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ニーチェ「忘却と記憶の樽」 権威として語る

小児は無垢である、忘却である。

手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』「三様の変化」

他者に自分の考えを伝えて、「その根拠は何ですか?」と問われても、答えられるものではありません。その根拠となるものは遠い昔に忘れてしまっているからです。

自分の考えの根拠を説明する際に、他者の権威を持ち出す必要はありません。裏付けとなるものを提示したり、権威ある文献を持ち出す必要もありません。

他者に根拠を聞かれた場合は、「私が根拠です」と答えれば良いのです。あなた自身が根拠となり、権威となるのです。他者の権威に依存せず、自分が権威として語り、堂々と生きるのです。

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ある種の人間にたいしては、君たちは、なぜ、という問いをかけてはならぬ。わたしはそういう人間の一人だ。

わたしの体験は、きのうきょうのことだろうか。わたしがわたしの意見の根拠となることを体験したのは、久しい前のことだった。

もしわたしがそういう数々の根拠を覚えておこうとしたら、わたしは記憶の樽とならざるをえないではないか。

わたしの意見そのものを覚えていることが、すでにわたしには煩わしすぎる。逃げ去ってしまった鳥も少なくない。

手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』「詩人」

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