの部分だけがはげているのだろう。このキャッチコピーは、どんな前提条件をもって書かれたのだろう。この看板は、どうしてこんな場所に掲げられているのだろう。この既視感はなんだろう。等々。
本書では、著者が日常の中で「ちょっとした違和感」を覚えた風景を写真で提示し、次のページでその違和感の理由についての考えが述べられている。
つまり、読者のわたしたちも写真を見ながらその違和
人と比べて落ち込んだとき、なるべく早く立ち上がるための指針をつくる
自分は自分。人と比べる必要なんてない。じゅうぶんにわかってるつもりだけれど、不意にダメージを食らってしまうことがある。焦ってしまうことがある。
同い年のあのひとや、少し前まで同じ場所に立っていたはずのあのひとなんかの充実ぶりに。
最近なんだかまんねりしているなあ。自分だけが全然前に進んでないような気がするなあ。
そんな風に自己嫌悪の波にのまれて、ずるずると落ち込んでしまうことがある。
まあ
「エッセイストのように生きる」松浦弥太郎/落ち込んだときは本屋へ行く
その日は、少し落ち込むことがあった。ひとに聞かれたら鼻でわらわれてしまいそうな、ほんの些細なこと。
自分でもくだらないなと思うし、こんなちいさなことで悩めるってことは、きっと総じてしあわせな現在なんだとわかっていながら、あるひとから受け取ったメッセージへの、ほとんど被害妄想めいた解釈が止まらずネガティブ思考はぐつぐつと煮詰まるばかり。
そんな気分を断ち切るために本屋へ出向いた。
なん