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ニーチェ霊解

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2024年8月の記事一覧

ニーチェが求めた憧れの「友」

ニーチェが求めた憧れの「友」

ニーチェが求めた「友」とは、駱駝から獅子、そして小児へと変化し、自分自身の内に「完成した世界」を獲得した創造的な友です。

その創造的な友は、太陽のように、自ら所有するものを贈り与え、分かち与えようとする存在でもあります。

しかし、そのような存在は理想であるため、現実世界で出会うことはできません。そのため、イメージの世界において理想的な友を創造するしかありません。

そのイメージの世界で創り出さ

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ニーチェ 「自己超克の哲学──最高の自己啓発書」

ニーチェ 「自己超克の哲学──最高の自己啓発書」

ニーチェの哲学を理解する上で極めて重要な著作は、主著である『ツァラトゥストラ』、自らの著作に新たに加えた「七つの序言」、そして自らの著作を解説している『この人を見よ』です。

ニーチェは、『ツァラトゥストラ』という「この世で最高の書」を書き上げたにもかかわらず、それに満足することなく、最後の最後まで自らの思索を深め続けました。特に「七つの序言」と『この人を見よ』から、そのことがうかがえます。

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ニーチェ 「道徳や社会と無縁の行動」

ニーチェ 「道徳や社会と無縁の行動」

自己啓発書やスピリチュアル本は、非常に道徳的であり、高い社会性や行動力を要求します。そのため、社会の中で心身をすり減らして苦しんでいる人にとっては、有害になり得ます。

一方で、ニーチェの『ツァラトゥストラ』は孤独を讃美する書であり、社会の中で心身を疲弊させている人にとって、癒しとなるでしょう。

ツァラトゥストラは、燃え尽きて灰のようになった心身を10年間の山籠りで癒しました。彼は山の中の洞窟で

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ニーチェ 「高貴な人間の自己肯定」

ニーチェ 「高貴な人間の自己肯定」

ニーチェの『善悪の彼岸』における「高貴とは何か」と『道徳の系譜』を読むことで、自己肯定感が高まります。ただし、ここで言う自己肯定感は、自己啓発や成功哲学、スピリチュアル本でよく語られるポジティブ思考によって得られるものとは全く異なります。この書物を通じて高まるのは、「高貴」な人間としての自己肯定感です。

自己啓発や成功哲学、スピリチュアルの道徳的で甘ったるい説教にうんざりしている方は、毒舌で塩気

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ニーチェ「理想の世界の創造 空想の価値と芸術の追求」

ニーチェ「理想の世界の創造 空想の価値と芸術の追求」

理想の世界を想像してください。空想には無限の可能性が広がっています。そこでは、あらゆる理想の世界を創造することができます。

その空想の世界にも価値があります。現実的なものだけに価値があるのではなく、空想にも価値があります。現実的なものを作ることだけが芸術ではありません。理想の世界を想像することも立派な芸術活動です。

芸術活動は魂を充実させます。創造と美をどこまでも追求することが人生です。

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ニーチェ「孤独の聖域・孤独の楽園」

ニーチェ「孤独の聖域・孤独の楽園」

無意識は抑圧された深層ではなく、あなたの聖域です。それは、あなたが本来の自分らしく生きられる自由な世界であり、心が満たされるあなただけの孤独の楽園です。

この聖域は、あなたの趣味が色濃く反映された空間であり、選ばれた人だけが入ることを許されます。

しかし、聖域の最奥部には至聖所があり、そこに入れるのはあなただけです。そこには神がいます。そこで自我が自己(神)に会い、自分が何者なのかを知るのです

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ニーチェと荘子ともののけ姫 存在しない理想のパートナー

ニーチェと荘子ともののけ姫 存在しない理想のパートナー

ツァラトゥストラは孤独でしたが、鷲と蛇が一緒にいました。

『荘子』に登場する神人も山に独りで住んでいましたが、飛竜が共にいました。

もののけ姫のサンも人間とは関わらず、山犬と一緒にいました。

彼らと動物たちは、以心伝心の関係であり、打てば響くような仲でした。これらの動物たちは、理想的なパートナーの象徴です。しかし、あくまで理想であるため、現実世界で出会うことはできません。

人間は、分かり合

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禅僧ニーチェ 道徳を超越した無邪気な悪意と笑い

禅僧ニーチェ 道徳を超越した無邪気な悪意と笑い

ニーチェは、道徳家でも有徳者でも聖人でもなく、「悪意」に満ちた存在です。

彼には「賎民」や「同情」を嘲笑する悪魔的な一面があるため、『ツァラトゥストラ』の思想は万人受けするものではありません。真面目な人にとっては、不快な書物となるでしょう。

ただし、ニーチェの悪意は「健やかな悪意」であり、「無邪気な悪意」です。彼の哄笑はカラッとした笑いです。

ニーチェ=ツァラトゥストラは、臨済のような禅僧と

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ニーチェ「恐怖や緊張を克服する方法/妬みから解放される方法」

ニーチェ「恐怖や緊張を克服する方法/妬みから解放される方法」

あなたには、怖いと思う人や、意識して緊張してしまう人がいますか?

恐怖や緊張を感じたときは、『ツァラトゥストラ』の「まむしのかみ傷」の話を思い出し、「自分は竜であり、相手は蛇である」と考えるのです。

「相手とは格が違う」と考えることで、余裕が生まれ、恐怖や緊張から解放されます。

ツァラトゥストラが微笑みながら蛇と会話したように、格が違いすぎると見下すことさえしません。

また、「ツァラトゥス

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呪術廻戦『羂索の物語』 現代版ツァラトゥストラ『羂索かく語りき』

呪術廻戦『羂索の物語』 現代版ツァラトゥストラ『羂索かく語りき』

羂索とツァラトゥストラの人間観は共通しています。それは、「肉体は魂であり、魂は肉体である」という考えです。

現代の科学では、脳のデータをハードディスクに移す研究が進められていますが、もし肉体に魂が宿っているのなら、脳のデータを移動できたとしても、魂のないアンドロイドができるだけです。

魂とは何かについては、宗教では不滅の存在とされてきましたが、現代の科学では意識の別名とされています。

魂=意

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神と悪魔の顔を持つニーチェ 人間性とテクストの快楽

神と悪魔の顔を持つニーチェ 人間性とテクストの快楽

ニーチェは神と悪魔の両方の顔を持っています。彼は嘘をつき、欺き、読者を眼下に見下ろし嘲笑することもあります。そのため、ニーチェの言葉をそのまま信じてはいけません。

『この人を見よ』では、「なぜ私はこんなに賢明なのか」「なぜ私はこんなに利発なのか」「なぜ私はこんなによい本を書くのか」といった大袈裟な表現を繰り返していますが、その誇張によって「これはユーモアで言っているのですよ」ということを読者に伝

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ニーチェ「神殺しと力への意志」 ギリシア人の美しさの源

ニーチェ「神殺しと力への意志」 ギリシア人の美しさの源

ニーチェは神を殺し、最終的には自らがディオニュソスの神となりました。『エヴァンゲリオン』の碇ゲンドウも神を殺し、自ら神となりました。

「ディオニュソスの神」は力への意志が盛んな神であり、その対極には「デカダンスの神」がいます。この神は力への意志が衰えた存在です。

自ら神となるという「狂気」の沙汰は、力への意志、つまりあふれるばかりの力、健康、充実から生じます。

力への意志が衰えた者は「幸福」

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ニーチェ 「烈火の中から生み出す世界」

ニーチェ 「烈火の中から生み出す世界」

他者に理解されなくても、評価されなくても、気にすることはありません。常に自分の内に秘めた火を燃やし続けるのです。他者に吹き消されてしまう程度の弱い火であってはいけません。

他者を満足させるのではなく、自分を満足させる世界観の創造に力を注ぐのです。

独自の世界観を作るための材料はたくさんあります。それらをどう組み合わせるか、そこに美意識とセンスが問われます。

人は自らの美学を追求し、それを形に

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ニーチェ「忘却と記憶の樽」 権威として語る

ニーチェ「忘却と記憶の樽」 権威として語る

他者に自分の考えを伝えて、「その根拠は何ですか?」と問われても、答えられるものではありません。その根拠となるものは遠い昔に忘れてしまっているからです。

自分の考えの根拠を説明する際に、他者の権威を持ち出す必要はありません。裏付けとなるものを提示したり、権威ある文献を持ち出す必要もありません。

他者に根拠を聞かれた場合は、「私が根拠です」と答えれば良いのです。あなた自身が根拠となり、権威となるの

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