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負け組社員の夢の跡(最終話)

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年収

今回がこのシリーズの最終回です。東京海上の経理部において期末決算の対応が終わり、いよいよ退職月の6月を迎えます。

退職に向けて増大する不安と焦り

3月に転職先の内定を得て、すぐに上司へ退職の旨を通知しました。その後、4月と5月は怒涛の期末決算を迎えていたこともあり、「終身雇用の会社を辞めて、安定を捨てること」について深く考えるヒマもありませんでした。

しかし、期末決算が終わり、考える時間ができてしまいました。


・・・そう、「できてしまった」のです。


人間、ひいては生物全般に「現状維持バイアス」が存在します。ヒトがサルであったころから、できるだけ変化を避けるようにDNAに刻み込まれています。これは、住んでいる山をできるだけ変えずに定住する方が、生存確率が高かったこと等に起因しているのかもしれません。

しかし、サルからヒトに進化し、生命の安全が確保されている現代日本において、この「現状維持バイアス」が逆効果となる場面も多いのではないでしょうか。私の場合、3月の内定から退職届を出すまで間髪入れずに物事を進め、このバイアスが登場する時間も無かったのですが、期末決算の対応も終わり、時間に余裕ができた6月になると、この現状維持バイアスが暴れ出します。

ぼく「えっと、、本当に外資系でやっていけるのかな。英語は全然ダメなんですけど・・・。すぐクビになったりするのかな。上司が怖い人だったら、どうする?」

ぼく「うーん、何だか怖くなってきた。やっぱり、東京海上でヌルく『働かないおじさん』を目指した方がいいかも・・・。今から退職を差し戻しできるのかな、できないよね・・・」

このように、既に退職手続きが進んでいるにもかかわらず、現状維持バイアスの暴走が止まりません。もし、時間を掛けて熟考していたら、弱い自分に負けて、退職に踏み切れなかったと思います。今でも、このバイアスに打ち克つ自信はありません。それくらい強烈でした。

そして、これは退職に限ったことではありませんが、何事もある程度の段階で「えいっ!」と動かしてしまうことが、とても大切だと思っています。世の中では「考えるより行動」と言われますが、これは、DNAに刻み込まれた現状維持バイアスへの対処策として、ヒトが生み出した知恵なのかもしれません。


エンディング(最終出社日)

いよいよ、6月の退職日が近づいてきました。経理部において、6月は次の第1四半期決算(7月~)の準備期間になります。6月末で退職する私は、次の決算の準備がありません。当然ながら、私の居ないところで色々な話が進んでいきます。

このように、不安と寂しさの入り混じった複雑な感情を抱えながら、最終出社日となりました。

様々な思いが交錯しましたが、少しホッとしていました。出世に振り回され、先が見えない暗闇で馬車馬のように働く日々。いつしか私は、心まで会社へ捧げるようになり、心身共に自由を奪われた奴隷と化していました。将来への不安もありましたが、まずはこのような搾取の構図から解放されたことに安堵したのだと思います。とはいえ、新人からお世話になった東京海上。最後はやはり、感謝の気持ちでした。

ありがとう、さようなら。最後は色々あって残念だったけど、それでも東京海上は私の人生の青春でした

駆け抜けるように過ぎ去った15年間。お世話になった人への感謝や、楽しかった思い出が走馬灯のように思い浮かぶけど、それはもう過去の話。

他者からの承認欲求に飢え、出世、ひいては他人の目ばかり気にしていた私。やがて、他人や同期との比較が日課となり、常に自分の立ち位置を確認する毎日。そんな私は、無常にも出世のレールから転落し、アイデンティティの崩壊を経験しました。悔しくて、恥ずかしくて、どうしていいか分からず辛く苦しい日々。状況を打破しようと、私なりに戦略を練って頑張ったけれど、それでも東京海上から突きつけられた「要らない人材」の烙印を消すことはできなかった。

自らの存在価値に疑義が生じ、頑張っても報われない閉塞感と未来が見えない絶望のなか、転職活動を通じて外の世界の扉を開くと、そこには私を必要とする人達が沢山いました。嬉しかった、、、嬉しくて涙が止まらなかった。

東京海上を辞めた日、空の景色がとても青く感じたことを、今でも鮮明に覚えています。「もう出世を気にしなくていいんだ・・・」という安堵感から、心の足取りも少し軽くなりました。

今回の転職は、日本の新卒一括採用・終身雇用システムに対する挑戦でもあったのですが、新卒から長く終身雇用の会社に身を置いていましたので、やはり将来への不安もありました。ただ、そんな極度の不安のなか、それでも前へ踏み出す勇気を持てたことに対しては、今後も誇りを持とうと思っています。

しかし、「この判断が良かった」と思えるかどうかは、今後の私次第。どのような未来になるか分かりませんが、未来に繋がる「今」を大切にして、一生懸命に生きていきます。

「要らない人材」の烙印を押された私が、もう一度、もう一度だけ、外の世界で輝きを取り戻すことを誓い、15年間勤めた東京海上に別れを告げ、新たな一歩を踏み出したのでした。

「要らない人材」の私が、再び輝くことができたなら、またどこかでお会いしましょう。その日まで、さようなら。



(終)


あとがき

就活HPを中心として、世の中には東京海上OBや現役社員のキラキラした話ばかり拡散されていますが、多くの従業員は私のような敗者であり、それぞれが苦悩を抱えながら生きていることを知って欲しかったという思いがあります。

また、情報化社会の進展は著しいですが、それでも就活市場において、企業と個人の間に大きな情報の非対称性が存在します。この情報の非対称性に気付かずに入社をした、多くの損保社員の「私の人生はこんなはずじゃなかった・・・」という悲痛にも似た苦悩や後悔を、少しでも解消したいと考えるようにもなりました。そういった意味では、未だかつてない、異例のnoteだったのではないでしょうか。

そして、いつもnoteやTwitterに「いいね」を押してくれる方々、本当にありがとうございます。皆様の後押しがあったから、毎週土曜の18時に向けて「noteを書かなくっちゃ・・・」との使命感を得て、今日まで続けることができました。

残念ながら、日本において出る杭は打たれます。徐々にこのnoteが注目されるようになり、批判的な声も聞こえたのですが、「まぁ、そんな意見もありますね(笑」と流せるくらいに、私自身も少しは成長したと思います。好きの反対は「無関心」なので、「批判するということは、何だかんだで俺に興味あるんじゃん・・・」と考えるようにもなりました。これは、他人の目ばかり気にしていた東京海上時代の私と比較をすると、少しは精神的なゆとりが生まれたのかもしれません。

とはいえ、ここはオープンなネット社会。不用意なことを書いて炎上することは怖かった。書き上げた文章を、何度も何度も推敲して「この表現は大丈夫か、これだと何を言っているか分からない、ここは過激に書かないと価値が無い、これは『てにをは』が変だ、この専門用語は意味が通じない・・・」等、書き終わってからも気が抜けません。これは大企業病なのか、元々の性格なのかよく分かりませんが、とにかく大変でした。

そして、出世のレールからの転落を通じて、多くの学びを得ることができました。特に「働くことは何なのか」をこれほど真剣に考えたのは初めての経験でした。マルクス「資本論」によれば、「労働によって人間は自己を実現し、人格を成長せしめるから、労働は正当な生命活動である」と言っています。しかし、資本の暴走により、「やがて、労働は搾取の手段に変わり、資本への苦役となる」とも主張しました。

この点、日本経済は30年以上も「失われた」状態にあり、自動車保険を主な収益源としている東京海上も例外でありません。衰退が止まらない伝統的な日本の大企業においても、マルクスの唱えた「労働の搾取」といった世界観が、実現しつつあるように思います。私が在籍していた東京海上を例に挙げると、「女性(一般職)の活躍」による人件費の削減や、度重なる給与テーブルの引き下げの一方で、出資者に対する株主配当は毎期増配を続けています。これらは、マルクスが唱えた世界観(今日的にはピケティの「r > g」とも言えます)の表れだと思えてなりません。

このような状況を踏まえると、日本型終身雇用の会社に蔓延する「会社に忠誠を尽くす」という、封建時代から続く「御恩と奉公」の価値観に、限界が来ているのではないかと考えています。

今回のnoteの執筆を通じて、私自身も多数の気付きがあり、今後のキャリアを改めて見直す契機になりました。とはいえ、いつまでも過去を懐かしんでいては、未来につながる「今」を浪費してしまいます。東京海上で経験をした、過去の挫折や苦難を笑いのネタにして、目の前の「今この瞬間」をしっかり生きていきたいと思います。

このnoteが、多くの会社員や就活生の方々のお役に立てば、とても嬉しく思います。また、お時間がある際にでも、このnoteを最初から「一気読み」してみてください。ひょっとしたら、何かの気付きがあるかもしれません。

今後も不定期でnoteを書こうと思いますが、このシリーズは終了となります。これまでご愛読いただき、ありがとうございました。

2021年11月27日
やなぎ

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