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私を生きる、この体だから
母さんが初めて眼鏡をかけるようになったのは、小学2年生の時だった。以来、大人になってコンタクトレンズを使う時期もあったけど、基本的に眼鏡は体の一部のように常に携え、眠る時もすぐそばに置いている。
両親も弟たちも眼鏡をしているから、生活習慣と言うよりは、多分に遺伝によるものなんじゃないかと思う。ただ、三姉弟では私の近視が特に強かったから、子どもの頃に読書ばかりして外遊びをあまりしなかったことは、
その宇宙の中心から見上げる空は
「それは、数字では測ることのできない距離なの」
「人の心と、人の心をへだてる距離のように」
これは、少し前に母さんがAudibleで聴いた村上春樹の小説『1Q84』に出てくる台詞だ(聴いたものを書き起こしているので、字面は違っているかもしれない)。主人公の女性が異世界から元いた世界へと帰還する前に、別れなければならない仲間と電話で言葉を交わす。遠くへ行くと言うが、どれほど遠いのかと仲間に問われ
その答えは、「面白そうだったから」。
母さんは三人の娘がいて、それなりに色んなことがあって、時々に言葉を交わし合ってきたけれど、「なんで私を産んだの?」と問われた時は、さすがに苦しくて悲しい気持ちになった。
「お前なんて産まなきゃよかった」、「産んでくれなんて頼んだ覚えはない」。
親子の葛藤シーンに出てくる定型文みたいなこんな台詞があるけど、まさか上の句なしで、下の句だけ受け取る日が来ようとは母さんは思ってなかった。
同じ問い
前略(不登校だった)15の君へ
※このテキストは親から娘にあてて書いた手紙を、娘の了解を得て公開したものです。トップ画像のカードは娘がフリースクールの先生方に終了式でお渡しするために描いたイラストで、これも本人の了解を得て使用しました。(2023/4/27追記)
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前略 いとおしい君へ
中学卒業おめでとう。
君が再び制服を着て、中学校の門をくぐる日が来るなんて、母