マガジンのカバー画像

ことばつむぎ

36
心の琴線に触れた出来事を綴っています。ほっ、としたい時にどうぞ♡
運営しているクリエイター

#言葉

波紋 = HARMONY

波紋 = HARMONY

自然界に直線でできているものは存在しない。

全てが曲線をおびていて、

その曲線は、そのものの光と影、個性を物語っている。

曲線があるがゆえにひとつとして同じものは存在しない。

そのなかでも、波紋はその完成体、ハーモニーの象徴だと思う。

わたしは波紋が好き。

だって、あんなに美しい円を、
どんなきっかけからも生み出すことが出来るのだから。

雨が降り、やがて水蒸気となり、また雨となって地

もっとみる
シンクロニシティ・メモ

シンクロニシティ・メモ

今日は少しだけ、悲しいことがあった。

悲しいと言っても、私や家族の身に何かあったわけではなく
言うなれば知り合いの失恋の報告を聞いたような、そんな心境。

人の気持ちも環境もいつまでも同じ場所にはとどまってはいないし
絶えず変化していくもの。

終わりは新しいことのはじまり、だな。
どんなことがあっても、いつか、元気に笑えるときが来る。

図書館に行く途中、そんなことを考えて、しんみりしていた。

もっとみる
東京ブルー

東京ブルー

わたしは東京・世田谷の下高井戸という街で生まれ育った。

高校は、渋谷と恵比寿と代官山の真ん中にあって
制服もなければルールも特にない、とても自由な学校だった。
毎日、痴漢が多いと言われる井の頭線(なのに一度も遭ったことがない)で渋谷まで通い、個性的な人たちに囲まれて過ごした3年間だった。

在学中も、卒業してからも昼も夜も渋谷や新宿が遊び場だった。

エンジョコウサイをふっかけてくるオジサンもい

もっとみる
胎児からのあいさつ

胎児からのあいさつ

誰が私の母になろうとも
母のからだが、私自身をつくるのに
適した場所であってほしい。

母の心が、いつも明るく
私を産みたいと望み
育ててくれ

そしていつの日か
私が母を愛せるようになるよう
私を愛してほしい。

(1983年 自然育児 友の会創刊号より)

妊娠中は、いい時よりも、
つわりもあってふさぎこんでいた時期が長かった。

またあるときは、母になる自信がなくて悩んだこともあった。

もっとみる
シャボン玉のように

シャボン玉のように

日本からカナダに戻りました。

わたしと子供達は、朝4時に眠り午後1時に起きるような、
ひどい時差ぼけ。

もうあとも数日すればこの時差ぼけも治り、
それとともに日本にいたという実感が遠のいていくようで
なんとなく惰性で過ごしている。

今回の日本滞在は”The 家族”だった。

数年前までは、
帰国といえば自分と親だけの関係で、興味の赴くままに飛び回わり家にいるのなんて数日。

だけど、今回はわ

もっとみる
エネルギーの余韻

エネルギーの余韻

よい人にバッタリ会った。
もう会えないとおもっていたのに、まさか会えるなんて!というサプライズだった。

その人に会うだけで、いい気持ちになれる。
元気が出る。落ち着く。迷いが晴れる。
その人の美しいエネルギーの余韻がしばらくのあいだ心を温めてくれる。

これまでのあいだ、何人かそういう人に巡りあってきた。
内面の美しさを理解するのに、言葉はいらない。
ハグで十分だと、出会うたびに思う。

そして

もっとみる
Forest Healing

Forest Healing

シンクロニシティーに気づくことが増えた

シンクロにシティーのささやきは小さくて、
耳を澄ませたとたんにふっと消えてしまう。
面影がかげろうのようにゆらゆらと揺れて、わたしの心をくすぐる。

わたしを取り巻くエネルギーの”雰囲気”が変わったのが自分でもわかる。
”自分の人生を創造したい”という氣力が湧いてくる。

そういう流れが来ていると、足は自然と森に向かうものなのだ。

Waldorf Sch

もっとみる
みどりのひみつ

みどりのひみつ

今年はわたしのまわりで(自分も含めて)新しい命がたくさん誕生した年でした。

そして、まわりの人の生き方をみていて、自分もたくさん学んだ年でした。

自分のことではないのに、やきもきしたりして。

わたしがやきもきしようがしまいが
人はみな、その時、その人の人生を生きている。
わたしができることは、見守ることぐらいなんだな。
そして、”見守る”ってかなり深い。
揺れる。飲み込む。そして伝える。無力

もっとみる
大人の節目

大人の節目

あっというまに冬になりました。
底冷えする寒さです。気温もマイナスいったかな。
今日はウィスラーにいきました。
青空と雪山のコントラストがまぶしすぎて目が開けられなかった。

秋から冬に季節がうつろう一瞬のあいだに、わたしの中で大きな変化がありました。

父が亡くなりました。
お酒が原因でした。

父とはいろいろありまして。
最初の危篤の知らせが入った6年前、”もう会うことはありません”という手紙

もっとみる