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"承認欲求モンスター"との決別

40代後半になって、ようやく自分が生きづらさを抱えていることに気づき、心理学の勉強を始めました。講座に通い、自分の中に「ビリーフ(小さい頃に家庭で刷り込まれた、生存戦略のための間違った固定観念)」がたくさんあることに気づきます。ビリーフが生きづらさの原因なのです。小さい頃は、親の機嫌を取るためそうせざるをえないのですが、大人になって社会に出てから同じビリーフで乗り切ろうとすると、無理が生じて生きづらくなるのです。

軽いビリーフから深刻なビリーフまでいくつもありますが、まずは軽いものに向き合うべく、思考を整理するために書くことにしました。同じパターンが繰り返され困っている時はビリーフが原因です。思い返すと、昔から「承認欲求の強い人に雑な扱いを受けて不快な思いをする」ということが度々起こります。何故なのか。

過去、いろんなモンスターに会いました。被害パターンを整理します。


小学校時代

「恋愛協力して」モンスター

出来事:
クラスメイトだけれど、特に仲良くはないアキちゃん。「私、ひろし君のこと好きだから協力して」と言ってきた。「なぜ私が?」と腑に落ちない。「はぁ」とあいまいな相槌をしたような気がする。

私はひろし君と席が隣だった。当時ドラクエが流行っていて、ひろし君を含めてゲーム好きな子達と話をよくしていた。アキちゃんはゲームをしないので話に入れず不満げだった。

鼻たれ小学生なのでレンアイの協力の方法もわからないし、義務も興味もないので特に何もせずいつも通りひろし君と話していたら、ある日「協力してって言ったじゃない!嘘つき!」とアキちゃんにぶち切れられた。えー。理不尽だなぁとぼんやり思った感覚が今も残っている。

考察:
アキちゃんはクラスの掃除を積極的に買って出たりと、世話焼きの面があった。決して悪い子ではなかったし、どこか大人びていた。
アキちゃんのお母さんは看護師だった。「この前交通事故があって、お母さんは人を助けたの。両手を血だらけにして帰って来たんだ」と誇らしげに話していた。大好きな自慢のお母さん。でもお母さんは職業柄忙しくて、アキちゃんは十分に構ってもらえず、寂しかったのかもしれない。お母さんが十分に構ってくれないから、不満をぶつけても文句を言わなさそうな人間を見つけて発散していたのかもしれない。

「俺はジャイアン」モンスター

出来事:
雪が降り近所の空き地でそり遊びをした。あつこちゃんは、「俺がジャイアン」と言わんばかりに、私にそりを引き回させた。「そろそろ交代して」と言っても聞き入れない。ジャイアンだから。私はのび太だ。ようやく交代してくれたと思ったら、1-2分で「もう疲れた」と音を上げて動かず。私は10分は引き回させられていた。

別の日、自転車の2人乗りを要求される。嫌な予感は当たる。後ろに乗っていたのだが、あつこちゃんの乱暴な運転のせいで下り坂で私が落下。スカートが引っかかったため、坂道をしばし引きずられ、腰に大きな擦り傷を作るという惨事。めちゃくちゃ痛かった。親に消毒液で処置してもらう時に痛すぎて泣け叫んだ。あつこちゃんは相変わらず「てへぺろ」という温度感。謝らなかった。(本物のジャイアンなら謝るだろう。)

考察:
付き合うメリットがないのに、なぜ自分を攻撃してくる子と離れなかったのか。皆と仲良くしないといけない、という風潮はあったし、逃げ方もわからなかったし、逃げるという選択肢を知らなかった。我慢すべきだと思っていたのだと思う、無意識に。よく覚えていないが、これ以外に嫌な記憶がないので、次第に遊ばなくなったのだろう。あつこちゃんの詳しい家庭環境は知らない。今もあの行動パターンだったら、生きづらそうだ。

中学校時代

「自己中いじわる」モンスター

出来事:
地方で小学校時代を過ごし、中学になる時に東京へ転校。入学式の初日にできた友達ミキちゃんに「放課後遊ぼう」と誘われて嬉しくて、張り切って待ち合わせ場所に行くも30分待ちぼうけ(携帯もポケベルもない時代)。
仕方なく帰宅してミキちゃんの自宅に電話すると「ああ、忘れてた」と一切悪びれない様子。その後も何度か遊んだが、遅刻の常習犯。

絵が得意なミキちゃん、友達のメルヘンチックな可愛い似顔絵を描く。私の似顔絵だけわざと写実的で不細工に描き、当時ニキビに悩まされていたので、ご立派なニキビまで再現。他の友人らが「ニキビまで描かなくていいでしょ!」とたしなめてくれるも、「そう?うまく描けたけどな」と得意げ。わざと強く足を踏まれ、「あーごめんごめん!」と、幼稚園児の学芸会レベルの演技で謝られる嫌がらせもされた。間違いであれば一瞬踏んだらすぐ気づいて離すのが普通の人間だが、ぎゅぅぅぅぅぅぅ!と十二分に時間をかけ力を込めて意図的に踏み切っているのがわかった。子供じみすぎていて理解ができなかった。ミキちゃんの標的はいつも私だけ。

後に私のニキビが治り、彼女がニキビ面になった時、「薬何使った?」と聞かれたので、モヤモヤしながらも教えてあげた。今の私だったら絶対に教えないだろう。「あらあらニキビひどいねー、かわいそうにねぇ」ぐらい言うかもしれない。

考察:
ミキちゃんは「黙っていれば顔は可愛い」と女友達から言われていたが、品がなく頭が悪いので(勉強もできないし地頭も悪い)男子からバカにされていた。家が貧乏だった。1度遊びに行った彼女の家は、極狭で大家族だった。親とも不仲そうだった。ストレスを、自分より弱い人間(転校生)にぶつけていたのかもしれない。私に嫌がらせしている時のミキちゃんは、ロボットみたいな無表情だった。

高校時代

「お前、つまらない人間!」モンスター

出来事:
ほんわかした校風の女子高に入学したので、ほんわかした女子が多かった。その中で「ビー・バップ・ハイスクール」に出て来そうな異質なワカナ。誇張ではなく人を殺しそうな冷たい目で、性格の悪さが滲み出るとこうなるのか、という説得力のある顔面。平たく言うと不細工だ。中学時代の数々の武勇伝が彼女の勲章。ゆえにぬるま湯みたいな女子高生活がご不満で、「あーつまんないー高校やめたいー」が口癖。

たまたま席が近かったので、必然的に会話をする羽目になり、周辺の人間はワカナの餌食となる。彼女は常に自分の不満を周囲にぶちまける。我々は高校に不満はない。せっかくの高校生活が地獄だ。
中でも私は扱いが悪く、「お前、つらまない人間!」と罵られたことは今でも根に持っている。他の子は言われていない。確かに私の話はつまらなかったのかもしれない、彼女の刺激的な世界からすると。お前呼ばわりされるのも私だけ。
傍若無人な態度に次第に皆の堪忍袋の緒が切れ、「ワカナとはもうランチも一緒に食べたくない」と宣言して決別。平和が戻ってきて心底ほっとした。

考察:
なぜワカナみたいなタイプがうちの高校に来てしまったのか、それはワカナの母親が出身校で子供も同じ学校に入れたかったからなのだ、本人は嫌がっていたのに。ワカナも母親のエゴの犠牲者なので気の毒ではある。しかし私が八つ当たりされる筋合いはない。全くない。
誰かに「つまらない人間!」ってバカにされたこと、みんなある?いたいけな高校生はけっこう傷つくよー。言い返すという選択肢はなかった。言い返し方がわからない。
なお、PTAでワカナの母とうちの母が一緒だった。ワカナの母も、あの子にしてこの親ありタイプだった。そりゃそうだろう。

大学時代

人生で一番能天気に過ごしていたせいか、これといったものが今は思いつかない。能天気に過ごすことは人生において大事なのかもしれない。

社会人

「病弱な八つ当たり」モンスター

出来事:
20代の頃、女性上司のキタヤマさんにいじめられていた。私が仕事に慣れていない、自信を持てないせいもあってイライラさせたのだとは思うが、周囲からも気の毒がられていたので、それなりにひどかったとは思う。今なら完全にパワハラ案件だ。太った不健康なおばさんで、しょっちゅう体を壊して急に休んだ。一緒に組んでいたので困ること多々。キタヤマさんにしかわからないことを仕方なく電話したら「寝てるのに電話してくるな!」と怒鳴られる。共有してくれ、健康になってくれ、と何度思ったことか。

考察:
キタヤマさんは、会社の一部の人達に「生意気だ」と疎まれていた。性格がキツイので。私に当たることで発散していたのだと思う。そのうち辞めて行った。
キタヤマさんが会社を辞めてだいぶ経った後、「あの時はごめんなさい、大変だっただろうに、もっと優しくできたと思うの」と手紙が来た時はびっくりした。キタヤマさんが辞めてから、私の父が病気になり死んだのだが、そのことを人づてに聞いて罪悪感を持ったらしい。
「大丈夫ですよ」と当時は穏便に返信したが、今の私だったら「けっこうひどかったっすよねーw」と返すかもしれない。

父の死とキタヤマさんのいじめは無関係だ。ちなみにキタヤマさんは、早いうちに母親を病気で亡くしているので、私に共感したのだろう。もし父が死んだことを知らなければ手紙はもらわなかったと思う。私に申し訳ないと言うより、自分の罪悪感に耐えられなかったのだろう。お母さんの話をよくしていた。死別で母に十分な愛情をもらい損ねたタイプだと思う。

なお、「健康であってはいけない」というビリーフがある。慢性的な体調不良や、無理をして頑張り続ける人が持っている。キタヤマさんのお母さんは病弱だった。そんなお母さんが、キタヤマさんが身体を壊した時だけ優しくしてくれたという経験を通して、このビリーフが刷り込まれたのかもしれない。「太ってるから不健康なんだな」と思っていたが、そんな単純なことではなかったのかもしれない。

「婚活ステイタス至上」モンスター

出来事:
30代の頃に結婚相談所に所属して婚活をしていた。良い人も多かったが、変な人もたくさんいた。「1度会っただけではわからないので、3回は会ってみて」と言うのが婚活所側の主張だった。ある時、1度会ったけれど、違和感があり次はどうしようかなと迷った人(名前忘れた、色黒薄毛だったなぁ)がいて、でも教え通りに次回の対面で判断しようと思った。初回がお茶だったので、次はご飯をしようと言うことに。

電車でご飯を食べに行くと思ったら、マイカーで待ち合わせ場所に現れてどん引く。親しくない婚活相手と車内で2人になるのは嫌だ。婚活所も推奨していない。仕方なく乗ったけど、後で婚活所に相談したら「断って良いのよ」と言われた。
お台場でご飯を食べたが、エスカレーターで身体を寄せてきたり、距離感が近くて気持ちが悪かった。初回に会った時の違和感の理由が明確になっていく。一方的なのだ。自宅が判明するのは嫌なので、だいぶ手前で降ろしてもらい逃げるように帰宅。お断り。

その後、婚活所のパーティーでたまたま色黒薄毛と再会する。いきなり「なんで断ったんや!(関西人)」と怒鳴られ、周囲も仰天、かばってくれる事態に。お断りされた相手に再会したとしても、理由を聞くのはルール違反だ(後で担当に被害を報告した)。向こうの言い分としては、「断られる理由がわからない」と言うことらしい。私がOKのサインを出していた?そんなことはない。できるだけ距離を取り、早く帰りたいと訴えたのだから。その根拠のない自信が羨ましい。

考察:
せっかくなので「なぜ対面2回目にいきなり車で来たのか?」と聞いてみた。衝撃的な答えが返ってきた。「なんでって。車はステイタスや!」(ステイタスや!ステイタスや!…)(脳内リフレイン)
年齢は40代後半だったと思う(現在は60手前か)。車がまだステイタスの時代だったのかもしれない。過去はそれで上手くいったのかもしれない。私はステイタスに興味がないので車種も覚えていない。高級車だったのだろうか。
プライドが高く、断られたことも気に食わないのだろう。ルールを破ってまで私を罵りたかったのだ。従順そうなくせに生意気だ、と思ったのかもしれない。
相手を選んで下さい、と思う。尊重されるべきはあんたのステイタスより私の気持ち。

婚活では、確かに1回会っただけで判断できないこともあった。でも、1回会っただけで「NG」だとわかるケースもある。マニュアルよりも自分のセンサーに従うことが大事だと学ぶ。

「私の誕生日祝って!」モンスター

出来事:
推し活の元知り合い。推し活の知り合いとは、現場で会ったら会話をしたり、前後にご飯を食べたりする程度にしたい。それが私のスタンス。

エミコさんは自己承認欲求が強かった。たまたま遠征先が同じだった時、「その日は私の誕生日。店を予約したから○時に集合」と一方的に言われて違和感が生じる。旅先なので限られた時間で観光したい。しかも店が辺鄙なところにあり迷う。なぜ私はこんなところでタイムロスを?という虚しさに襲われる。

別の年、現場がコロナで延期になった。メッセージが来る。「現場がなくなったけど、その日は私の誕生日。まだ予定がなければ美味しいもの食べに連れてって下さい!」と。は?なぜ私が貴様をもてなすのだ?正直、仰天した。仲良しの友達にもそんな要求をされたことはない、というか友達は私にそんな頼み方はしない。丁重にお断りした。私は誕生日に一人でホテルのアフタヌーンティーに出かけるタイプなので理解に苦しむ。

エミコさんに気に入られてしまったらしく、私のXのほぼ全てのツイートにレスをされるようになり恐怖を感じる。Xを見るのが怖くなり、一時期誰もレスできない設定にしていた。
また、古参マウントが鼻につくようになる。他の知り合いとキャッキャしていたら、「いーや!それは違う!」と、彼女しか知り得ないことを上から目線で押し付けられ、場が凍り付く。
多くのファンがいる場で「うちらはぁ!あの現場も行ってるからさぁ!」と、鼻高々にそれはそれは大きな声を張り上げる。

エミコさんはメンバーと顔見知りであるため「今日現場で気づいてくれたかな♡」的なにおわせツイートを目にして気味が悪いと感じるように。売れる前から推しを見出したセンスの良さに関しては古参を尊敬する。しかしメンバーと顔見知りであることは全く羨ましくないし、むしろ経緯(出待ち)は私の感覚ではあり得ない。出待ちをする人種は暇人なのだろうか。
エミコさんが行かなかった現場のことで「会場小さくて距離近かったね!」と盛り上がっていると、「◯◯クン(推し)肌綺麗よね〜」と脈絡のないツイートをする。自分の方が至近距離で接していると主張しなければ気が済まないのだ。

また、倍率の高いチケットを私がたまたま引き当て「ぴあの当選アップ券のお陰かな」とツイートしたところ、エアリプなのか知らないが「私も当選アップ券使ったのに!(外れた)」という怒りのツイートをしていて「知らんがな」と思ったことがある。古参の自分が行かない現場に私(新参)が行くのが我慢ならないのだろうか。エミコさん自身の都合で参加できず、私が現場に行った公演に対しても、いつまでも「行きたかった行きたかった」と連呼していた。1つのツアーに対し、私より遥かに多くの公演に参加しているので、常識外れの何かしらを感じて怖いと思ったことがあった。私は親の様子を常日頃うかがっていたのと、HSP気質のため、他人の細かな言動に敏感な方だと自覚している。エミコさんからは強烈な承認欲求を感じていた。

エミコさんはお土産魔だった。毎度毎度色々くれる。こちらも毎回渡さざるを得なくなる。面倒くさい。交換で手に入れた品物の写真をXに載せて「もらったー♡」とご満悦そうだ。

考察:
エミコさんは各地に知り合いがとても多い。彼女と上手く距離を取れる人は、取りながら付き合っているのだなと振り返ると痛烈に思う。自分は居住地も近く現場が重なることが多かった。早い段階で距離を取れず、じわじわと詰められ、苦しくなってシャットダウンという結果になってしまった。年に数回会うぐらいなら「お土産くれるいい人」にとどまったのかもしれない。なお、私以外にも彼女の高圧的な態度の餌食になり、連絡を絶った人を知っている。
誕生日を自分でセッティングしてまで人に祝ってもらいたい、マウントしたいという強烈な承認欲求は、「自分は人に認められていない」という気持ちの裏返しかもしれない。ただの知り合いの私に誕生日を祝ってくれと言ってくるぐらいなので、知り合いは多いが仲の良い友達はいないのかもしれない。家族のことは何も知らないが、もしかすると幼少期に両親が忙しく、誕生日を祝ってもらえることがなかったのだろうか。

ちなみに私より年齢は10個ぐらい上だろうか、若々しいけれど「うちらの世代はさ…」と一緒にされたことがあり、さすがに「えっ?」という顔を私がしたら、少しとまどっていた。今の私なら「エミコさんっておいくつ?」ってわざと聞くかもしれない。
また、エミコさんとは推しがいくつか被った。しかし「このグループはそんな好きじゃなさそうだけど何故来るのだろう?」と思う現場があったが、私と縁が切れてからはその現場で全く見かけなくなった。もしかして私(自分の承認欲求を叶えてくれる要員)目当てだったのかなと思うとゾッとする。

私はその昔、推し活仲間に「飄々としている」と評されたことがある。浅い付き合いで構わないと思う相手には、当りさわりのない自分しか出さないのだと思う。だから「YESマン」として寄生されやすいのかもしれない。距離感がおかしな人が苦手なのに、そういう人に勘違いさせてしまう。私にも原因がある。

「私の話を聞いて!」モンスター

出来事:
ごく最近の話、心理学の講座で知り合ったユイさん。推定60歳女性、未婚。
会話の途中で相槌を打つと、「ねぇねぇ、私がまだ話してるよー」「私の話を聞いてー」と幼女のように甘え口調で訴える。私はどちらかと言うと聞き役に徹することが多く、「私がまだ話してるー」などと抗議された経験がなかったので戸惑った。会話を円滑にするための相槌を入れただけで、ユイさんは大げさに嘆き、被害者面をする。

ユイさんの話は長く、整理されていない。途中で「何だっけ」とオチがわからなくなることも多々。相槌もできないので(怒るから)、同じところを何度も行き来する迷路のような話を聞いていたら寝落ちしかけたことがあった。念仏のようだ。
講座でユイさんの質問が始まると長かったし、何が言いたいのか読み取れずクラスの空気が白け、講師も困惑していた。それでも講師の先生は、「講座の初期に比べれば、人の説明にだいぶ反論しなくなった」とユイさんの成長を認めていたが。
ユイさんの部屋は汚いそうだ。物が捨てられず、業者に来てもらっても終了しなかったという(途中で断わった)。部屋が汚い人は思考も散らかっているという説は本当なのだろうと実感した。

また、不要だと断りを入れているのにオススメの自己啓発動画を見せたがる(期限付き動画なので「いつまでに見ろ」と要求される)、どうでもいいラインがしつこい(「今、テレビで○○やってる!」)、私が疎い分野の話をして「なぜこれがわからないの」と急に感情を出されて泣かれる。困る。

考察:
幼少期、お母さんが仕事で忙しく構ってくれず寂しかったそうだ。だから今だに「私の話を聞いてー」と、母親と成し遂げることができなかった関係性を誰かと作りたいのだろう。私も親の愛情に飢えているから気の毒なのはわかる、しかし疲弊してまで私が彼女の気持ちの面倒を見る義務はない。

私と同様に被害を受けた友人がいる。「あなたにオススメされた◯◯さんのセミナーを取ったけどつまらなかった、金返せ」的なことを遠回しに言われたそうだ。友人はその講師の名前をユイさんの前で口にしたことはあったが勧めた覚えはなく、軽くブチギレた。さすがにユイさんも謝っていた。まだ浅い付き合いにも関わらず出過ぎた行動を取るのは、甘えたい気持ちがあるからかもしれない。

なお、ユイさんを初対面の日から苦手だと敏感に嗅ぎ取っていた友人は、徹底的に距離を取っていたそうだ。私は初期の段階で「甘えん坊」モンスターであることに気が付くことができなかった。彼女のように、早い段階で境界線を引けるようになるのが目標だ。昔よりはだいぶ気付けるようになってきたとは思うけれど。

講座の最終日の飲み会後、ユイさんから「一緒に帰れず残念」とラインが来た。家が比較的近いので帰りが一緒になることが多かった。飲み会の日は、一緒にならないように早く帰ったのだ。「私は長時間人といると疲れるので、一人で帰れてスッキリしました」と返信した。本当は別の子達と帰ったけど。

ビリーフの原因は親

これらのモンスターの餌食になったのは何故なのでしょうか。

厳しい両親に押さえつけられて幼少期を過ごしたため、理不尽なことに対して戦う気力が自動的に消滅したのだと思います。話が通じない相手には何を言っても徒労であり、逆に自分が攻撃されるだけだと知った日から、心のシャッターを締めたように思います。しかし決して納得はいっていないし、確実に傷ついているのです。

生存するために、納得がいかなくても親の機嫌を取らなければなりませんでした。仕事のストレスで父は母に当たり、母は私に当たりました。何故怒られたのかわからないことが多かったです。思い返すと八つ当たりだから当然です。自分が「嫌だな」と思う気持ちは、邪魔なので殺すしかありません。
だから大人になっても、仲良くしなくても良い相手にも無意識に良い顔をしてしまう。嫌われてはいけないし、怒らせてはいけないから。「どうぞ私をお気に召すままサンドバッグにして下さい」と非言語で伝えているかもしれない。相手がモンスター化した段階で、やっとおかしなことに気づくのです。私はもう子供ではないことに。

子供の頃は、親に対してのみ適用できるルールで生き延びて来たけれど、一般社会で同じルールを適用していると、両親のように自分の欲求を理不尽にぶつけてくる人の餌食になり、自分の心が病むというループに陥るのです。

「私は重要ではない」の原因

無意識に親の機嫌を取っていたので、「もし人を喜ばせることができなければ、私は重要ではない」というビリーフが刷り込まれているのだと思います。

そもそも人間は、自分のことを無条件に「価値がある存在だ」と思えることが健全です。条件付きとなってしまうと苦しいのです。その条件を満たさなければ、自分は無価値ということになってしまうので。テストで良い点を取った時だけ親に褒められると、「勉強ができない自分は無価値だ」と無意識に刷り込まれるのです。

厳格な父から「お前はダメだ」「1人では何もできない」と押さえつけられ、機嫌を損ねたら「お前なんか死んでしまえ!」と暴力をふるわれて育ちました。納得のいかないことは抵抗したので、張り倒されて鼻血が出ることはしょっちゅう。「お前を脅すために買ってきた」と竹刀を振り回しました。さすがに竹刀でぶたれたことはなかったけれど、子供心に「こいつ狂ってんなー」と思っていました。
自己主張が通らないことがほとんどで、何かと「自分にはできない」と自信を喪失して縮こまりがちでした。振り返ると何がダメなのかわかりませんが、父もそうやって親に押さえつけられてきたのだろうと推測できます。

母は私の話を否定から入るタイプです。恐らく母も自己肯定感が低く、父や姑から受けるストレスを、娘を否定することで自分の価値が上がると錯覚させて発散していたのだろうと思います。昔の専業主婦なので世界が狭いのです。
私は反論しても無駄だと学び、嫌なことを言われたりされたりしても、無意識に我慢することがデフォルトになっていたように思います。無意識というところが本当にやっかいです。

「お前なんか死んでしまえ」の呪い

小学生の時にスキー場で父の機嫌を損ねました。そり遊びをしていて、「危ない方向へ行ってはダメだよ」と言われたのに、思いのほかアイスバーンでコントロールが難しく、軌道が危ない方向へ行ってしまったのです。完全に不可抗力です。
途端に父はキレました。「言うことを聞けと言っただろう!」「お前なんか死んでしまえ!」と罵られ、本気で雪玉を投げつけられ続けた時の恐怖がいまだに心と身体に残っています。自分の言うことを聞かなかったことがよほどストレスだったのでしょう。これしきのことで「死んでしまえ!」と怒鳴りつけるなど、今思えばおかしなことですが、当時は思いませんでした。怒鳴られるのは日常だったので「またか」と言う気持ちと、この時ばかりは「かなりの剛速球だ、雪玉が顔に当たったらやばいかも」という生命の危機を初めて感じました。山の上でしたし。

その直後のことはあまり覚えていませんが、父が怒って先にロッジに戻り、ビクビクしながらロッジに戻ったら、父は「えへへへぇ」と薄ら笑いしながら優しく私を迎えました。父のこういう態度に混乱することが多かったです。父も言い過ぎたと思っていたのでしょう。DV男に悩む女性もこんな気持ちなのかな。

恐らく自覚している以上にトラウマになっているのだと思います。長年、「親が子供に暴力振るうのなんて珍しくもない」と思って涼しい顔で蓋をして来ました。開けてみたら、怖いとか悲しいという気持ちが奥底に隠されたままでした。

愛着障害の世代間連鎖

ちなみに両親も、彼らの両親からの愛情が不足していたのだとわかりました。お互い愛情不足のまま大人になっているので、与えることよりももらうことばかり主張していました。子供同士が結婚するとこうなるのだなと納得します。

父に至っては、母(私の祖母)の縛り付けがあまりにもひどく、振り返ると情緒がかなり不安定でした。キレる時と優しい時の差が極端。大学も職業も全て祖母の言いなりでした。外側から見たら超エリートですが、父は仕事を辞めたくて仕方なかったのです。父の職業は難易度が高い。自分で希望して目指しても叶わない人がたくさんいるのに、なりたくもないのに強要されて勉強したなんて、私には信じられません。

父は母に「俺が働いているのに、お前が友達と旅行に行くのが許せない」と真顔で言い、私が大学時代に遊び呆けていると「毎日おもしろおかしく生きやがって!」と憤怒していました。父は「好きなことは定年後にすればいい」と言っていました。当時から「おかしな人だな」と思っていましたが、父には「人生は苦しいものであらねばならぬ」というビリーフがあったのでしょう。祖母のせいです。
父は仕事が原因でうつ病になり、近所の竹やぶで首を吊って死にました。働くことができない自分は無価値なのです、そのように教育(洗脳)されたので。本当に気の毒だと思いますが、悲しいとは思いませんでした。むしろ「やっぱりね」とすら思いました。私にしたことは許せないし、許す必要はないと思っています。憎むこともないけれど。

自殺について色々な意見があると思いますが、父に関しては「ラクになれたら良かったのかもね」と思いました。母は「お父さんは自分だけラクになってずるい」と言っていました。死んでもなお母は欲しがるんだなぁと思いました。

自分のストレスを家族にぶつけるのではなく、苦しさがどこから来るのか、父に内省できる余裕があれば違った結末になったのかもしれません。でも、ネットも今ほど発達していないから調べることも難しいし、祖母の支配が強固過ぎて父は気がつくことができないままこの世を去りました。

私は子供を持たない人生となりましたが、正直良かったと思います。子供ができていたら、子供を私と同じような辛い目に合わせたことでしょう。心理学的に言うところの「世代間連鎖」です。心の仕組みを学んだ後に子供ができたら違ったとは思いますが、自分の生きづらさに気づくのが遅くなりました。

苦しさを乗り越えた先を目指して

若い頃はむしろ恵まれた人生だと思っていたぐらい。お金に困ることなく育ててもらい、外側から見たら普通の家族。こんなからくりがあるとはびっくりです。苦しいのがデフォルトだったので、ずっと気づくことができませんでした。父の生き方に違和感はありつつも、無意識下で「人生は苦しいものであらねばならぬ」というビリーフを受け継いだのだと思います。

小学生の頃から歯ぎしりがひどく、数年前に噛み締めのせいで奥歯が割れました。夜はマウスピースを着用しないと不安で寝れません。
趣味で習っているフラダンスの先生に、肩に力入れないでといつも注意されます。自覚がないので力を抜く方法がわかりません。

この生きづらさを抱えたまま人生の半分以上を過ごしてしまったので、軌道修正していくのに時間はかかりそうです。でも、一生気づけないよりは良かったなと思っています。
辛いことがあっても、楽しいことを探して乗り切ってきました。でも、そもそも根本的な解決をしないとダメなのだとやっと気づきました。

もちろん家族の楽しい思い出もありますし、恵まれたこともたくさんあると思うし、人生で無駄なことは1つもないと思っています。
母には「あの男性と付き合った時間は無駄だったのでは?(結婚に至らなかったので)」と言われたことがありました。人に「あんたの人生、あれが無駄だったね」と言える神経がすごいなと思いますが、母にとって私は所有物という扱いなので何をしても良いのです。
私が結婚していないことに自分で触れた時には、「自分が普通じゃないことを自覚してるのか、フフン!(小馬鹿にした笑い)」と言われました。結婚した自分の方が私より上だと、是が非でもマウントしたいのです。(反論すると面倒くさいので反論しない。)

心理学の講座の先生が言っていました。先生も、以前は生きづらかったのです。一時期、ご両親と絶縁していたそうです。でも心の勉強をしてどんどん回復して、講師になりました。
「苦しかったけど、その苦しさがあったからこそ今の自分がいる。今の自分が一番好きだから、両親にも今は感謝している」と。

素晴らしいと思います。私は、若い頃は自分なんてダメで嫌いだと思っていたこともありました(親に「お前はダメだ」って刷り込まれていたので)。今は好きとか嫌いとかではなく、唯一無二の尊い存在なのだからどんな自分でも認めます。果たして自分を好きとまで言えるようになるかわからないし、ならなくても良いとは思いますが、いつの日か両親にも感謝できる日が来たらラッキーかなと思っています。

若くして自分に自信を持って、しっかり生きている人を見ると、この人は親から愛されて育ったんだろうなぁと思います。羨ましいです。悲しくなります。でも、私には私にしか経験できなかった良いこともあるはずなのだと信じます。

他にも取り組まないといけないビリーフがたくさんあります。親の愛情を受け取れなかったので、過去を振り返ると異性とのパートナーシップを築くことが苦手です。人は両親と築けなかった関係性を、パートナーとやり直すそうです。好きな人に上手く愛情を伝えられず傷つけてしまったり、自分でもよくわからないことがまだまだあります。自分のことを大切にできないと、大事な人のことも大切にできないのだと思います。

1人が好きだし、無理にパートナーシップを築く必要はないのかもしれませんが、両親が上手くできなかったことを、自分が成し遂げる使命があるのかもしれない、とも思います。勝手な解釈ですが。

今まで間違ったルールで踏ん張り続けて、傷は放置されたままだったので、自分を癒やしながらのんびりと自分の生きづらさに取り組んでいけたらと思っています。

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