「東京都同情塔」九段理江/あなたが罪を犯さずにいられるのは、恵まれた環境で生きてきたから
物語の中で、幸福学者のマサキ・セトは、犯罪者たちにホモ・ミゼラビリス(同情されるべき人々)という新しい呼称を与え、彼らが快適に暮らすためのユートピアのような刑務所、シンパシータワートーキョー、通称東京都同情塔を設立する。
批判と賛同の声を半々に受けながら完成されたそれは、新宿御苑の真ん中に堂々と聳え立つ。
この東京都同情塔をデザインした建築家サラ・マキナの語りを軸にして物語は進むのだけれど、彼女の、あらゆる方向に広がり深まっていく執拗なまでの言葉への考察に翻弄される。
彼女の中には厳格な校閲者がいて、偏見や差別、誰かを傷つけるような発言は決して許されない。正式に採用されたシンパシータワートーキョーというカタカナ名では「重さ」や「厳しさ」が足りない気がして受け入れられない。
言葉ってなんなんだろう。
多くの人が使いこなしている便利なシステムで、だけど一方で、言葉だけでは伝えきれないこともある。言葉にすることで本当に伝えたいことから遠ざかってしまうことさえあるし、時には凶器にもなりうる。
同じ言語を使っていても、ちっとも分かり合えないことだってある。
犯罪者の呼称を変えることで人びとの寛容を促し、だれもが幸福に生きられる平等な社会をつくろうと試みた幸福学者のマサキ・セトが迎える悲しい結末には、多様性、平等性の矛盾を突きつけられる。
いくつものテーマが折り重なった多角的で重層的な物語に圧倒され、ドラム式洗濯機のなかで思考がぐるぐるかき混ぜられているような、不思議な読書体験でした。
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