初めてのお産をしたその日に、母さんは一通の手紙を預かった。それは、家の郵便ポストに届いたのではなく、ネット上の日記に投稿されたテキストで、生まれたばかりの君にあてて書かれたものだった。
2001年2月、21世紀に時が移ってすぐのこと。手紙を書いたのは「ざっく」と名乗り、モー娘のあややや競馬について(そして時に母さんが書いた競馬の記事について)の評論めいた文章を綴っていた人だった。母さんはその人に会ったこともないし、その人の顔も本名も知らない。ざっく氏の日記がほどなくしてネット上から消えてしまうと、接点を持ちようもなく、今も生きているのかさえ知れない。
新世紀を生きる君たちは、そういったネット上での繋がりの「軽さ」を、不思議とも思わないのかもしれない。だけど、対面で交わす言葉よりも、もう少し重ためのテキストをやり取りしていたざっく氏との繋がりが、切れるとも切れないともつかないままに途絶えてしまったことは、当時の母さんにはだいぶ残念なできごとで、今もふとした折に、ざっく氏の存在が意味ありげな「凹み」のように思い出される。
ああ、前置きが長くなっちゃったね。
ざっく氏がくれた手紙は、「こひつじくんへ」という投稿だった。
母さんは初めての妊娠生活を「私の中の小さなおさかな」というタイトルのエッセイに綴り、メールマガジンとして発行していた。”こひつじくん”というのはつまり、母さんのハンドルネーム(ネット上のニックネーム、今の言い方がパッと思いつかない…アカウント名?)が”ひつじ”だったからで、マガジンの読者でもあったざっく氏は、ひょっとしたら生まれる前から心の中で君のことをそんな風に呼んでくれていたのかもしれない。
以下が、その手紙の全文だ。
この手紙をいつか君に渡そうと思いながら何となく月日が過ぎて、もう22年も経ってしまった。
君だってざっく氏に会ったことがないし、これからも会うことはないのだろうけれど、世界のどこかで君のことを思い、お誕生を祝福してくれた人がいた、そういう世界に君は生まれてきたんだっていう証として、いつか君がとても辛い目に遭って、世の中が信じられなくなった時に、そっとこのテキストを手渡そうと思ってしまってあった。だけど、君は(母さんが知る限りは)多分そんな目に遭うことなく大人になり、今もはたから見ると楽しそうに生きている。
君のあとに二人の娘も授かって、ゆっくりと流れる一日と、ざぁっと過ぎる一年とを連ねてきて、母さんは手紙の中に書かれていた事はすっかり忘れていた。「夕焼け小焼け」のメロディーと温かな言葉の感触だけを時々思い出すだけになっていた。
なので、君たちに手紙を書くことにした。と宣言するこの文章を書き始めた時には、ざっく氏からの手紙について触れるつもりは全くなかった。これまで君たちと生きてきて感じたこと、やらかしてしまった失敗、貴い学び、そういった事々を、少しずつ取り出して手紙という形で世の中に出してみようと心に決めたなんてことをつらつらと書いていたら、ふとざっく氏から預かったままになっている手紙のことが頭をよぎったので、おそらく20年ぶりくらいに旧いハードディスクに保存してあったHTMLファイルを開いて(スクショを開くような感じかな)、全文を読んでみたのだった。
思いのほか長かったテキストを、母さんは途中から溢れてくる涙と鼻水でぐしょぐしょになりながら読んだ。ふんわりとした淡い記憶しかなかったから、とんでもない不意打ちをくらった気分になった。けれども、このタイミングで手紙を読み返し、こんな形でようやく手渡すことになったのも半ば必然であったように思える。
君たちと生きていくことが、そのまんまに「勉強ちゅう」の掛け替えのない時間であることを、手紙を受け取った時の母さんには理解しようもなかった。ようやく出産を終えたばかりで、当たり前と言えばそうだったのだけど。
今読むと、まるで答え合わせのように、ざっく氏の言葉は「勉強ちゅう」だった時間を照らしてくれる。そして、それこそが、母さんがこんな風にテキストを残そうと考えた動機なんだと分かったんだ。
そんな訳だから、君たちへの手紙という形式で、こんなテキストをnoteに上げることを許してほしい。次からは読まなくてもいいから。ざっく氏の言葉を借りるなら”きみだけしか、みたりきいたりすることのできないこと、たくさんあるから”、母さんの言葉に構うことはない。母さんにとって、君たちに伝えたいと思えることが、イコール世の中に伝えたい意味のあることなんだ。誰かが受け取って何かを感じてくれたらそれで十分だ。それが娘である君たちでなければならないなんて、母さんは考えていない。うっかり読んでしまって、嫌な気持ちがしたらいつでも言ってほしい。君たちもよく知っているように、母さんは時々ちょーしこいて、デリカシーのない言動をとってしまうことがあるから。苦情はいつでも受け付けるよ。
有難いことに、君たちとの時間の終わりは今のところ全然見えない。
ざっく氏の手紙にもあるように、これからも母さんに色々教えてくれたらうれしい。ずっとずっと勉強ちゅうだからさ。