仏教と政治 エンゲージド・ブディズム 微笑系

 最近、社会や政治に興味が出てきて、ボーヴォワールやフーコー、丸山眞男や吉本隆明などの本を読んでいた。「無職が政治をやると狂う」という持論があったので一切手を出さなかったが、僕のテーマは多分「生きづらさ」なので、勉強しないわけにはいかないと思う。家族などのテーマも気になる。
 
 政治については冷笑的な態度をとっていたが、微笑的な態度というのはあり得るのだろうか?最近SNSでは冷笑系が逆に叩かれていて、冷笑の人が「俺がやっているのは熱笑だ」とか言っているらしく、ユーモアとしては面白いものの、うまく止揚できていない感じがする。正→反→合があるとしたら、熱狂的態度→冷笑的態度→微笑的態度、にならないだろうか。

 微笑系というのは僕の造語だが、仏教では「勝義諦」と「世俗諦」の二つの真理があるとする。前者は言葉を超えた究極の真理で、後者は言葉で表される世俗の真理だ。「全ての理論(見解)は虚しい」というのを軸足にして、世俗的な理論を勉強して、方便としての見解をつくるという感じかな。

 仏教という営みは基本的に非社会的な営みであると思うが、社会への参加を禁止されているわけではない。というか大乗仏教では世俗の人間を助けることが奨励されている。
 僕の好きなお坊さん、例えば源信とか法然とか道元などは徹底した権力嫌いだ。「権力を持つ」ことは仏教的に許されないと思うが、政治についての見解を持つことぐらいは許されると思う。見解は無常だけれど。
 平安時代の仏教は鎮護国家だし、鎌倉時代の比叡山は堕落しきっていたらしいが、そういう政治的な行為はしたくない。

 別に全然悟っていないが、悟った後にこの皮袋をどう使うかと考えていたら、やっぱり勉強しかないのかなあと思う。

 僕は若者のメンタルヘルスに興味があるが、もっと大きく言えばみんなが幸せになればいいと思う。何を軸に勉強すればいいのかと考えたけれど「身体」だと思った。
 
 吉本隆明が絶賛していたので三木成夫の解剖学の本を読んだのだが、面白かった。ポリヴェーガル理論などの現代のトラウマ理論で注目されているのが「自律神経系」だが、自律神経は内臓を主に司っている。神経生理学などを一度きちんと勉強したい。中医学の丹田や、ヨガのチャクラなどは、自律神経を表しているという直観がある。

 身体についてボトムアップとトップダウンで勉強できると思うが、一番ボトムにあるのは「本来無一物」「無我」であろうと思う。その上に東洋医学や現代生理学などを勉強したい。
 トップダウンで言えば、やっぱりフーコーの規律論が身体の社会化をうまく表していると思う。全然勉強不足なので、過去の政治思想史や民俗学なども勿論勉強したい。今は日本史とデヴィッド・グレーバーとアルチュセールが読みたい。アルチュセールはラカンに影響を受けてマルクスをやったと読んだことがあるので、臨床心理学→政治の糸口がありそうな気がする。
 
 左翼の人と話す機会が割とあるのだが、みんな「居場所のない人の居場所を作りたい」と言っている。ただ、左翼的なコミューンは内部から崩壊していくといったイメージがある。多分、なんの繋がりもない人間が集まって共同生活をするというのはかなり厳しい。精神的な紐帯が必要だと思うが、仏教はサンガという共同体をつくることができる。でも日本でするのは厳しそうだな…。

 勉強するしかない。勉強のせいで瞑想修行が疎かになってしまうという不安はあるが、最低限3~4時間はまとまった瞑想をしたい。

 ニーチェやフーコーの方法論である「系譜学」が一番説得力がある方法だと思っている。そのためには歴史的な文献をたくさん読む必要がある。僕は近代という時代を目の敵にしているが、近代というのは一つの指標であり、「生きづらさ」というのは様々な要素で成り立っていると思う。身体から社会まで、現在から過去まで、できるだけ勉強をして、説得力のある文章が書けたらいい。勉強が好きだし、言語化するのが好きだから、好きなことで人の役に立つのが人生で一番嬉しいことだと思った
 

勉強したいのでお願いします