ドラマ『ウォーキング・デッド』の弊害

世の中の人間は、『ウォーキング・デッド』を見た人間と、見ていない人間の二種類に分けられる。

私は前者。

しかし、ウォーキング・デッドというドラマとの距離感は、非常に難しい。
一度観始めると、立て続けに観たくなってしまうからだ。

翌日も朝から仕事に行くのに、夜更かししてまで続きを観てしまう。そんなのは初歩。

ウォーキング・デッドを観る日々が続くと、人の脳みそをカチ割る夢が増える。ひたすら銃殺しながら、街を練り歩くようになる。最悪の気分で目覚める。

さらにウォーキング・デッドの世界観に浸り続けると、”抜け“が悪くなる。

午後出社のために駅まで歩けば、どこへ行くでもなく散歩したり、公園で仲間と集ったりしているお年寄りの様子をゾンビと見間違える。

それでもウォーキング・デッドを見続ければ、登場人物の心境が身近になってくる。

どこからゾンビが現れるかわからないシーンにも関わらず、すぐ隣でドラマを一緒に観ている人物が、「腹が減った」だの、「トイレに行きたい」だのと危機感のない発言を繰り返すことが、我慢ならない。

この世界じゃ、ぬるい奴は生き抜けない。

ゾンビだけでなく、自分たちを死に追いやるような危険な思想を持った人間たちが、そこらにゴロゴロ蠢いているのだから。油断できる暇など、ひと時もない。

ゾンビを殺せない、人間だけは殺せない。

そんなことを言ってた人間も、死ぬか、生き抜くために殺すか、どちらか一つしか選べない世界だ。

常に注意を払うべきこの世界で、お腹が減っただの、トイレに行きたいだのと人の注意を削ぐ人間は、いつ他人を危険に巻き込むかわからない、生かしておけない人間なのだ。殺意がメラメラと沸き立つ。

そう、私はウォーキング・デッドを現実に見ていた。

みなさんも、ウォーキング・デッドの連続視聴にご注意を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?