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A Course in Miracles について

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『A Course in Miracles』(奇跡のコース/奇跡講座)とはどういうものなのか?についてもりGの経験的な視点からみたnoteコラム
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私たちは誰で?何をしているのか?

私たちは誰で?何をしているのか?

真実を理解/認識しないかぎり、けっしてその闘いが終わることはないこの世界で私たちは何を経験しているのか?

というなら、

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点からいえば、神のひとり子がある一つのストーリーを妄想し続けているだけなのだと言うことができます。

そのストーリーとは、神に闘いを挑み続ける、というストーリーです。

その「神との闘い」のストーリーをこの世界にさまざまな形態に投

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これまでの古い(自我の)見方、考え方から脱却して、新しい(聖霊の)見方、考え方へとシフトしていくために

これまでの古い(自我の)見方、考え方から脱却して、新しい(聖霊の)見方、考え方へとシフトしていくために

自我は四六時中いつも語りかけている自我はひとときも休まることがありません。

自我は止むことなく、いつも語りかけてきているといえます。

思考(考え)の一つ一つをよくよく観察していくならば分かることですが、それが自我の声(思考)であることは明らかです。

ただし、普段の私たちは、まさかそれが自我の声(思考)であるとはまったく自覚/認識していません。

しかも、それが自分自身を傷つけ、苦しみをもたら

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真新しい思考体系を学んでいくうえでの心構え

真新しい思考体系を学んでいくうえでの心構え


コースは従来のスピリチュアリティとはまったく異なるものである実際、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを本当に理解するようになるならば、コースは私たちが思っているようなものとはまったくちがうということが分かってきます。

コースというスピリチュアリティは、自分たちが思っているようなモノではないどころか、それを遥かに超えていくモノであるということです。

ですから、コースを本

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私たちはどのようにして本当の喜びを見つけられるのでしょう

私たちはどのようにして本当の喜びを見つけられるのでしょう

喜びのない場所コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は私たちに何を教えてくれているのか?

というなら、

この世界には喜びも幸せも希望もないということ、
そして、
本当の喜びや幸せはどこにあるのか?

ということについて教えてくれていると言うことができます。

例えば、コースのテキストでは、この世界について「喜びのない場所」というふうに表現しています。

それと同時に、そこで述べられているの

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逃亡者となってしまっている私たち

逃亡者となってしまっている私たち

この逃亡者のストーリーは、この世界に居る私たちに共通する神話だといえましょう。

逃亡劇のストーリー自分が神を殺害した張本人であるにもかかわらず、
つまり、殺害者であるにもかかわらず、
その罪から逃れるために、
私たちは、さまざまな工作をすることになったのです。

その工作とは、
自分こそが被害者となり替わって、
自分以外のものに罪を擦(なす)りつけるというものです。

さらには、
自分は卑小な者

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「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です

「幸せ」への入り口は何処にあるのか?というなら、それは「いま」です


私たちは「本当の幸せ」を忘れていて知らないこの世界の中には自分を幸せにしてくれるものや自分を満たしてくれるものがたくさんあるかのように見えます。

ただし、そのどれもが、所詮、仮の、一時的な、代用、代替にしかすぎないといえます。

それが、非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティが教えていることです。

ノンデュアリティのスピリチュアリティを探究していくのであるならば、この世界のどこをさが

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コースは学ばなければならないものなのでしょうか?

コースは学ばなければならないものなのでしょうか?

死によってではなく真理によってこの世を去るコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は学ばなければならないものなのでしょうか?

というならば、それはNOです。

コースを学ばなければならないということはまったくありません。

それは義務(必修科目)ではありません、ということです。

たしかに、コースには「必修科目である」(T-in.1:2)というふうに述べてありますが、そのメッセージはコースを口

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コース学習者の私たちが実践でフォーカスしていくべきものとは

コース学習者の私たちが実践でフォーカスしていくべきものとは


コースという霊性の道の特徴的なところコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいく上で、私たちが知っておかなければならないのは、コースは非二元の霊性の道ではありますが、愛や真理について学んでいくようなスピリチュアリティではないということです。

そのことについては、コースのテキストの序文ではっきりと述べられています。

それがどういうことかというと、私たちがしていく実践は、いわゆる、神、

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「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか

「奇跡」によってもたらされる知覚とはどのようなものなのか


「奇跡に難しさの序列はない」についてコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の中で奇跡の第一原理として示されている概念が、「奇跡に難しさの序列はない」というものです。

この概念は、コースを実践していく上でもっとも理解しておくべき重要な考え方であり、私たちがこの世界の夢から自由になっていくために必ず修得しなければならない考え方であるということを知っておきましょう。

その修得なくして、イエス/

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二元性を超えた世界を知覚し始めて分かってくるもの

二元性を超えた世界を知覚し始めて分かってくるもの

コースの内容がさまざまに解釈されていることについて私自身、その学びは今も尚、深化し続けていると言うことができます。

ただ、この私にとって、その学びがコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)というスピリチュアリティの枠組みに限定することができなくなっているというのが正直なところです。

それというのも、コースに対する認識が少しばかり変わってきていて、『ア・コース・イン・ミラクルズ』というもの自体

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見ないかぎり、直視しないかぎり、取り消しはなされない

見ないかぎり、直視しないかぎり、取り消しはなされない


私たちがしなければならいのは「見る」ことコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践で私たちがしていかなければならないのは、「見る」ことをしていくということです。

何を見るのか?というなら、内側にあるものを見ていくということです。

逆に、「見る」ことをしないとき、それを「否認、抑圧、隠蔽」と呼び、私たちは見ないことによって実在しない幻想を保持し続けていると言うことができます。

コースで

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私たちが見ている世界について、私たちは何も分かっていない

私たちが見ている世界について、私たちは何も分かっていない

この世界は夢は夢でも悪夢なのだということコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びを通して、私たちは何を学んでいくのでしょう?

もちろん、「この世界は幻想である」「この世界は夢である」という概念がその中心的な教えであるわけです。

ただ、その教えは、非二元(ノンデュアリティ)を少しでもかじったことのある人であるならば誰だって知っていることだといえましょう。

「この世界は幻想(夢)である」

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夢から目覚めるのは誰なのか?

夢から目覚めるのは誰なのか?


自分と思っているこの「自分」が目覚めるのではないコース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)はこの世界の夢から目覚めることを最終的な目的としています。

ただし、私たちが勘違いしがちなのが、自分と思っているこの「自分」が目覚めるのだと思っているということです。

そうではありません。

この「自分」が目覚めるのではありません。

この「自分」が完璧になるのではありません。

そもそも、この「自分(

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ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティに迷走する者たち

ノンデュアリティ(非二元)のスピリチュアリティに迷走する者たち

目覚め、悟り、非二元って何だ?コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)は、「目覚め」「悟り」「非二元」「真理」へと至るためのスピリチュアリティであることは周知のとおりです。

それゆえ、最近では、ノンデュアリティのスピリチュアリストたちの中でもコースに関心を抱いている方々も少なくはありません。

ただし、そこで言えるのが、

そもそも、目覚め、悟り、非二元とは、いったいどういうものなのか?

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