幸せになる、ではなくて、幸せはある
どうにかこうにか幸せになりたくて、自己啓発系の本をたくさん読んできた。
どの本も、あらゆる角度から幸せに生きるための方法を説いていて、表現やテーマは違えど、ほとんどの本に共通して書かれている項目がいくつかある。
例えば、感謝をすること。掃除をすること。
それらを読んだわたしは、できる限り生活のなかに取り入れてみようと努力する。
感謝と掃除が大事というのは、それはもう身を持って実感してきた。もちろん、いつでもどこでも完璧にとは言えないけれど、少なくとも、それを意識せずに生きていたころよりも、人生は良い方に向かっていると思う。
そうやってすんなり腑に落ちる項目がある一方で、どの本にも似たようなことが書いてあるけれど、すぐには実感が伴わなかった項目がある。
それが「幸せになる、ではなくて、幸せはある」というもの。
言いたいことはわかる。わたしはおおむね健康な体を持っていて、家族がいて仕事があって、それだけでじゅうぶんに幸せなのだということも理解している。
でもその上で現に今、幸せじゃないから本に助言を求めているのに。そんな風に、置かれている状況によっては、少し拗ねたような気持ちにもなった。
幸せになる、ではなくて、幸せはある。
この言葉が体感として理解できたのは、数ヶ月前に「いいこと日記」をつけ始めてからだ。
特別深刻な悩みを抱えていたわけではないけれど、繰り返される日常になんとなく倦んでいて、漠然とした不安が時折頭をもたげる状態にあったわたしは、いくつかの本で紹介されていた「いいこと日記」をつけてみることにした。
手帳やノートに、その日心に残ったいいことを毎日書き出すというもので、スタンダードは1日に3つを書き出すというやり方みたいだけれど、わたしは特に上限を決めず思いついたまま書いている。
だれに見せるものでもないから、鼻で笑ってしまいそうな些細なことでも、恥ずかしがらずに書き出してみる。
不思議なことに、美味しいものを食べに行ったとか、プレゼントをもらったとか、そういった特別なイベントがあった日よりも、なんでもないような日の中にこそ、いいことはたくさん見つかる傾向にある。
焦点の当て方を少し変えるだけで、見えなかったものが見えてくる。そういう経験は、だれにでもあると思う。
免許を取得した途端、道路標識に目が留まる。妊娠した途端、街中に妊婦さんが一気に増える。Aを意識し出した途端、Aの情報ばかりが飛び込んでくる。
失ってから、その大事さに気づく。
どれもぜんぶはじめから、そこにあったはずなのに。
幸せはある。いまこの瞬間に集中すれば、確かに見つかる。息が吸えて、何かを感じて、悩めるということ。
自分の幸せは、自分で決めれる。
そんなのきれいごとだよなって、思うかも知れない。でも、もしも気が向いたら試して欲しい。
きっと、見えなかったものが見えてくるから。自分の人生も、そう悪くないかもって、思えてくるから。
幸せになる、ではなくて、幸せはある。
失ってから気づくのって、やっぱりちょっと、もったいないし。
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