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#ラチベン
愛とは、絶対に許してはいけないことを絶対に許さないことだ。
あとがきにかえて――元妻ビギンズ(前回の続き)
① 罪を憎んで人を憎まないのは、何のためだろう。
罪人を憎んでも失われたものが取り戻せないとき、二度と同じことを繰り返さないために、人ではなく「罪」そのものを憎む必要がある。大切なのは罪が起こらない世の中をつくることであり、酷いことをされても許すべきだという話ではない。
② 他人と過去は、本当に変えられないのだろうか。
他人に期待しても不毛な場合
罪を憎んで人を憎まず? 他人と過去は変えられない? 愛とは許すこと? ほんまに!?
あとがきにかえて――元妻ビギンズ
奪還父さんブライアンを読んだ方が寄せてくださる感想には、私が思いもつかないような気づきが書かれていることがある。
こんな感想を読んで驚いた。
「これはリョウさんの、奥さんの伝記ですね」
私の思いや主張、実行したことが書いてあるので、私の断片的な自叙伝という想いはあったが・・・・・・。
なるほど、言われてみれば確かに元妻の一代記と言えるかもしれない。
もう駆け引きには乗らない。すべてを白日の下に晒す。私のターンが始まった。
エピローグ
子供たちと再び引き離された私は、「この断絶はかならず意味のあるものだ」と決めた。
自分と同じ境遇の人がたくさんいることを知り、多くの当事者と出会った。
出会いは思考を飛躍させる。
私は自分の子供を「奪還」するだけでなく、全員の子供を奪還するほうが、もしかしたら早いのかもしれないと考えるようになり、具体的にその方法を探りはじめた。
まずは自分の体験を、ツィッターに綴ることか
連れ去り児の悲劇、元凶はラチベンだ。拉致で儲ける弁護士を絶対に許さない。
■46
奪還父さんたちを「ブライアン」と呼ぶ由来は映画「九六時間」にある。主人公のブライアン・ミルズは、CIAの元工作員。
離婚してから離れて暮らしている最愛の娘を誘拐され、正体不明のマフィアにありとあらゆる手を尽くして肉迫し、奪還を成し遂げる不屈の男だ。
娘への手がかりを持っていると判断すれば、一瞬のためらいもなく銃をつきつける。「エッフェル塔を爆破することもいとわない」と言い放ち、実行す
〈25〉娘が見守る中、元妻と対峙。「子供たちじゃなく、おまえに会いに来たんや」
■25
「もしもパパが来たら、すぐママに知らせなさい。パパのせいで運動会にも出られなくなったんだから。パパに連れていかれたら、もうママにも会えなくなるんだよ!」
後から聞いた話では、娘はそう言いつけられていたそうだ。私の到来を娘は元妻に伝えたのだが、これで娘を責めるわけにはいかない。母親と私に板挟みにされた娘になにができるだろうか。両親の間で分断された子供の胸の内は、想像するだけで心臓が握りつぶ
果たせなくても、最後まで果たそうとする。約束とは、そういうものだ。
■22
「パパ、七月に会いに来てよ」
態度を豹変させた学童から私が追い返されそうになったとき、娘はこう言った。なぜ七月なのか。意味は特になかったのだろう。とっさに、何か言わなくちゃと口をついて出た言葉なのだと思う。
七月を待たずして六月の運動会に出向いたのだが、前述の通り打ち砕かれた。ようやく見つけた突破口である学校。その道筋も塞がれた私には、もはや為すすべがない。そううなだれていた私にとって
「パパ、いじめちゃってごめんなさい」私との絆が、娘を傷つけていた。
■20
「わたし、パパのしゃしんみて、ないてた……」
二年三ヶ月ぶりの再会を果たしたとき、娘はぽつりともらした。
会いたいけど、どうすれば会えるのかわからない。母親に「パパにあいたい」と言えば、嫌な顔をされる。
そして私に「ぱぱ いじめちゃってごめんなさい」という手紙を送ってきたのだ。いちばん身近で泣いている娘を見て、娘が自分を責めている内容の手紙を送ってきたのは元妻だ。
それでも、母親と
両親に虐待された元妻は、女権団体の手先となり、今や片親疎外の急先鋒。だが、誰も指摘できない。
■19
「お母さん、落ち着いてください。お父さんが来たのは、娘さんが望んでいるからです。おかしなことにはならないと私たちが責任を持ちます。娘さんが頑張る姿を、どうかともに見守ってあげてください」
教育者とは、こういう言葉を持っている人だと思っていた。だが教員といえども生活者。家には家族がいて、いまの仕事を失うわけにはいかない。元妻のようなモンスターを引き受けてしまえば、そんなささやかな幸せが瓦解
運動会から、娘が消えた! 担任は保身のために、娘の消息を「知らない」と言った。
■18
「パパにあえるおしごとは、なあに? わたし、はやくおとなになって、パパにあえるおしごとをするの」
二年三ヶ月ぶりの再会を果たした日、娘は言った。
父親はある日、姿を消した。母親はなにも答えてくれない。それは、きっと自分のせいだ。自分が、なんとかしなければならない。幼いながら、「どうすれば父親に会えるのか」考えたのだ。
私にとって生涯の宝物となった、あの日の言葉、笑顔――
「まもなく
私を怒鳴りつけた女教師は、モンスターシングルマザーのクレームに怯えていた。
■17
歩き方から、大きな足音が聞こえてくる。体格のいい女性だった。紅潮した顔は、張り詰めている。学校側との関係は良好だったので、私は刑事と対峙した時よりも緊張した。
「お父さん、学校にくるのはやめてください!」開口一番、担任は私を怒鳴りつけた。
「私は先々月に、校長先生から『学校に会いに来ていい』と言ってもらいました。先月は学童の先生だって『また来てください』と言ってくれたんです。それで会いに
「私にとっての保護者は、お母さんだけです!」ヒステリックな物言いに絶句。
■16
翌月、学童を再訪すると、すっかり様子が変わっていた。学童の入口で、私は先生に止められた。先月対応してくれた、あの優しかった先生だ。
そこへ娘が、私を見つけて駆け寄ってくる。その後ろからは、いっしょに遊んだ子供たちも駆け寄ってくる。
ところが先生は娘を「こっちに来ちゃダメ!」と叱りつけ、奥へ追い払ってしまった。
「どうしたんですか。先月、『学童でなら娘と会っていい』って言ってくれましたよ
娘と再会した翌月から、元妻の猛反撃。先生は人が変わったように、私を拒絶した。
■15
本気を出せば、わが子に会える。今回の体験が、どれだけ私を勇気づけただろう。
息子にはまだ会えずにいるが、娘には会えた。娘に会いに行っても、警察は手出しできなかった。娘と会うのは、犯罪でもなんでもないことだったのだ。
警察や裁判所が絡むと、それらの機関が許さなければ「会ってはまずいのではないか」「おおごとに発展してしまうのではないか」「子供がよけいに傷つくのではないか」と思い込ませられる
「奥さんは嘘をついていた」校長は言う「暴力をふるわれた子供は、こんなふうになつきません」。
■12
校長室へ向かいながら、私は娘と一緒に歌を歌っていたが、胸の内にはメラメラと闘志を燃やしていた。校長とじかに話して、私がこの子の父親であると認めさせるのだ。
校長室の手前に、職員室があった。瞬時ためらったが、教員から校長へ取り次いでもらうことにした。これも賭けだった。男性教員などに取り押さえられるブライアン(奪還父さん)もいるからだ。しかし子供の前で、人として当然の手順を踏んで見せること
事実、弁護士はカネ、裁判官は出世に腐心。子供のことを考える人は司法の現場にいない。
■7
当方の弁護士も、元妻側の出方に対して、「例を見ない悪どさ」と呆れている。もはやここまでだ。私は調停を打ち切るほかなかった。
その後わかったことは、家庭裁判所は異常なくらい多忙だということだ。ここでは、「子供の福祉」に沿った裁きをすることよりも、より多くの案件を処理することが評価される。
さらに裁判官にとって家庭裁判所で働くということは、誇りを持てる状態ではない(※子供の連れ去り問題 日本の