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「パパ、いじめちゃってごめんなさい」私との絆が、娘を傷つけていた。

■20
「わたし、パパのしゃしんみて、ないてた……」
 二年三ヶ月ぶりの再会を果たしたとき、娘はぽつりともらした。
 会いたいけど、どうすれば会えるのかわからない。母親に「パパにあいたい」と言えば、嫌な顔をされる。
 そして私に「ぱぱ いじめちゃってごめんなさい」という手紙を送ってきたのだ。いちばん身近で泣いている娘を見て、娘が自分を責めている内容の手紙を送ってきたのは元妻だ。
 それでも、母親として娘を愛し、守ってくれていると思っていた。思おうとしていた。娘の手紙を送ってくれるのも、母親としての情愛だと理解するように努めていた。
だが、いまこうして一連の経過を省みると、元妻は、私が想像もつかない人間性の持ち主であったのかと思うようになった。
「あんたがやったことで、この子はこんな思いをしてるんだ。思い知れ」元妻の声が頭の中でぐるぐるめぐる。新潟からの夜行バス、狭い座席で輾転反側しながら私は眠られぬ夜を過ごした。
 元妻の理不尽な所業への怒りと絶望感が熱い鉛のように腹の中で逆巻くが、結局それは自分を責める声となって、心をさらに深く抉った。
 あの子はどんなに悲しかっただろう。どんなに寂しい思いをしただろう。私が会いに行けば、娘を悲しませることになる。もう、学校に会いに行くのはやめよう。自分など、いなければいい。そんな精神状態に陥っていた。
 娘と私との絆――ただそれだけを信じて、生き抜いてきた。しかし、その絆そのものが、いま娘を傷つけているのだ。そんなものに何の意味があるのか。私が生きている意味はあるのか。
 息子とは生後二ヶ月で断絶させられた。連れ戻しで一晩だけ一緒に過ごせたのも、生後四ヶ月の頃だ。あれからもう二年が過ぎた。絆以前に、私のことなど覚えてはいないだろう。私は、いない存在なのだ・・・・・・。心に灯っていた僅かな火は消えた。

 死んだら、どうなるだろう。お金を送る人がいなくなって困るのかな。
収入は減るだろうが、彼女にはじゅうぶんな収入がある。女権団体のツテで、共産系の第三セクターの要職に就いたのだ。
では「自分が死に至らしめた」と自責の念を抱くだろうか。いや、それはない。自分に都合良く物事を解釈することにおいて、彼女の右に出る者はいない。
「死ぬってことは、結局そこまでの人だったってことなんだよね。生物としての力が弱かったんだから、仕方ないよね」
自殺した私の友人の葬式の帰り、そんなことを言っていたのを思い出した。
 では、私が子供たちの前から姿を消してしまえば、元妻は安心するのだろうか。彼女の気持ちが安定すれば、子供たちだって心穏やかに暮らせるかもしれない。
 私は想像した。元妻と子供たちが笑顔で食卓を囲んでいるシーン。しかし靄がかかって、それがちゃんとイメージできない。何故だろう……と、思った瞬間、答えに思い当たった。
原因は、彼女の両親だ。元妻は、両親を憎んでいる。いや、恨んでいるといったほうが適切かもしれない。

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