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前略(不登校だった)15の君へ 

※このテキストは親から娘にあてて書いた手紙を、娘の了解を得て公開したものです。トップ画像のカードは娘がフリースクールの先生方に終了式でお渡しするために描いたイラストで、これも本人の了解を得て使用しました。(2023/4/27追記)
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前略 いとおしい君へ

中学卒業おめでとう。
君が再び制服を着て、中学校の門をくぐる日が来るなんて、母さんは思ってなかったよ。卒業式を終えた午後2時の体育館。お花も照明も紅白の幕もそのままの式場で、照れくさそうに君は目を細めて、卒業証書を受け取ってお辞儀をしてみせた。
晴れ着姿のまま、式を執り行ってくださった校長先生をはじめ学年やクラスの先生方に、元気な姿を見せることができて良かったと思う。そういう先生方の気持ちに応えられるだけの気力を、君が君自身の力で取り戻せたことを、母さんは本当にうれしく思う。

君が学校にぱったりと行けなくなったのは、小学6年生の夏休みを過ぎてからだった。4年生の頃から段々と登校が難しくなっていったと思うけど、母さんは宿題やドリルをこなして、毎日学校に通うことが一番いいことだと信じていたから、君のしんどさや気持ちをちゃんと汲み取れてなかった。君の話を聴くようなフリをして、その代わりに説得や誘導をしていたような気もする。君はとても辛かっただろうと思う。

学校を休む日が少しずつ増えて、6年生の修学旅行が終わってしまうと、君には学校に行く動機がすっかりと無くなってしまった。
母さんは間違っていた。
君が辛そうにしていた時、すぐに学校を好きなだけ休んでもらって、その日一日を安心して過ごせるよう、少しでも今という時間をハッピーにできるように心を砕くべきだった。
いつか学校に通えるようにとか、そんな明日なのか、一週間後なのか、一年後なのか、君にも誰にも分からない先のことはさっさと放り出さなければならなかった。

もう学校に足が向かない。起きられない。
大人がそんな風になったら、心の病気を疑って病院に行くだろう。少なくとも、周りの大人はそれをすすめると思う。
子どもだって同じはずだ。むしろそこまでになった子どもの心は、大人より深く傷ついて疲れ切ってるのかもしれないのに。

学校に行けなくなった理由は多分ひとつじゃない。いじめがあった訳ではないと君は言う。直接自分が傷つけられるのではなくても、ギスギスした友だち間の雰囲気に君は心を痛めていた。宿題も友だち関係も先生の言動も他の色々なことも、大人が決めた窮屈な枠の中で、絡み合ってもつれて、それらが君をだんだんに無気力にしたんだと思う(母さんも大人の一人としてそれに加担した)。
文部科学省の調査では不登校の原因の多くは「無気力」なんだって。今の君はそれを聞いて笑うかもしれない。我が家の三姉妹の中でも、一番「無気力」とはほど遠かった君から、一時は文字通り生きる気力さえも奪ったのは一体何だったのだろうね?

一方で、君が学校に通えるようになる最低限の条件が何なのか、それが明らかになった出来事が母さんは忘れられない。
それは、小学校の卒業式の直前、コロナ禍で「自由登校」になった時。つくば市では一律の休校ではなく、事情がある子は学校に来てもいいことになった。
学校に来ても来なくてもいい。来た子は何をしてもいい。そうなった途端、君は久しぶりに学校に行った。ランドセルに、粘土やハサミを詰め込んで。
「主体性が発揮できる場であれば、私は学校に行きたい」。
教科書やノートが入っているのではないことが明白な、カタカタと音の鳴るランドセルを背負った君の後姿は、無言でそう訴えているように母さんには思えた。

君は地元の中学校に行きたいと言った。ステージが変わったら自分も変わるんじゃないかと希望を持っていた。母さんは半信半疑だったけど、新天地に向かうほど、君の心はそもそも元気ではなかった、後から振り返るとそういうことだったのかもしれない。
ともかく、君は結局継志式(という名の入学式)を迎えることができなかった。コロナ禍でようやく始まった分散登校に数度登校したきり、学校に行けなくなった。忘れ物をしたクラスメイトが先生に怒鳴られるのを見て、もうダメだと思ったと言う。新学期の開始が大幅に遅れ、先生方も焦っていたのだろう。中学校でリセットできるかもという君の希望は、式を待たずふっつりと絶たれてしまった。

とはいえ、コロナ禍は私たち親子に穏やかな時間をくれたようにも思う。
オンライン授業のためにと買ったPCで、君はオンライン上の居場所に繋がることができた。PCは学習には全く活用されなかったけど、家以外に親も知らない居場所があるのは悪い事じゃないと母さんは思ったから、それを買う口実があったのは良かった。
液晶タブレットで描いたイラストを、いつの間にか作ったツイッターのアカウントでアップするようになってたのには驚いたけど、そういう風に自力で世界を拡げていけたのは、デジタルツールや端末があったからこそ。タブレットは高価だったし、買う時には母さんも大分渋い顔をしてたと思うけど、今はアレはとても良い買い物だったと思ってる。何とか買ってほしいと頑張って粘った君は偉かった。

中1の夏から通い始めたフリースクールには、とても助けてもらった。
行った時は温かく迎えてくれて、決して来ることを無理強いしない。母さんよりもずっとずっと辛抱強く、君のペースを大事にしてくれた。
母さんは上の姉ちゃんたちの子育てで何となくベテラン母さんになったつもりでいたけど(おまけに、エラそうに思春期とか性教育とかの先生をしてる)、何にも分かっちゃいなかったってことを、君と、フリースクールの先生たちに教えてもらった。
「無気力」を治すのって、いや違う治るのって、とてもとても時間のかかる、想像以上に根気のいることだった。母さんが、そう腹を括るのに時間がかかってしまったことも、余計にその時間を延ばしてしまったと思う。
親が目標を立てちゃいけない。意味がないから。
少し幸せなこともあったかなと思える一日とか、明日があってもいいかなと思える今日とか。
それをただただ連ねていくこと。今日が昨日より良く思えなくてもがっかりしないこと。今日生きていれば明日はやってくるから。
だから、中3の夏になっても、母さんは進学の事をあまり考えないようにしていた。高校って生涯学習の範疇だから、来年の春に慌てて進学することはないよって君に言っていたと思う。

フリースクールでもなかなかスムーズに人と言葉を交わせないって言っていた君が、中3の夏あたりから急に変わった。親とか家族とかも敵わない、「友だち」ってやっぱりすごい。パワーを引き出してくれる貴い存在だね。
フリースクールが今の形での運営になって2年近くが経っていた。先生たちは子ども達の在り様をじっくりと見守ってくれた。君に訪れた明るい兆しは、ようやくその場が安心してコミュニケーションできる場に育ってきたという事でもあったと思う。先生たちが耕した畑に、ようやく芽が出て双葉が開いた、そんな感じだったのかな。その頃からスクールの中学生たちが互いに誘い合って映画を見に行ったり、家に遊びに行ったりするようになった。ハロウィンのイベントでは、示し合わせてわざわざ中学校の制服を着て出かけたりもしていた。
そんな子ども達の姿を見て、うれしくてたまらない気持ちになったのは、きっと母さん一人じゃなかったと思う。

あとはもう、びっくりするくらい、君が自分で元気になって、色んな事を決めていった。
高校に進学することも、進学する先も、中学校の卒業式には出席しないことも。
だから、卒業式の前の週に学校からかかってきた電話を君がとって、それがどうやら卒業式に参加するかどうかの確認らしいと分かった時、当然君は断るんだろうと思いながら、母さんは耳をそばだてていた。いくらかのやり取りの後、「行きます」と言う声が聞こえてきた瞬間、「行くんかいっ!」って母さんは茶化したくなるくらい、オドロキとうれしさが入り混じった妙な気持ちになったんだ。

こんな手紙で、母さんは一体何を言いたいの?って君は思うかもしれない。
母さんにもよく分からないんだけど、とにかく君が元気になってうれしいってことと、君が元気になったのは君自身の力だってことを伝えておきたかったんだ。
そして、君があんなに落ち込んでしまったのは、母さんの責任でもあるってことを、ちゃんと君が色々な事を憶えているうちに確認して記録しておきたかったんだ。

中学の3年間、本当によく頑張ったね。
母さんも君と一緒にかけがえのない経験ができたと思ってる。そんなこと言われても、君は別にうれしくもないだろうけど、母さんは君にたくさん感謝してる。ありがとう。
高校ではずいぶん遠くに離れて暮らすことになるけど、母さんはあんまり心配してない。ただ、体に気を付けてねってことと、弱音を吐きたくなったらいつでも吐いてほしいってことはお願いしておくよ。

あと数日したら、フリースクールの方の終了式(修了ではないみたい)もあるね。その時には、もう一回お祝いの言葉を言うよ。

草々(wwじゃないよ) 母さんより

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