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#ゲーム

楽しい - エモい = おもしろい

楽しい - エモい = おもしろい

「楽しい」と「苦しい」

よくスポーツ選手がオリンピック出場前にメディアに聞かれて

というけど、これは期待を背負って自分を追い込んでしまうと、体が固まって力を発揮できないから、意識的に楽しもうとしているということでいいだろう。

ベストパフォーマンスを発揮するために意識的に楽しもうとしているということだから、「楽しみを勝つための手段にしている」といえば言えなくもない。

いまWBCを控えて侍ジャ

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エモくなりすぎたら一巻の終わり

エモくなりすぎたら一巻の終わり

いきなりだが、生きていくうえでいちばんだいじなことは、

ということではないか。「余裕」と言い換えてもいいだろう。

駆け落ちとは?

昔の日本の小説を読むと、若い男女が駆け落ちしたり、心中したりするシーンがやたら出てくるんだけど、今の若い人はあまりやらないだろう。いいことだ。

「駆け落ち」、「心中」という言葉自体が死語になっているのかもしれないが、それもいいことだ。

ちなみに、駆け落ちとは「

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いきなり水の上を歩かない

いきなり水の上を歩かない

昨年末に『展覧会 岡本太郎』を見に行ってたいへんに感動したという話を以下の記事を書いたことがある。

しかし、その感動の原点になったことについては、あまり触れなかった。それは、岡本太郎の初期のデッサンが、

ということだった。これが感動の直接のきっかけになったのだが、岡本さんがうまいのは僕が知らなかっただけで、美術界ではたぶん当たり前のことなのと思ったため、記事では省略している。

岡本太郎はヘタ

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夜になれば話は別だ。

夜になれば話は別だ。

だれにでも「心の支え」ってやつはある。元気な時には、そんなものはどうでもいいような気で生きているが、やや弱ったときには「心の支え」があるかどうかが大きい。

弱ることのない人間などというものは存在しない。

夜になれば話は別だ

ヘミングウェイの『陽はまた昇る』という小説の中の有名なくだりにこういうのがある。

主人公のジェイク・バーンズは、このときたぶん泣いているのだと思う。泣いているとは書かれ

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やはり人生はゲームだと思う

やはり人生はゲームだと思う

人生はゲームだと思うのがいいような気がする。ほんとうはゲームでは片付かないことも多いのだが、人が生きていくうえではどうしても

に焦点が当たりがちだ。それがムダな軋轢や感情論を生み、解決できるものも解決できなくなってしまうことが多いので、ここはひとつ

という風に割り切ってみるのも手なのではないか。

感情論を避けられる

ゲームだとわりきることの利点は、必要以上に感情的にならないで済むということ

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世の中には「まじめ」だけではクリアーできないことが多い

世の中には「まじめ」だけではクリアーできないことが多い

「冗談半分」ということばがあるが、ぼく自身は冗談半分で生きている。冗談が半分あるということは、もちろんまじめも半分ある。

別な言い方をすると

と思っているということで、そう思っているほうがなにかと攻略しやすく、ムダな苦労がいらないのでそう思っている。

とはいえ50%くらいは

と思っているのだが、100%じゃなければゆるせないという人もいて、つまり冗談が通じない。

世の中はまじめな方が上等

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複雑で汚くて間違いだらけのこのステキな世界

複雑で汚くて間違いだらけのこのステキな世界

コンピューターゲームはおもしろい。だれがなんといおうとおもしろいわけだけど、そのおもしろさの本質がどういうものなのか、遊びながらいつも考えている。もう何十年も考えている。

そしてゲームのおもしろさは、次の2点に集約されるとぼくは考えるに至った。

この2つだ。

たとえば、大ヒットした『グランドセフトオートV』というゲームを考えてみよう。

このゲームの中には現実のロサンゼルスそっくりの街が再現

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「ゴミ客」宣言

「ゴミ客」宣言

新年をめどに時間の使い方を考え直すつもりだ。先日の記事でそう書いた。

あのときは、「映画を見るのを止める」だとか「ゲームを止める」だとか「プロ野球観戦を止める」といった、なにか一つ「好きなことを断つ」的な方向で考えていたんだけど数日たって考えが変わった。好きなものを完全に断つのは体によくない。

好きなことをぜんぶ捨てるのではなく、新しいものだけを捨てる方向で考えようと思う。

たとえば、ぼくは

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