両親に虐待された元妻は、女権団体の手先となり、今や片親疎外の急先鋒。だが、誰も指摘できない。

■19
「お母さん、落ち着いてください。お父さんが来たのは、娘さんが望んでいるからです。おかしなことにはならないと私たちが責任を持ちます。娘さんが頑張る姿を、どうかともに見守ってあげてください」
 教育者とは、こういう言葉を持っている人だと思っていた。だが教員といえども生活者。家には家族がいて、いまの仕事を失うわけにはいかない。元妻のようなモンスターを引き受けてしまえば、そんなささやかな幸せが瓦解してしまう恐れがある。
 事情はわかる。だが、その偏った物わかりのよさが結局のところ、いまの境遇につながっていることも事実だ。
この国は結局、大声で恫喝する者が支配する弱肉強食の世界なのか。私は暗澹たる気持ちに飲み込まれそうになった。
 待て。暗い気分に耽溺する寸前で、踏みとどまった。いま、いちばん傷ついているのは娘なのだ。一所懸命、練習していたかけっこ。友達と楽しみに話していた、年に一度の運動会。
 パパが来てくれた。よし、一生懸命がんばろう――しかし競技の直前になって、強制的に連れ去られた。練習の成果も友達との思い出もすべて一瞬で奪い去られた。娘の泣き顔が浮かんだ。奥歯を噛み締めて、私はつとめて穏やかに担任に言った。
「先生、私はもう帰ります。そして二度とここには来ません。だからそれを急いで元妻に伝えて、娘を午後からでも運動会に参加させるように言ってください」
 担任は戸惑いながら「いや、それはできません」と言う。
「何故ですか」
「お母さんが……私の言う通りにするか、わからないので……」
 気が高ぶっているモンスターに電話して、嫌な思いをしたくないのは分かる。しかし、ここは退くわけにはいかない。
私は先生の肩に手を置いて言った。
「先生、よく聞いてください。彼女が先生の言うことに従わず、娘を運動会に参加させないとしたら、それは私の責任です。先生に責任はありません。でも『お父さんは帰りました。もうここには戻らないと約束したので、娘さんを運動会に参加させてあげませんか』と言うくらいは、できますよね。言うだけです。電話一本です。娘に、思い出を取り戻すチャンスだけは与えてあげてください」
 真剣に伝えたが、担任はしぶしぶ「まあ、電話するだけならしてみますけど……戻ってくるかはわかりませんよ」と声を絞り出すのが精一杯のようだった。

 後から聞いた話では、やはり元妻は担任に苛烈なクレームを入れていたそうだ。「子供を呼ぶときの声が大きい」「口調が荒い」「目つきが怖い」など、理不尽なクレームをつけては、担任を疲弊させていたという。自分の気に入らないことには文句をつけなければ気が済まないのが元妻だ。
 元凶は心の弱い部分につけ込んで「はき違えた自由」を教え、「自立した女性の社会進出」をお題目に家庭を破壊させる女権団体と、それを利用してカネ儲けに奔走するラチベン以外に無い。
この二者に洗脳されてしまった元妻にとっては、娘の心を傷つけ、思い出を奪う運動会からの連れ去りも、ドラマチックな「人生の晴れ舞台」として美化されてしまっている。
「権利」と「法」を悪用して「敵」を糾弾し、追い込みをかける。女権団体の指導と訓練、ラチベンによる知識武装は徹底しており、警察も学校も裁判所も持ち駒のように使いこなす。もっとも凄まじいのは子供の心と人生を、平然と蹂躙する精神性だ。
自分たちは正しいことをしている。子供を守っている。今は傷ついているかもしれないが、いつかわかる。そう信じて疑わない。
恵まれなかった自身の物語が、可哀想だった自分の魂が、いま戦いを通して大輪の花を咲かせようとしている。一歩引いた視点から見れば、「何言ってんだ」と鼻白まれるような錯覚だが、耽溺している本人には、言葉も常識も「聞こえない」のである。
「権利」を守りながら「幸せ」を手放し、「法」を守りながら「人の道」を踏み外す。フェミニズム・システムは狂信的カルト宗教を彷彿とさせる。カルトに魅入られた元妻は、ひょっとしたら時代の犠牲者なのかもしれない。
 心なき両親に虐待されたと嘆いていた彼女はいまや、モンスターペアレントならぬモンスターシングルマザーで、禍々しき女権団体の中枢メンバー。学校の自治すら土足で踏みにじるフェミニズムの暴威に教員たちは震え上がっている。
 当の私自身ですら、子供と会うために時代と社会のシステムそのものに立ち向かわなければならないのかと考えると、気が遠くなった。

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