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もりGのコース経歴


これまでの私のACIM学習の歩み

私がコース(ア・コース・イン・ミラクルズ/ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)と出会ったのは2008年のことです。

『ア・コース・イン・ミラクルズ』(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)というスピリチュアリティ(霊性の道)の存在を知ったときの衝撃は忘れられません。

探していたのはこの(霊性の)道だ!これしかない!

と直感したのと同時に、

やっと見つけた!

という感覚を覚えたのを記憶しています。

『ア・コース・イン・ミラクルズ』(※以下、「コース」と呼びます)は、それまでの自分が知っている一元論のスピリチュアリティ(霊性の道)とはまったくちがったもののように直感したのです。

コースに出会う以前にも、私は原始仏教、チベット密教、YOGA、タオ、アドヴァイタといった東洋の思想に傾倒していたこともあって非二元(一元論)の教えにはかなり慣れ親しんでいたわけですが、

コースはキリスト教用語で書かれてあり、それまで慣れ親しんでいたものとは、まったくちがっていて、とてもセンセーショナルだったのを覚えています。

自分は誰で、どこから来て、どこに向かうのか?

なぜこの世に生まれて、何のために生きているのか?

人生とは何なのか?

人生の本質に関する疑問にかられ、その答えを求めてスピリチュアルな探究の旅をし続けてきたわけですが、

そんな私にとって、コースはずっと探していたスピリチュアリティ(霊性の道)だと直感的に確信したということです。

そこから私のコース学習の歩みがはじまったと言えますが、ただし、その歩みはスムーズに現在に至ったわけではけっしてありません。

紆余曲折があったことは否めません。

それは、コースを学びはじめてから二年くらいが経った頃でしょうか。

その学びのプロセスの中で、私は幾度かに渡って覚醒体験、至高体験の経験をしました。

もちろんコースの教えからするならば、そういった体験はまったくゴールとするところではないわけですが、その当時の私はまだコースの学びが浅かったこともあり、幾度かの覚醒体験/一瞥体験によって「自分はもうコースの学びを完了した」と勘違いを起こしたわけです。

「自分はもうコースを学ぶ必要はない」と思った私は、コースの学びから離れたのでした。

そして三年間ほどでしょうか、コースのスピリチュアリティからまったく離れた時期を過ごすという経験をすることになったのです。

コースの教えをしっかり理解していたならば、たとえ非二元の一瞥、いわゆる「悟り」を一瞥したとしても、当然、コースはそれをゴールとはしていないということをわきまえていたことでしょう。

そう、自分が経験した覚醒体験/一瞥体験というものはまったくのゴールではなかったわけです。

ちなみに、コースでは、覚醒体験/一瞥体験を「啓示体験」と呼んでいて、たんなる目的地(到達地点)を一瞬垣間見ただけにすぎないものとして捉えます。

実際のところ、そういうことを理解するようになるまでにも、数年のコースの学びを要したと言うことができます。

ようするに、当時の私はコースの教えをまったくと言っていいほど理解していなかったということです。
(そのようようなことは、コース学習者において当たり前によくあることだといえます。)

そのようにして一度はコースの学びからまったく離れた期間を過ごしたわけですが、結局は、また再びコースの霊性の道に戻ってきたというということです。

再びコース学習に戻ってくることになった要因は?

といっても、「偶然にもコース学習に戻ることができた」と言うほかにありません。

一元論(非二元)のスピリチュアリティ(霊性に道)は他にも見られたりしますが、結局はそのどれもが自分にとってしっくりくるものではなかったということです。

ただ、その中でも、やはりコースが教えている内容の深淵さに惹かれたといいましょうか。

コースのその深淵さを一言でいうなら、それはまったく妥協のない純粋なる非二元のスピリチュアリティ(霊性の道)であるということです。

コースが教えているものは、肉体のレベル、形態(物理)のレベル、いわゆるこの世界のこととは一切関係なく、むしろ、それらを超えていく霊性の道であるということです。

さらに、コースのもっとも優れた特徴は?というなら、

コースは私たちが自覚していない無意識をフロイト心理学の概念に基づいて明瞭に解き明かしているという点が挙げられます。

コースは心理学であり、曖昧さや神秘性といったものが一切ないという点でいえば、コース以外の非二元論(アドヴァイタ、ノンデュアリティ)の霊性の道には見ないものであり、それこそがコースならではの独自の特徴であるといえるでしょう。


コース学習の歩みは、今も尚、進行中です

私にとってコース学習の歩みは今も尚、進行中であることには変わりありません。

この私も、その学びの歩みの途上にいるということです。

でも、確実にその学びが深化していっているのはたしかです。

その歩みは、私たちの想像を遥かに超えていくものであることをだと知っておくと良いでしょう。

そう、コース(ア・コース・イン・ミラクルズ/ACIM)というスピリチュアリティの歩みを通して理解したもの、修得したもの、体現したものについていえば、この今も深化し続けているということです。

その先のプロセスはまだまだ続いています。

ですから、みなさんにシェアしよういうモチベーションが続くかぎりは、これからもこの note で書き綴っていこうと思っています。

私が書き綴ったものが、同じ道を歩んでいるコース学習者やノンデュアリストの方々にとって参考になれば幸いです。


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