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A Course in Miracles について

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『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
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#非二元

「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です

「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です


私たちは「本当の幸せ」を忘れて知らないこの世界の中には自分を幸せにしてくれるものや自分を満たしてくれるものがたくさんあるかのように見えます。

ただし、そのどれもが、所詮、仮の、一時的な、代用、代替にしかすぎないといえます。

それが、非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティが教えていることです。

ノンデュアリティのスピリチュアリティを探究していくのであるならば、当然、そういうことを理解

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私たちが見ている世界について、私たちは何も分かっていない

私たちが見ている世界について、私たちは何も分かっていない

この世界は夢は夢でも悪夢なのだということコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びを通して、私たちは何を学んでいくのでしょう?

もちろん、「この世界は幻想である」「この世界は夢である」という概念がその中心的な教えであるわけです。

ただ、その教えは、非二元(ノンデュアリティ)を少しでもかじったことのある人であるならば誰だって知っていることだといえましょう。

「この世界は幻想(夢)である」

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ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティに迷走する者たち

ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティに迷走する者たち

目覚め、悟り、非二元って何だ?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、「目覚め」「悟り」「非二元」「真理」へと至るためのスピリチュアリティであることは周知のとおりです。

それゆえ、最近では、ノンデュアリティのスピリチュアリストたちの中でもコースに関心を抱いている方々も少なくはありません。

ただし、そこで言えるのが、

そもそも、目覚め、悟り、非二元とは、いったいどういうものなのか?

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ご挨拶

ご挨拶

『ア・コース・イン・ミラクルズ』の学びを通して一元論のスピリチュアリティを探究する私は、2008年よりコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいます。

それ以前は、20代の頃より仏教やヨーガ哲学に興味を抱いて一元論のスピリチュアリティを探究していました。

いわゆる、「悟り」「解脱」というものを探究し続けていたわけです。

そんな私がコースを学んで実感しているのは、これまで探究してきた

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すべてが愛だと知覚されていないなら、そのような知覚になるまで訓練するしかありません

すべてが愛だと知覚されていないなら、そのような知覚になるまで訓練するしかありません

なぜ私たちは学びと訓練が求められているのか?すべては愛です。

すべては完璧です。

あなたもそのままで完璧なのです。

そのままですべてが愛の現れでしかないのです。

いまここにリラックスしてゆだねていればいいのです。

だいじょうぶ、、、大丈夫、、、

というようなことが、ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティで語られている内容です。

そして、それは確かに真理を述べているといえます。

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「想念はその源を離れない」の意味?

「想念はその源を離れない」の意味?

原因と結果は離れない想念はその源を離れない。

それはどういう意味なのか?というなら、いわゆる、原因と結果は離れないということです。

つまり、主体と客体は離れていないということであり、それらは別々なのではないのだということ。

それが、非二元というものです。

そもそもが、すべては一つである(一なるものである)ということです。

それを、「ワンネス」と呼んでいます。

つまり、知覚しているものと

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スピリチュアルでいう高次元世界とは

スピリチュアルでいう高次元世界とは


幻想は幻想でしかないスピリチュアルでいう高次元世界とは、いったいどういうものなのでしょう?

非二元から見るならば、それがどんなに高次元、高波動なものであろうと、幻想は幻想でしかありません。

それらすべてが神のひとり子が見ている夢にしかすぎないということです。

つまり、それらは「無」だということです。

それが、純粋な非二元の教え(真理)です。

真理から見るならば、この世界の夢を見ているこ

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自分は病んでいると自覚するなら、癒しを望まないわけがありません

自分は病んでいると自覚するなら、癒しを望まないわけがありません

私たちはみんな病んでいるコース(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?

というなら、それはまさに「心理学」であると言うことができます。

もちろん、コースは一元論(非二元)のスピリチュアリティであるわけですが、そのもっとも特徴的なところが「心理学」と融合しているところだといえるでしょう。

それというのも、そもそもコースは心理学者であるヘレン・シャックマンによってチャネリングされて書き

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私たちは自分の内側のどこかで天国の記憶を覚えている

私たちは自分の内側のどこかで天国の記憶を覚えている

スピリチュアルの探究の旅の果てに私たちは誰もがみんな、自覚していない無意識の深いところでは天国の記憶を覚えているのだといえます。

その記憶とは、私たちは一つでつながっていた(ワンネスだった)というものであり、幸せと喜びに満ち溢れていたというものであり、完全無欠であったという記憶です。

その記憶を覚えているからこそ、私たちは誰もがみんな「幸せ」を探し求めているのだと言うことができます。

言い換

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この世界を忘れ、このコースを忘れ、両手をまったく空にして

この世界を忘れ、このコースを忘れ、両手をまったく空にして


コースに対する思い入れの変化2023年を迎えました。

これまでコースの学びや実践についてあれこれと綴ってきました。

コース(奇跡のコース/奇跡講座)とは、どのようなものか?

というテーマで、私自身が学んだことを整理するつもりで書き綴ってきたわけですが、コースの学びが深化していくにつれて、若干、自分の中においてコースに対する思い入れが変わってきたように感じる次第です。

というのも、コースが

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自己紹介

自己紹介

私は、2008年からコース(ア・コース・イン・ミラクルズ/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいます。

厳密に申しますならば、『ア・コース・イン・ミラクルズ』という霊性の道を通して一元論のスピリチュアリティを学んでいると言った方が正確かもしれません。

というのも、コースでなければならないというふに、コースに固執しているわけではないからです。

さまざまにある一元論(非二元)のスピリチュアリティの中

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完全なる悟りに至っていないなら、目覚めてはいないということ

完全なる悟りに至っていないなら、目覚めてはいないということ

「自分は目覚めている」と思っている人たち「自分は目覚めた、j悟った、わかっちゃった」と思っているスピリチュアリスト、ノンデュアリストを巷でよく目にします。

ただし、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から見るならば、彼らの「目覚め」「悟り」というものが、真の非二元の「目覚め」「悟り」とは異なった定義をしていると言うことができます。

つまり、コースでいうところの「目覚め」は彼らが捉え

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二元性の思考体系からの脱却を目指して

二元性の思考体系からの脱却を目指して


この世界の考え方はまともじゃないことを悟るたぶん、私が記事で述べていることについて「理解できない」と感じていらっしゃる方々もけっこうおられるのだと思います。

それでも何か惹かれるものがあって、あるいは何か共感するものがあって、読んでいただいているのだと思います。

(そうでなければ、このわかりにくい記事を読もうとは思わないはずです。)

もし、私が書いている内容が分かりにくい、難しい、理解でき

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二元性(デュアリティ)と非二元(ノンデュアリティ)

二元性(デュアリティ)と非二元(ノンデュアリティ)

自分と自分以外というものの見方ふだんの私たちは、この世界を認識するとき、自分と自分以外、というふに知覚しています。

自分がいて、自分以外の他の存在がいる、世界がある、というふうにです。

実際のところ、自分は存在しているし、その自分を世界が取り囲んでいるように見えているのが、私たちの通常の知覚の仕方だといえます。

そう、そこに見えているのが、いわゆる「二元性の世界」というものです。

そして、

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