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果たせなくても、最後まで果たそうとする。約束とは、そういうものだ。

■22
「パパ、七月に会いに来てよ」
 態度を豹変させた学童から私が追い返されそうになったとき、娘はこう言った。なぜ七月なのか。意味は特になかったのだろう。とっさに、何か言わなくちゃと口をついて出た言葉なのだと思う。
 七月を待たずして六月の運動会に出向いたのだが、前述の通り打ち砕かれた。ようやく見つけた突破口である学校。その道筋も塞がれた私には、もはや為すすべがない。そううなだれていた私にとって「七月」という娘の言葉だけが、行動を起こすための種火だった。
 あの時、私は娘に「必ず会いに来る」と約束した。それを果たそう。もはや、それしか私には娘に会いに行ってもよい理由がなかった。会えなくてもいい。娘との約束を果たせるところまで、果たすのだ。近づけるところまで、近づいてみせるのだ。「結果を気にする前に、行動を起こせ」。己を奮い立たせた。
 とは言え、やはり元妻圧政下の娘の現状を憂慮してしまう。
 娘は運動会から連れ去られる時、泣きながら嫌がっただろう。元妻はそれを問答無用で制圧したことだろう。いま娘は、どんな思いでいるだろうか。私が行くと怖がるかもしれない。
 学校で再会したときに「ママはこわい」と言っていた。
「わたし、たべてないのに『あめ、食べてるでしょ!』って、どんどんせまってくるの。わたし、まどのとこまでおされて『たべてないよ』っていったら『口あけてみな』っていわれる。くちあけたら『ベロも上げな』っていわれる。ベロもあげたら、どっかいくの。ほんとにたべてなかったのに」
「それは怖いね。ママは『疑ってごめんね』って、言わなかった?」
「いわない」
 娘はこんな思いをしていることを誰にも言えず、今もあの家にいる。
娘が感じている恐怖にくらべれば、私の葛藤など、ちっぽけなものだ。
もしかしたら会いに行くことで、娘を混乱させてしまうかもしれない。しかし会いに行かなければ、自分は見捨てられたと思うかもしれない。運動会からの連れ去りはかなりショックだったはずだ。
耐えられないのは、私が淋しいことではない。娘を針のむしろに置き去りにしていることだ。とにかく行動を起こそう。行動している途中で、分かることや気づけることがあるかもしれない。
娘は、私を待っている。きっと、待っている。そう信じる。それに賭ける。
私は、新潟行きの夜行バスを予約した。

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