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高校時代の、とある先生

個性的な先生というのは当時すでに印象が強いが、卒業後も記憶に残る。自分の年齢がかつての先生の年齢に近づくにつれて、納得できたり理解できたりすることがある。

当然、いつまでもその真意にたどり着けないこともある。

消化されずに心のどこかに留まった先生らの言葉は、時々思い出されては心の中で反芻される。彼らに植え付けられた教育の欠片だ。

私の印象深い先生は、たしか現代社会という教科を担当していた。

白髪のきのこヘアーで、前髪は7:3に分けられていた。少し大きめのズボンに、これまた少し大きめのワイシャツをしっかりとしまい、サスペンダーで留めていた。

ぽっこりと出たお腹までは隠せていない。

80年代風のフレームが大きい眼鏡をかけていた。穏やかそうなおじいちゃん先生である。

先生の見た目には、今でいう“ゆるキャラ”のような、キャラクター的な可愛さがあった。

そういった見た目がとくに、私の通った女子高の生徒らにとって、どこか小馬鹿にしてしまう要因でもあっただろう。

先生はかつて、大病をされたことがあったらしい。左右どちらかの手に麻痺が残っていた。板書はお世辞にもきれいな字とは言えず、大きく右下がりになってしまう。

何よりも特徴的な後遺症は、発話においてだった。先生は話をしていると、しゃっくりのような引きつけが起きて、語尾に「ネヒ」と聞き取れるような音が混じってしまう。私達は影で、「ネヒ」というあだ名で先生を呼んだ。

先生は腹筋に力が入りづらいのか声量が弱く、掠れていた。その上、語尾に「ネヒ」という謎の音が聞こえてくるものだから、先生の授業を真面目に聴く生徒はほとんどいなかった。

ある友人の報告によれば、40分の授業で113回ほど語尾に「ネヒ」がついていたとのことだった。

こういった若者特有の先生への好奇心は残酷ではあるが、悪意はなかった。先生はそのあたりを理解しつつも、しかし、されるがままでもないのだった。

先生の授業では、よくよく耳を澄まして聞いていると「君達のように無知な人間は…」とか「君達のような若者はロクな大人にならないだろう」などと言った悪口が織り交ぜられていることが多々あった。

誰も真面目に授業を聞いていないことを良いことに、報復していたのである。

先生の青年時代は学生運動の全盛期だったそうだから、そんな先生から見れば、現代の女子高生がロクに勉強もせず、バレないとでも思っているのか授業中に漫画を読んだり携帯を必死に覗いたりする様子こそ馬鹿馬鹿しいと感じたに違いない。

私は、高校時代には勉強への熱意をすっかり無くしていたので上の空ではあったが、先生を応援したいという気持ちは強かった。

先生の影に、病気を患い、仕事ができない心身となった自分の父親の姿を投影させていた。

女子高生に舐められながらも、病気の後遺症を気にも留めない様子で教壇に立ち、ボソボソと生徒らの悪口を言う姿に何とも言えぬ逞しさを感じていた。

ある時の授業では、「早く定年退職がしたい。定年後の生活が楽しみで仕方がない」という雑談を織り交ぜていた。

自分には読みたい本や行きたい場所がたくさんある。定年後にはそれらを思う存分できるので、早く退職したい、とのことだった。

そこには生徒らとの別れを惜しむような哀愁などは一切なく、好奇心と学習欲へのひたむきさだけが感じられた。

先生がとても幸せそうに見えた。

私はひとり、衝撃を受けていた。大人の退屈さや歳を取る惨めさ、病気の悲惨さなどが先生には何一つ感じられなかった。

幼い頃から日々コツコツと積み上げた知識によって、先生は足元から身体を強く支えられていた。

先生が定年退職をする最後の年に、私は先生が副担任を勤めるクラスの生徒だった。

前述のような目線で私は先生を捉えてきたが、先生からどのような生徒に見えるのか、そのことに無関心だったことを突然知った。

先生が担当する最後の生徒としての最終日、担任と副担任の先生二人で、クラスの生徒一人一人に宛てて手紙を準備してくれていた。その手紙には、先生から以下の言葉が書かれていた。



「社会からの信頼を得なければ真の大人とは言えず。恵まれた才能を開花させてください。」





この言葉をもらって10年以上も経つのに、未だに何かを見つけられた実感がない。己を持て余し、真の大人になれずにいる。

先の手紙は手帳に挟んで、時々眺めては戒めとしていたけれど、3年前に酔っ払って手帳ごと無くしてしまった。

それでも、こびり付いて離れずにいる言葉を反芻している。

先生にすがりついて、先生は私の何が見えたのか、問いただしたくなってしまう。

そもそも、先生はお元気なのだろうか。

やわらかな陽のあたる、あたたかな場所で読書を楽しんでおられることを祈る、などと綺麗事で終わらせたい気持ちもある。

先生が生徒に残す言葉というものは、本人の想定よりもずっと重たい。

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