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運動会から、娘が消えた! 担任は保身のために、娘の消息を「知らない」と言った。

■18
「パパにあえるおしごとは、なあに? わたし、はやくおとなになって、パパにあえるおしごとをするの」
 二年三ヶ月ぶりの再会を果たした日、娘は言った。
 父親はある日、姿を消した。母親はなにも答えてくれない。それは、きっと自分のせいだ。自分が、なんとかしなければならない。幼いながら、「どうすれば父親に会えるのか」考えたのだ。
 私にとって生涯の宝物となった、あの日の言葉、笑顔――

「まもなく新潟に到着いたします」
 夜行バスのアナウンスで、私は目を覚ました。
 今日は娘の運動会だ。ほかの父兄に紛れやすいよう、綿パンにトレーナー、薄手のブルゾンという服装だ。元妻に見つかりにくいよう、帽子と伊達メガネも持参している。
 運動会の二時間前に学校に到着した。校庭には、早くも席を確保しに来ている父兄がいる。私は元妻がいないことを確認し、父兄が出入りするゲートを確認した。次に大会本部と学年別の児童たちの待機場所、トイレの位置、昼食をとる場所などを見て回った。
 そして元妻に見つからないよう、木立の後ろから立ち見をすることにした。チャンスがあれば、ピンポイントで娘に話しかけたい。「お父さんが来たよ」と伝えてあげたかった。
 児童が入場する時刻となった。
 到着してから二時間以上、注意深くあたりを見回していたが、元妻の姿は確認できなかった。娘の競技の時間になったら、来るつもりなのかもしれない。
 いつ、どこで視認されるかわからない。ほのぼのした雰囲気いっぱいのグラウンドは、私にとって戦場だった。
 児童が全員、待機場所に座っている。そこに何人かの父兄がまばらに声をかけに行っている。まだ元妻が来ていないとすれば、今がチャンスだ。私は娘に声をかけに行った。
「お父さん、来たよ」
 振り向いた娘は、驚き、その後すぐにとろけるような笑顔を見せてくれた。
「頑張ってね、見てるから!」
「うん、がんばる!」
 それだけの言葉を交わすと、私はすぐに父兄の中に紛れ込んだ。
 娘の姿を見るチャンスは三度だ。はじめのラジオ体操、次に午前中の障害物競走、最後に午後の徒競走だ。
 違和感を覚えたのはラジオ体操だった。待機席から全生徒がダーっとグラウンドへ向かって走る。両手を広げ、間隔をとってラジオ体操をするために並ぶ。そのなかに、娘の姿が見当たらない。遠くの木立の後ろから見ている私には、はっきりとは見えない。多分あれが娘だろうという子を眺めていたが、何か違う気がする。
 待機席に戻る子供たちを一人ずつ見ても、娘がいたはずの位置に違う子がいる。障害物競走の移動で、私はさらに目を凝らして児童たちを注視した。
 娘がいない。胸がざわついた。徒競走で走る子たちを最初から最後まで見たが、やはり娘はいない。待機席に戻るときにも懸命に探したが、いない。娘がいなくなってしまった。
 やがて昼食の時刻となった。私は担任の先生をつかまえて聞いた。「先生、うちの娘がいないんですが」
「いや、ちょっとわかりませんねえ」と担任は目をそらした。
「先生、自分のクラスの生徒なんですよ。『わからない』は、ないですよね」
 担任は、沈黙してうつむいた。すこし青ざめているようにも見える。
「先生、私は怒っていません。先生を責めるつもりも、まったくありません。ただ娘のことが心配なんです。本当のことを、教えてください」
 いちいち「身の安全」を保証してあげなければ、話が進まない。あの校長が特別だっただけで、学校も警察や裁判所と同じく、保身のことしか考えていないではないか。私はすっかり失望してしまった。
 担任は私の目を見ずに言う。
「お母さんが、連れて帰られました」
 耳を疑った。そんなことが許されるのか。
「何故ですか?」
「お父さんが来たからです」
 私が来たから……。担任は言い訳を続けたが、頭の中には入ってこなかった。

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