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みどりのひみつ

今年はわたしのまわりで(自分も含めて)新しい命がたくさん誕生した年でした。

そして、まわりの人の生き方をみていて、自分もたくさん学んだ年でした。

自分のことではないのに、やきもきしたりして。

わたしがやきもきしようがしまいが
人はみな、その時、その人の人生を生きている。
わたしができることは、見守ることぐらいなんだな。
そして、”見守る”ってかなり深い。
揺れる。飲み込む。そして伝える。無力を知る。

”見守る”って大人の入り口 なんだな。
無関心の裏っかわ。
これに気づいたこと、かなりの収穫です。

数年前に書いた記事を読み返してみて、たった3年のあいだに、
わたしはモノゴトの感じ方ががらりと変わったなと思った。

”みどり”の中に、パッと見、”黄色”と”青”を見つけられないみたいに、
3、4年前のわたしと出会った人は、今のわたしは昔と違うと思うだろうな。

わたしが”みどり”だとしたら、
黄色と青でできていること、わたしですら忘れてた。

黄色のわたし。
弱かったり、逃げたり、迷ったり、フラフラフワフワしてて、感受性が強かった

青のわたし。 
チャレンジしたがりで、自然界と書くことが大好きで、内側の世界にどっぷり浸かってて、外の世の中が嫌いで。

最近は そのどれも減った。
ふたつの色が混じり合っても、1+1=2じゃないのだ。
それどころか、みどりは、青と黄色を感じさせないんだから。
かすかな面影だけを残して。

まじりあってみて思ったけれど、意外と外の世の中は悪くない。

おもしろいね。

わたしは絵は描けないけど、こうして
こころのなかでキャンバスに色を重ねていく作業好きだな。
人生のライフワークだ。

そんなことを考えてたら、ひざかっくんされたみたいに、体の力がガックンって抜けた。
あちゃー。かなり、力んでたわ。
ひざかっくんされても、倒れないくらい力んでたかも。
無駄にふんばってたな。ははは。

さて来年はどんな色になるのかな。お楽しみに。

*2012年元旦の記事より*
2020年の今、8年後の私は、もう”みどり”ですらない。
青と黄色という明るい色だけで、自分を表現できたことを懐かしく思う。
8年の間に、グレーやえんじ色みたいな、あまりパッとは目立たない色も混じったかな。でもね、そんな色があるからこそ人生に味わいが出るってことにも気づいた。夏が秋に変わり、秋には秋の美しさがあるように。


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