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禅僧ニーチェ 道徳を超越した無邪気な悪意と笑い

ニーチェは、道徳家でも有徳者でも聖人でもなく、「悪意」に満ちた存在です。

彼には「賎民」や「同情」を嘲笑する悪魔的な一面があるため、『ツァラトゥストラ』の思想は万人受けするものではありません。真面目な人にとっては、不快な書物となるでしょう。

ただし、ニーチェの悪意は「健やかな悪意」であり、「無邪気な悪意」です。彼の哄笑はカラッとした笑いです。

ニーチェ=ツァラトゥストラは、臨済のような禅僧と似たタイプの存在です。彼は、善と悪の両方を併せ持った存在なのです。

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わたしは、たとえば、断じて案山子ではない、道徳幽霊ではない、それらのものでないどころか、わたしは、従来有徳者として尊敬されてきたようなたぐいの人間とは正反対の生まれである。

打ち明けていえば、ほかならぬこのことが、わたしの誇りの一つになっているらしい。わたしは、哲人ディオニュソスの弟子である。

わたしは、聖者になるよりは、いっそサテュロスになることを選ぶだろう。
ニーチェ『この人を見よ』「序言2」手塚富雄訳、岩波文庫、Kindle版。

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そこで、民衆は口々に、ツァラトゥストラは悪魔にさらわれたのだろう、と言った。彼の弟子たちは、この風評を聞いて、笑った。

弟子の一人は、こう言ったほどである。「むしろ悪魔がツァラトゥストラにさらわれたというのなら、まだ話は分かるが」と。
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』「大いなる出来事」森一郎訳、講談社学術文庫、Kindle版

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私が目撃したことのある最高の人間たちよ、君たちに対する私の疑いと、私のひそかな笑いは、こうである。私の察するところ、君たちは私の超人を──悪魔と呼ぶことだろう
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』「賢い世渡り法」森一郎訳、講談社学術文庫、Kindle版


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そうだ、わたしの幸福と自由は、嵐のようにやってくる。しかしわが敵は、頭上で邪悪なるものが荒れ狂っていると思うだろう
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』「鏡を持った幼子」佐々木中訳、河出文庫、Kindle版。

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わたしはもはや諸君と同じように感じていない。わたしが足下に見る雲、わたしが哄笑を浴びせる黒ぐろとして重い雲が──まさに諸君にとっては、嵐を巻き起こす雷雲だ

諸君は高められたいと願うときに、上を見る。わたしはすでに高められているから、下を見おろす

諸君のうちで誰が、哄笑することができ、そして高められていることができるか。

もっとも高い山頂に立つ者は、すべての悲劇と悲劇の厳粛さを笑う
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』「読むことと書くこと」佐々木中訳、河出文庫、Kindle版。

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だがそのあいだ、わたしはあたたかくなってきた脚で、わが橄欖(かんらん)山を縦横無尽にかけめぐる。橄欖山の陽だまりで歌い、一切の同情をあざわらう──。
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』「橄欖山の上で」佐々木中訳、河出文庫、Kindle版。

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この頂で笑え。笑え!わたしの明るい、健やかな悪意よ高山からおまえのきらめく嘲弄の哄笑を投げおろせ。おまえのきらめきで、最も美しい人間魚を釣り上げよ。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』「蜜の供物」手塚富雄訳、中公クラシックス、Kindle版。

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山のなかで最短の道は、山頂から山頂へ飛ぶ道だ。だがそのためには、長い足がなくてはならない。寸鉄のことばとは、この山頂たるべきだ。その言葉から語りかけられる者は、大きな、背の高い者でなければならない。

空気はうすく清らかで、危険は間近く、精神は快活な悪意で満ちている。そこでは、これらのことが、ぴたりと調和している。
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』「読むことと書くこと」佐々木中訳、河出文庫、Kindle版。

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わが悪意は哄笑する悪意だ。薔薇咲く丘、百合咲く垣のもとでやすらう悪意だ

──つまり笑いのなかにはすべての悪がならび立つ。だが悪自体の至福によって聖別され、免罪されて。
ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』「七つの封印」佐々木中訳、河出文庫、Kindle版。

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わたしは、子どもたち、またあざみと赤いけしの花にとっては、今も学者だ。これらのものたちは、悪意においてさえ無邪気である
ニーチェ『ツァラトゥストラ』「学者」手塚富雄訳、中公クラシックス、Kindle版。

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わたしの海の底は静かである。だれが知ろう、それが戯れ好きの怪物をかくしていることを。

わたしの深部はゆらぐことがない。しかしそこは、泳ぎ遊ぶさまざまの謎と笑いとで、かがやいている
ニーチェ『ツァラトゥストラ』「崇高な者たち」手塚富雄訳、中公クラシックス、Kindle版。

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私の美しさから、私の飢えが生じる。私は、私によって照らされる者たちに、苦痛を与えてやりたい。私が惜しみなく与えたものを、奪ってやりたい。──そんなふうに、私は悪意に飢える

手がもう差し伸ばされているときにも、手を引っ込めてやりたい。落下しつつもなおためらう滝のように、ためらいながら。──そんなふうに、私は悪意に飢える

そういった復讐をつらつら考え出すのも、私の充実ゆえだ。そういった悪だくみが湧き起こるのも、私の孤独ゆえだ

惜しみなく与えるときにおぼえる私の幸福は、惜しみなく与えているうちに逝ってしまった。私の徳は、あまりに充実しているために、自分自身に飽きてしまったのだ。
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』「夜の歌」森一郎訳、講談社学術文庫、Kindle版

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沈黙によって自分の本心を漏らすことのないよう、私の沈黙は心得ている。これぞ、私の最も好きな悪意と技術にほかならない
ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』「オリーブ山にて」森一郎訳、講談社学術文庫、Kindle版

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