見出し画像

その宇宙の中心から見上げる空は

「それは、数字では測ることのできない距離なの」
「人の心と、人の心をへだてる距離のように」

 これは、少し前に母さんがAudibleで聴いた村上春樹の小説『1Q84』に出てくる台詞だ(聴いたものを書き起こしているので、字面は違っているかもしれない)。主人公の女性が異世界から元いた世界へと帰還する前に、別れなければならない仲間と電話で言葉を交わす。遠くへ行くと言うが、どれほど遠いのかと仲間に問われ、主人公はこう答えるのだ。物語の終盤、ただでさえ切ない気持ちがこみ上げてくるシチュエーションなのだけど、少し間をおいてカギ括弧二つ目の台詞が耳から滑り込んできた直後、母さんの目から涙があふれ、嗚咽が止まらなくなった。

 心と心の距離。その遠さを識るようになったのはいつだろう。

 小学生の頃、ファーストガンダムで呈示されたニュータイプという概念に強く魅きつけられた。宇宙で暮らすことによってテレパシーのような能力を身につけ、誤解なく分かり合えるよう進化した人類をニュータイプと呼び、ストーリーの中では、戦闘を経てニュータイプとしての能力に目覚めていく子ども達の苦悩が描かれていた。能力を持たない人のことをオールドタイプとも呼ぶのだけど、ニュータイプに魅かれたということは、地球出身のオールドタイプである自分は、人とは分かり合えないということを既に知覚していたということになる。そして、ニュータイプというアイデアとの出会いによって、真に人と分かり合いたいというねがいを強く意識させられたのだと思う。
 母さんは子どもの頃から人と話すのが苦手で友だちはあまりいなくて、今で言えばコミュ障だったから、余計に超能力で人と分かり合うというファンタジーにすがりたかったんだろうけど、それこそ宇宙に移住するのと同じくらい、遠い遠いおとぎ話だった。

 代わりにと言っては何だけど、母さんは本を読むのが好きで、作文は得意だった。言葉で気持ちを伝える、人と分かり合うということには希望を持っていたかもしれない。
 だけど、言葉の無力さにもやがて気づくようになる。
 それは学生時代、父さんと付き合うようになってしばらく経った頃。同じ景色を眺める二人の間に、妙なずれがあるのに気が付いた。青と緑の色の認識と、それを表す言葉の選び方が違っているのだ。
 言葉遣いは相互のずれを修正することで、揃えることが可能かもしれない。中間色のどの辺りを青・緑と表現するかは相対的な線引きだから。でも、同じものを見て自分と同じ色に感じているか否かは、相手になり替わることができなければ決して分からない。自分でない誰かの脳内スクリーンに広がる空の色が、緑色でないと誰が言えるだろう?
 そう気づいた時、とても悲しい気持ちになった。私の世界と、他の人の世界は決して交じり合わない。感覚や気持ちをそっくり共有することはできない。それは、人生を誰かと取り換えられないことと同じ、みんなそれぞれの世界を一人で生きて一人で死んでいくんだ、そう思ったから。

 肌と肌を触れ合わせていても、私が感じていることと、相手が感じていることは違う。思い描いていること、考えていることは、きっともっと違う。どんなにその人を愛していても、その人の世界は分からない。私たちは分かり合えない。
 そして、9ヶ月の間、母さんの胎内で育った君たちも、その始まりの時から母さんとは全く違う世界を感じ、違う景色を見ながら生きている。

 君たちも、きっとそんな絶望感を味わってきたんじゃないかなぁ。生まれ落ちた時からそばにいる大人でさえ、自分の本当の気持ちやねがいを察してくれない、分かってくれない。きっと何度も何度も、母さんは君たちをがっかりさせてきたんじゃないかと思う。

 母さんはコミュ障のくせに、そして分かり合えないという事実に打ちのめされているというのに、やっぱり人を分かりたいという気持ちはあるんだと思う。
 最近、子どもアドボカシーというものに興味を持って、講座を受けていた。子どもが自分の気持ちや意見を伝えられるよう、その声を聴き、表現を支援する人(アドボケイト)になれたらいいなと思って、学んでいる。その中で、子どもの心を「小さな宇宙」と表現する考えに触れ、感銘を受けた。
 宇宙は原初から、無数の星の種や可能性のエネルギーを全て内包している。その混沌(カオス)は膨張するにつれて、ある方向性の秩序を備えていくけれど、子どもの宇宙の質量は大人のそれと変わらないんだと母さんは思った。
 人の心と人の心を隔てる距離は、交わることのない宇宙のように天文学的な数字でさえ表すことはできない。決して分かり合えない宇宙の中心から、言葉や絵や踊りや触れ合いや色々な形で、人はそれぞれに交信を試みている。日々、ともに生きて、笑い合ったりいがみ合ったりしながら。

 母さんは、君たちが見ている空の色を感じられない。だけど、君たちの宇宙から発信される小さな言葉やら何やらを(それは、宇宙の質量からすれば天文学的に微かな波のようなものか)、キャッチし続けたいとねがう。たとえ、自分という宇宙の中心で、受信したそれを延々と誤変換し続けるのだとしても。
 いつか、あの世にいってしまうその日まで。

2024年2月19日 太陽水瓶座期のおしまいに

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?