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社会とか

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記事一覧

努力は偉いのか 努力教について

 弱者界隈では「努力」というのは「努力教」と揶揄されている。自分は努力で成し遂げてきたと言う人が「お前が負け組なのは自己責任」と切り捨てるので、それを揶揄している。仏教では努力のことを精進といってとても重要視するが、努力っていいものなんだろうか、悪いものなんだろうか。僕は小中学で「努力は絶対的に良いもの」と教育=洗脳されて育ってきた。ただ、努力だけで全部どうにかなると思えるほどの年でもなくなった。

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アイデンティティ・ポリティクスとは何か? 思想と哲学 ニーチェと近代哲学

 「思想」というものに対する嫌悪感がある。「正しい言説なんかあるわけないじゃないか」という直観がある。「俺は正しい、お前らが間違い」という思想を持っている人の傲慢さが気持ち悪かった。でも僕は哲学が好きだ。なぜだろうと思っていたが、やっと言語化できそうだ。

 哲学とは「真理」を探究する営みだ。「真理とは何か?」という疑問も湧いてくるが、真理とは何か?も含めて真理を探究する営みだ。ソクラテスの定義だ

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精神医学について思うところ

 自閉症スペクトラム障害、うつ病、身体表現性障害と診断された。17歳の頃から心療内科に10年通っているが、思うことが山ほどある。私見なので参考程度に読んで欲しい。

 問題点が死ぬほどあると思うが、その中でも大きいと思うのが「万能」だと信じられているところだと思う。精神科というのは性質上、ヤブ医者と熱心な医者がピンキリで、知り合いに話を聞いてもとんでもない医者や「当たり」の医者がいる。ちなみに僕の

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仏教と政治 エンゲージド・ブディズム 微笑系

 最近、社会や政治に興味が出てきて、ボーヴォワールやフーコー、丸山眞男や吉本隆明などの本を読んでいた。「無職が政治をやると狂う」という持論があったので一切手を出さなかったが、僕のテーマは多分「生きづらさ」なので、勉強しないわけにはいかないと思う。家族などのテーマも気になる。
 
 政治については冷笑的な態度をとっていたが、微笑的な態度というのはあり得るのだろうか?最近SNSでは冷笑系が逆に叩かれて

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家族とか性的なものとかについての試論

 あとから振り返って「自分ってこういう興味があったからこういう本を読んでいたんだ」と気づくことがある。最近吉本隆明や精神分析、ドゥルーズや儒教の本を読んでいたのだが「家族」という線で繋がれていた。

 近代というのは「国家」と「個人」が直接に結ばれる。その中間に共同体がないほうが管理しやすい。最近やたらとマイナンバーカードを推されるが、そりゃ管理しやすくなる。個人と国家が直通する。
 地縁的な共同

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「私」の本質と異文化 近代の身体性

 部屋に本が散乱しているのだけれど、瞑想をしていると、散乱している本に同一化している自己があった。比喩的に言うと、本と自分が線で繋がれているような感じ。その線を断ち切るのは恐怖だったが、断ち切ると楽になった。
 「自己同一性」というのは「身体」にあるものではなく、「地位」「情報」「知識」などに「執着」する「運動」だ。自分が何に同一化しているのかは簡単に分かる。「失うことが怖い物」は「(広義の)自己

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