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こちらから見れば黒だけど、あちらから見れば白。そのグラデーションを静かに眺める。

とても信用していたひとに裏切られていた可能性を知って、状況的にその可能性はかなり高くて、ひどく落ち込んでいる。

おそろしくて、それを本人に問いただすことはできていない。

とても信用していたと書いたけれど、つまり本当は、信じ切れていないのだ。そもそも、探るようなことをしたのはわたし。

そのひとの素晴らしい部分を、わたしはたくさん知っている。

もしも裏切り行為が事実だったとして、そのひとの全部を否定することはできないけれど、どうしようもない悲しみがとまらないから、いっそまるごとを否定したくなってしまう。白黒つけたくなってしまう。わたしだって、いつもいつも正しく生きてきたわけではないのに。

「あなたはだれのことも信用していないから、そんな風ではいずれみんなが離れていくよ」

昔あるひとに指摘され、悔しくて泣き崩れたことがある。図星だった。恥ずかしかった。

裏切られるのがこわいから、信じない。いつ裏切られてもいいように、予防線を張るようになったのはいつからだろう。

その割には、毎度こうして深く傷ついてしまうのだからしんどいな。

問い詰めることをしないのは、それでもまだ、可能性を残したいから、信じたいからなのかも知れない。

こちらから見れば黒だけど、あちらから見れば白。そういうことは往々にある。というかむしろほとんどがそうだから、そのグラデーションを認めずに生きていくのは無理があって、かなりしんどい。

今はできるだけ、視点を高く、高く持ち上げて、そのグラデーションを静かに見つめてみよう。

自分が信じたいものを、信じ抜ける強さが欲しい。






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