![マガジンのカバー画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135369334/1c207263273cae461b6a43e302d96ce5.jpeg?width=800)
- 運営しているクリエイター
#非二元
「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です
私たちは「本当の幸せ」を忘れて知らないこの世界の中には自分を幸せにしてくれるものや自分を満たしてくれるものがたくさんあるかのように見えます。
ただし、そのどれもが、所詮、仮の、一時的な、代用、代替にしかすぎないといえます。
それが、非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティが教えていることです。
ノンデュアリティのスピリチュアリティを探究していくのであるならば、当然、そういうことを理解
私たちが見ている世界について、私たちは何も分かっていない
この世界は夢は夢でも悪夢なのだということコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びを通して、私たちは何を学んでいくのでしょう?
もちろん、「この世界は幻想である」「この世界は夢である」という概念がその中心的な教えであるわけです。
ただ、その教えは、非二元(ノンデュアリティ)を少しでもかじったことのある人であるならば誰だって知っていることだといえましょう。
「この世界は幻想(夢)である」
すべてが愛だと知覚されていないなら、そのような知覚になるまで訓練するしかありません
なぜ私たちは学びと訓練が求められているのか?すべては愛です。
すべては完璧です。
あなたもそのままで完璧なのです。
そのままですべてが愛の現れでしかないのです。
いまここにリラックスしてゆだねていればいいのです。
だいじょうぶ、、、大丈夫、、、
というようなことが、ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティで語られている内容です。
そして、それは確かに真理を述べているといえます。
スピリチュアルでいう高次元世界とは
幻想は幻想でしかないスピリチュアルでいう高次元世界とは、いったいどういうものなのでしょう?
非二元から見るならば、それがどんなに高次元、高波動なものであろうと、幻想は幻想でしかありません。
それらすべてが神のひとり子が見ている夢にしかすぎないということです。
つまり、それらは「無」だということです。
それが、純粋な非二元の教え(真理)です。
真理から見るならば、この世界の夢を見ているこ
自分は病んでいると自覚するなら、癒しを望まないわけがありません
私たちはみんな病んでいるコース(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?
というなら、それはまさに「心理学」であると言うことができます。
もちろん、コースは一元論(非二元)のスピリチュアリティであるわけですが、そのもっとも特徴的なところが「心理学」と融合しているところだといえるでしょう。
それというのも、そもそもコースは心理学者であるヘレン・シャックマンによってチャネリングされて書き
私たちは自分の内側のどこかで天国の記憶を覚えている
スピリチュアルの探究の旅の果てに私たちは誰もがみんな、自覚していない無意識の深いところでは天国の記憶を覚えているのだといえます。
その記憶とは、私たちは一つでつながっていた(ワンネスだった)というものであり、幸せと喜びに満ち溢れていたというものであり、完全無欠であったという記憶です。
その記憶を覚えているからこそ、私たちは誰もがみんな「幸せ」を探し求めているのだと言うことができます。
言い換
この世界を忘れ、このコースを忘れ、両手をまったく空にして
コースに対する思い入れの変化2023年を迎えました。
これまでコースの学びや実践についてあれこれと綴ってきました。
コース(奇跡のコース/奇跡講座)とは、どのようなものか?
というテーマで、私自身が学んだことを整理するつもりで書き綴ってきたわけですが、コースの学びが深化していくにつれて、若干、自分の中においてコースに対する思い入れが変わってきたように感じる次第です。
というのも、コースが
完全なる悟りに至っていないなら、目覚めてはいないということ
「自分は目覚めている」と思っている人たち「自分は目覚めた、j悟った、わかっちゃった」と思っているスピリチュアリスト、ノンデュアリストを巷でよく目にします。
ただし、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から見るならば、彼らの「目覚め」「悟り」というものが、真の非二元の「目覚め」「悟り」とは異なった定義をしていると言うことができます。
つまり、コースでいうところの「目覚め」は彼らが捉え
二元性(デュアリティ)と非二元(ノンデュアリティ)
自分と自分以外というものの見方ふだんの私たちは、この世界を認識するとき、自分と自分以外、というふに知覚しています。
自分がいて、自分以外の他の存在がいる、世界がある、というふうにです。
実際のところ、自分は存在しているし、その自分を世界が取り囲んでいるように見えているのが、私たちの通常の知覚の仕方だといえます。
そう、そこに見えているのが、いわゆる「二元性の世界」というものです。
そして、