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コイケヤポテトチップスのり塩
今朝の寝起きは、コイケヤポテトチップスのり塩味が止まらなくなる夢を見ていた。
子どもの頃、とにかくのり塩味が美味しくて好きで、しかし我が家は貧乏な三きょうだいだったので一人占めはできず分け合って食べるしかなかった。
こんなに美味しい物をいつか一人占めして食べたいと、子どもの頃に強く願ったものだった。
夢の中で、あの頃の気持ちで一人でのり塩を貪り食っていると、終わりには、ポテチの塩とのりが蓄積
カルト宗教が育んだ愛のゆくえ
母親が送りつけてきた宗教本に目を通したら怒りが收まらないので、「特殊な愛を受けて育った子の理想的な成長」についてアイデアをまとめてみたい。
ちなみに、大人になった今でも、半年に一度くらいの頻度で母親にぶっ殺す、と叫び続けたり、実際に殴り殺そうとする悪夢で目覚める大人に成長した。
幼少期からの母親に対する怒りや不信がとくに解決しないまま、そこに蓋をして押さえつけて大人になったので、腐った感情が時
高校時代の、とある先生
個性的な先生というのは当時すでに印象が強いが、卒業後も記憶に残る。自分の年齢がかつての先生の年齢に近づくにつれて、納得できたり理解できたりすることがある。
当然、いつまでもその真意にたどり着けないこともある。
消化されずに心のどこかに留まった先生らの言葉は、時々思い出されては心の中で反芻される。彼らに植え付けられた教育の欠片だ。
私の印象深い先生は、たしか現代社会という教科を担当していた。
体毛から導き出した結論
正直なところ、私は女性の中でかなり毛深い部類に入ると思う。
事実、思春期前の小学校低学年など、まだムダ毛処理の発想もなかった頃には、男子に結構からかわれた。
悔しくて自宅で剃毛するようになったが、十数年前のカミソリ事情はまだ厳しい。
今のように肌への優しさを考慮された安価なカミソリは流通しておらず、一歩間違えると大怪我にもつながりかねない刃むき出しのカミソリ『赤貝』で、剃るか剃られるか
ライブにつまらんプレイを「持たず つくらず 持ち込ませず」が理想
4年前くらいに、当時大好きだった音楽メディアの一般公募企画の中で「ライブハウスについて」的なテーマに応募した時の自分の文章が今でも馬鹿みたいに好きなんです。
そのメディアが気付いたらクローズしていたので、自分のブログで弔います。
これからもいつまでも輝いて。
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ライブにつまらんプレイを「持たず つくらず 持ち込ませず」が理想 ライブハウ
孤独な想いを叫んで有名になった人の行き場
誰かが読みたいことを書くべきなのか、自分が書きたいことは何なのかなどと考えすぎると一生何も書けないので、難しく考えずにふらふらと書いてみたい。
時々、どうなっているのか本人達に聞いてみたくなる。
私は本でも映画でも漫画でも音楽でも、友達が少なそうな、生きづらそうな孤独な人の言葉が好きだ。
そういうものに触れると、ほとんどの他人と繋がれず、孤独で寂しい。生きづらいのは決して自分だけではないのだ
私のお父さんとお母さん
今日は父親の命日なので、父親や母親、私たち家族について記しておきたい。
11年前の今日、若くで患った脳卒中の後遺症として左半身麻痺を抱えて20年生き永らえた父が、他界した。
葬儀を終えるまでの数日間、ひどく暑い日が続いた。
姉と兄は家を出て自活していたが、母と、廃人のような留年大学生の私は最後まで父とともに同じ家で暮らした。
苦労をかけられることしかなかった父の存在であったが、それでも父の
梨泰院クラスへの感動が絶望にもつながっていた
梨泰院クラスという全16話の韓国ドラマを大変楽しく観させてもらった。
ひたむきな登場人物たち。悪役にすら愛すべき点を見出だし、感情移入した。
見終わった瞬間、大きな楽しみが一つ幕を閉じた悲しみがあった。
しかしその奥には、もっと言葉にならない悲しみがあった。自分の受けた悲しみを自覚するのにやや時間がかかった。
悲しくも救いのある素敵なドラマのストーリー。登場人物はみな自分の気持ちに素直に生き
何か突然、夜中に纏めたくなっちゃった感覚
東野圭吾の小説は何冊か読んだことがある。その中で、『手紙』という小説の読後感が印象に残っている。
あの小説は、とある不幸な兄弟の話である。
弟目線から描かれる、憎々しい兄に関する描写。
兄が犯罪を犯して捕まった後、弟は世間から理不尽な扱いを受け、苦労の多い人生を歩む。
その憤りが兄への思いを歪ませ、鋭く尖るばかりだった。
弟はいつも、兄への憎しみに囚われていた。一方の兄は……
全くわからない
祝福される、ということ
3年前の今頃、姪っ子の卒園式に参加したことが時々思い出される。
姪っ子は仕立ての良いブレザーに身を包んでいた。
髪型は姉がセットしていて、まだ毛量の少ない自毛に100円ショップのエクステを足してボリュームを出していた。
完璧ではないが、彼女の毛量、癖をよく理解した人物のセットには素人が決して踏み込めない美しさがあり、見事だった。
姪っ子自身もとても満足している様子だった。
私はその可愛さ
ドラマ『ウォーキング・デッド』の弊害
世の中の人間は、『ウォーキング・デッド』を見た人間と、見ていない人間の二種類に分けられる。
私は前者。
しかし、ウォーキング・デッドというドラマとの距離感は、非常に難しい。
一度観始めると、立て続けに観たくなってしまうからだ。
翌日も朝から仕事に行くのに、夜更かししてまで続きを観てしまう。そんなのは初歩。
ウォーキング・デッドを観る日々が続くと、人の脳みそをカチ割る夢が増える。ひたすら銃殺