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ご挨拶

『ア・コース・イン・ミラクルズ』の学びを通して一元論のスピリチュアリティを探究する

私は、2008年よりコース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいます。

それ以前は、20代の頃より仏教やヨーガ哲学に興味を抱いて一元論のスピリチュアリティを探究していました。

いわゆる、「悟り」「解脱」というものを探究し続けていたわけです。

そんな私がコースを学んで実感しているのは、これまで探究してきた様々な一元論、非二元のスピリチュアリティの中でも、コースはかなりの優れものであるということです。

心理学に基づいてしっかりと体系立てられたその形而上学(理論/教え)には曖昧さや妥協といったものが一切なく、だからこそ、学んでいけばいくほど明瞭な体験的理解がもたらされていくからです。

そう、コースはまさに心理学であり、学術的に学んでいくことができるのがその特徴だといえます。

そして、このコースはとても実用的であるということです。

実際に、コース形而上学が正しく理解されて、その理解に基づいて実践していくならば、真の知覚(ヴィジョン)が開かれて、自分は誰で、どこにいて、何をしているのか?が自覚/認識されるようになっていきます。

それを一元論、非二元のスピリチュアリティでは「目覚め」「悟り」というふうに呼んでいるわけですが、そういうことから言っても、コースは一元論、非二元のスピリチュアリティを探究していく者にとって有益なスピリチュアリティ(霊性の道)であると言うことことができるでしょう。

ただし、コースはそう容易く学んでいけるようなスピリチュアリティではないということも知っておく必要があります。

コース形而上学の内容を理解していくことはかなり難しいといえるからです。

コースの教えはとても難解であるがゆえに、コースが都合良く歪曲されて、その教えが曲解、矮小されて学ばれてしまうということが頻繁に起きていると言わざるを得ません。

それを否定するわけではありませんが、そうなってしまうならば、コースの学びそのものがまったく無意味なものになってしまいかねないということです。

せっかくコースという素晴らしいスピリチュアリティを学んでいるからこそ、コースが教えていることを正しく真に理解し、しっかりと修得していきたいものです。

コースが正しく学ばれ、正しく実践されていくならば、あなたの見ている世界がこれまでとはまったくちがう知覚へとシフトしていくと共に、自分とは何者か?が次第に思い出されていきます。

この霊性の道の歩みは一歩一歩ずつしか進んでいかない地道な道ではありますが、それと同時に確実な道であると分かってくることでしょう。

私自身、今は、コースの枠組みを超えて、コースでなければならないという想いはほとんどありません。

それでも、やはりコース形而上学の素晴らしさは実感しているので、私がこれまでの学びと実践を通して理解したもの、修得したもの、体現したものをシェアするというかたちで、コースの深淵なところをできるかぎり歪曲することなくみなさまにお伝えしていこうと思っています。

それが、みなさまにとってコースという霊性の道を歩んでいくうえでの助けになれば幸いです。

もりG




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