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【感想】狂った家族 毒親と天真爛漫のいらない子 山代深藍

子どもの頃、今の母親は本当の母親ではなく、いつか自分の元に自分のことを愛してくれる「本物の母親」が現れるのではないか、とずっと思っていた。

めっちゃわかる!!と言いたくなるような、過酷な環境で育ってきた人の、あるある本みたいな感じです笑。

普段人には言えないようなこと、なかなか理解されないような辛いことが書いてあります。

告白のなかではめずらしいそうで、男性が体験されたことを書かれています。

メールマガジンを元にした本なのでけっこう読みやすいです。これ結構リアルな生の声だなぁ…と思いました。

ここでは関係ないのですが、ちょっとだけ私も、最近あった母との「おいなりさん事件」について語らせてください笑。

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その日は、父の誕生日だった。家には出前でとったお寿司があり、それを取り分けて食べる。母は相当な偏食家なので、また、母の偏食をおしつけられた苦い過去があるので(母は朝食にいなり寿司だけを出すような人である)、なにを選ぶかは自分で気をつけることにしていた。

だけど、そのときもまた「おいなりさんは?(訳:食べねえのか?オラ)」とおいなりさんを推してきたので、ぷいっと私が顔をそむけたのだ。「汝、右の頬を打たれるなら、左の頬を差し出せ」である。するとため息をついてひとつこう言った。「ねえなんでさあ!さっきまでは楽しそうなのに、またそうやって戻っちゃうの!!?と。よくわからないし、不機嫌でいることが許されない。それはまるで壊れたおもちゃに嘆くようなものだったけれど、私にも心はあるし人間なわけで、叩けば治る機械でもテレビでもない。ただ一言、「おいなりさんは食べたくない」とだけ言えた。いつもは寡黙だったところなのだが、言えてよかったなと思っている。

「おいなりさん事件」は少しつづく。

母は基本、手作りの料理をしない。夕飯の食卓はすこしずつ、わたしがおばあちゃんに教わって作った品数が多くなってきている。それが、その翌朝はどういうわけか、キッチンには作ったばかりのお惣菜が置いてあった。

冷蔵庫の貼り紙を読むと、「主食のしょうがやきはaiが作ってくれれば(訳:食べるのに困らないから全員分作れや)」と名指しで書いてある。「誰がやるかよてか自分でやれよ」っていうのが感想であった。とはいえ今までやってきたわけだが。誰も、自分をいじめる相手に対して、もうごはんなんて作りたくないのだ。でも、実際に目の前にはめずらしく母が作ってくれたものがあるし、それを見つけたとき「おっ?」と嬉しく思ったのも事実なので、「こんなにやってくれたなら、私もやってあげなきゃなあ...」ってまてよ。

「なんでこんなことしてくれるんだろう?めずらしいな...」ふっと記憶が昨日にさかのぼる。

昨日はめずらしく反抗した。そして母はなにか私との関係でトラブルがあると、なにか目を引くものを出してくる。アメとムチのつもりかしらないが。だから手作りの料理をしたことにも合点が行く。思わず手を取りそうになったけれど、「これだけやったから、機嫌直してまたもとに戻ってくれるよね(訳:またお母さんのサンドバッグになってくれるよね)」くらいには思っていそうで、そういう意図があったんじゃなかろうかと気づく。真相は分からないけれど、「いつもそんなことしてばっかりじゃ、本当の問題解決をすることにつながらないな」と思って、それを食べるのと、家族に作るのをやめると決めた。今までまんまと乗せられてきた自分がばかだったけれど、「もうだまされないぞ~」「その手には乗せられないぞ~」って気概である笑。

もしかしたら、「本当にちゃんとした料理を出そうとしてくれた」のかもしれない。けれど、もう母によって身体を壊したので、受け取るのが怖い。そういう直感を信じる。ちなみにその日は、Kindleの料理本で読んだ「塩ハンバーグ」を作って食べました笑。

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こういった体験が、この「狂った家族」にも書かれています。もしかしたら知らないだけで、そういった衣食住にまつわるエピソードで苦しんでいる人って、いるのかもしれません。そして傷ついたという心に自覚を持っただけで、それはもう成長の第一歩なんだと思います。

ぜひ、あなたも心の声に耳を傾けてみませんか?

長話にお付き合いいただきありがとうございました😂

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