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牛の避難訓練。2024年5月、栃木県矢板市片俣の県立矢板高校の生徒たちが行う。

こんにちは、翼祈(たすき)です。
皆さんは、乳牛がかかる病気をご存知ですか?乳牛は1年におよそ8000㎏(ドラム缶40本分)もの生乳を出します。乳牛は毎日搾乳しないと乳房炎(にゅうぼうえん)という病気を発症します。

乳房炎は、「牛の職業病」とも言えるでしょう。発症する原因のほとんどは、酵母や細菌などの微生物が侵入し、乳腺が炎症を起こします。

このことで、酪農家は病気に強い元気な牛を育てると同時に、搾乳の前後に乳頭をキレイにして消毒したり、牛の生活環境をキレイにしたりして乳房炎を予防しています。

もし、乳房炎になった牛の生乳は出荷しません。治療をして、完治してから出荷ができる様になります。

この様に乳牛はデリケートな生き物だと言えます。この記事では乳牛に限らず、和牛も災害に備えて、避難訓練をしたお話となります。

2024年5月23日、栃木県矢板市片俣にある県立矢板高校は、地元畜産農家と協力し、地震など大規模な災害が発生した時に牛を矢坂高校放牧場(およそ4.8ヘクタール)に避難させる訓練を初めて実施しました。県立矢坂高校によりますと、牛の避難訓練は全国的にも珍しいといいます。

今回は2024年5月に行われた、牛の避難訓練についてお知らせします。

2024年5月、

県立矢板高校は、高校生が環境保全などに励む「第9回全国ユース環境活動発表大会」で2024年2月、最高賞の環境大臣賞を受賞していて、その中では大規模な災害が発生した時に、地域内の牛を学校に緊急避難する計画も盛り込んでいました。

この日の避難訓練では、県立矢坂高校農業経営科の生徒が、校内の牛舎で飼育する和牛4頭を100m先の県立矢坂高校内の放牧場に徒歩で移動させたり、矢板市や塩谷町の農家から家畜運搬車で運ばれてきた和牛や乳牛トータル7頭も放牧場に避難させました。

矢板市で乳牛や和牛100頭を飼育する男性Aさんは避難訓練に参加した後、「東日本大震災の時には自分も被害を受けました。生徒がこんなに考えてやって頂いたことはありがたいです」と語りました。

参考:災害備え牛も「避難訓練」、高校生が地元畜産農家と連携…実際にやってみてわかる難しさ 読売新聞(2024年)

避難訓練を視察した、農業防災学が専門の、茨城キリスト教大学講師の男性Bさんは、「常日頃から牛舎や搬入道路のある場所などに関して、危険性をチェックしておくことが重要です」と危惧しました。

県立矢坂高校3年生の生徒は、「動かしづらい牛もいて、実際に実施してみて難しさが分かりました。本番でも安全に行える様に努めていきたいです」と述べました。

牛と災害で悲しかったこと

やはり今でも記憶に残っているのが、2024年1月1日に起きた、能登半島地震です。

2024年1月、とある牧場では、地震の被害で、牛への被害はありませんでしたが、乳牛と黒毛和牛、トータル100頭程度がいる牧場では、停電の影響で乳牛の乳を搾る搾乳機が使用できませんでした。

この時に乳房炎を発症した乳牛が3分の1程度いましたが、獣医から薬が処方され、3日後に発電機が入って、何とか牛たちの命を助けることができました。

その後浮上した問題が、断水です。

牛の飼育には大量の水が必要となりますが、その水が確保できません。牧場を経営する男性Cさんによりますと、乳をよく出す牛だと1日に100リットルの水を飲むこともあるといいます。

さらに搾乳した乳を殺菌処理するための機械の洗浄にも、沢山の水が必要となります。

そのことで、人手や場所も足りない中で、今までの態勢で牛の飼育を継続するのは困難で、牧場を経営する男性Cさんは、やむなく40頭余りの乳牛を全てを手放す決断をしました。

この巻末に出て来る男性Cさんとは違うと思いますが、断水が解消され、牛乳の出荷を再開したところもあったと、ニュースで観ました。

災害はいつ起こるか分からない、そのことで、この記事の本題の避難訓練は非常に大事なことだと思いました。


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