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呪術廻戦『羂索の物語』 現代版ツァラトゥストラ『羂索かく語りき』

羂索(偽夏油)
「君は魂は肉体の先に在ると述べたが、やはり肉体は魂であり、魂は肉体なんだよ。でなければこの現象にも、入れ替え後の私の脳に肉体の記憶が流れてくるのにも説明がつかない。」

ツァラトゥストラ
わたしは肉体であり魂である」──そう幼子は言う。なぜ、人々も幼子と同様にそう言っていけないだろう。
さらに、目ざめた者、洞察した者は言う。自分は全的に肉体であって、他の何ものでもない。そして魂とは、肉体に属するあるものを言い表わすことばにすぎないのだ、と。肉体は一つの大きい理性である。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』「肉体の軽蔑者」手塚富雄訳、中公クラシックス、Kindle版。

羂索とツァラトゥストラの人間観は共通しています。それは、「肉体は魂であり、魂は肉体である」という考えです。

現代の科学では、脳のデータをハードディスクに移す研究が進められていますが、もし肉体に魂が宿っているのなら、脳のデータを移動できたとしても、魂のないアンドロイドができるだけです。

魂とは何かについては、宗教では不滅の存在とされてきましたが、現代の科学では意識の別名とされています。

魂=意識が脳にのみ存在するのなら、魂のあるアンドロイドも実現できるかもしれません。しかし、脳以外の肉体(たとえば腸内細菌)が脳に影響を与えていることが分かってきています。そのため、脳のデータを移し替えたところで、魂のある人間になることは難しいのではないかと思います。

また、彼らの目的も共通しています。羂索の目的は、人類を強制的に高次の存在へ進化させ、人間の新たな可能性を追求することでした。一方、ツァラトゥストラの目的は、人間を超人にすることでした。

つまり、彼らの目的は共に人間をより高次な存在へと変えることにありました。現代の科学における、脳のデータを移植したアンドロイド(機械人間)を完成させようとする試みもまた、人間を高次の存在にする試みの一つと言えるでしょう。

ツァラトゥストラという人物は、羂索のモチーフの一つになっているのではないかと思います。

『ツァラトゥストラかく語りき』をベースに、羂索を主人公にした現代版ツァラトゥストラ、『羂索かく語りき』という物語を創作したら、面白い作品ができると思います。

羂索は独自の思想を持っており、千年以上生きているキャラクターなので、彼の思想と歴史を織り交ぜた物語にしても面白い作品ができそうです。ぜひ、芥見先生に羂索を主人公にしたスピンオフ作品を作ってもらいたいです。

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力強い魂は、高貴な肉体のものだ。美しく、勝利の自信にみちて、快い身体、まわりのすべてのものが、それを映す鏡となる。

──靭やかで、有無を言わさぬ身体、舞踏者の身体、それはみずからを歓んでいる魂の比喩であり、精髄だ

この肉体と魂がみずから歓ぶもの、それを「徳」と呼ぶ。
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』「三つの悪」佐々木中訳、河出文庫、Kindle版。

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わたしの場合、創作力がもっとも豊かに湧き出るときに、筋肉の軽快さがいつも最高になった。肉体が霊感をうけるのだ。「魂」などは放っておこう──いくどか、わたしの踊っている姿も見られたはずだ。
ニーチェ『この人を見よ』「ツァラトゥストラ4」手塚富雄訳、岩波文庫、Kindle版。

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わたしの兄弟たちよ、むしろ健康な肉体の声を聞け。これは、より誠実な、より純潔な声だ。健康な肉体、完全な、ゆがまぬ肉体は、より誠実に、より純潔に語る。そしてそれは大地の意義について語るのだ。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』「背面世界論者」手塚富雄訳、中公クラシックス、Kindle版。

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わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは乗り超えられるべきあるものである。あなたがたは、人間を乗り超えるために、何をしたか。

およそ生あるものはこれまで、おのれを乗り超えて、より高い何ものかを創ってきた。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』「ツァラトゥストラの序説」手塚富雄訳、中公クラシックス、Kindle版。

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