記事一覧
【時評】黙示・シネコン・絶望──『ボーはおそれている』および「映画」への怖れについて
(画像引用元:https://youtu.be/XrCg9G_OHAA?si=jGRtkQogFGxclDq3 ) 物語を成り立たせるもの。それはしばしば「工学」にもなぞらえられるほど精緻で隙のない構造・類型…
【時評】ツギハギたちの憂愁──『哀れなるものたち』によせて
(記事サムネイル画像引用元:https://youtu.be/kl0lv3IVCzI?si=CaRN6wFk-uZiiFjQ) 成熟。それは近代市民社会を通貫するタームであり、個人の実存に分かちがたく食い込ん…
【リスト】城輪アズサ・文フリ東京38寄稿一覧
タイトルにあるように、5/19に東京流通センターで開催される文学フリマ東京38に際して、僕(城輪アズサ)が、いくつかの批評同人誌に寄稿した原稿を紹介していきます。ライトノベル、アニメ、少年漫画……。10代のころに触れていたコンテンツを中心に、幅広く書かせていただきました。
神戸在住者ゆえ(というか、学生特有の金欠のゆえ)今回当日の参加はできないのですが、行かれる方のご参考になればと思います。
【散文】「ゴジラ」と批評のエア・ポケットについて──アカデミー・ミレニアム・怪獣特撮
今日(2024.3.11)、米アカデミー賞の全部門における受賞者・受賞作が発表された。日本からは宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』、そして山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』がそれぞれアニメーション部門、視覚効果賞を受賞し、とりわけ後者は、スタンリー・キューブリック以来となる監督・VFX兼任の監督作が受賞したことによって「快挙」と評されていた。
キューブリック、あるいはスピルバーグ。そうした固有名
【時評】黙示・シネコン・絶望──『ボーはおそれている』および「映画」への怖れについて
(画像引用元:https://youtu.be/XrCg9G_OHAA?si=jGRtkQogFGxclDq3 )
物語を成り立たせるもの。それはしばしば「工学」にもなぞらえられるほど精緻で隙のない構造・類型だ。なればこそ、批評家はそこに精神分析的な視座を持ち込むことができた。構造体としての物語を、解体することなくつなぎ直すこと。そこに、提示されたものとは異なった仕方の秩序を見出すこと。それは
【時評】終わらない楽園のための賛歌──『仮面ライダー555 パラダイス・リゲインド』と20年を駆ける本能について
1.ゼロ年代における『仮面ライダーファイズ』
「仮面ライダー」は、しばしば「仮面」をめぐる物語を展開してきた。
仮面。正体を文字通り覆い隠し、装うことを可能にするレイヤー。それは外的現実に介入するための武装である以上に、その正体を、内にあるものを秘匿するための膜であり、そしてそれゆえに、仮面ライダーという実存は常にいま・ここの現実から半歩遊離した存在として機能していた。
いま・ここの
【時評】ツギハギたちの憂愁──『哀れなるものたち』によせて
(記事サムネイル画像引用元:https://youtu.be/kl0lv3IVCzI?si=CaRN6wFk-uZiiFjQ)
成熟。それは近代市民社会を通貫するタームであり、個人の実存に分かちがたく食い込んだ生臭く、重苦しいミームの一つだ。
子どもから大人へ、未熟から成熟へ。発達というもの、個人の身体が被る宿命的な変化というものを、科学の原理・規範の原理へと回収せしめんとする欲動。それが
お手本にしてる批評三選
こんな記事があったので自分も書いてみることにする(元記事は同人が中心だけど、長らく商業しか読んでこなかったので、ここではそっちがメインになるかも……)。
1.伊藤計劃『侵略する死者たち』&その他
見出しにした『侵略する死者たち』はユリイカのスピルバーグ特集に寄稿されたもの。個々の作品をノードとして、座談会などを引きつつ、ゼロ年代スピルバーグの映画を通貫するテーゼについて検討していくもの。
【散文】「ナタ」から遠く離れて──『ナタの時代、あるいはデスゲーム的リアリズム』によせて
雑誌(『S-Fマガジン2022年2月号 特集・未来の文芸』)自体は所持していながらずっと読めていなかった江永泉『ナタの時代、あるいはデスゲーム的リアリズム』を読んだ。
ここにおいて筆者は、時間と空間を超えて幅広いフィクションを参照しつつ「どうしようもない状況」と、それを打破するものとしての(観念的な)「ナタ」との相剋を描き出す。それはある時は魔法であり、ある時は銃であったが──やはり最後には
Folklore:Eastern Dream──《東方project》批評のためのおぼえがき
はじめに
東方project。東方。そう呼ばれるコンテンツが存在する。
フリーのゲームクリエイター「ZUN」氏により2002年から(前身であるところの「旧作」シリーズも含めるなら1996年から)開始されたこのプロジェクトは、単なる一同人ゲームの枠組みを遥か飛び越え、クリエイターとプレイヤー、アマチュアとプロの境界を絶えず攪乱しながら、多種多様な欲望・想像力を取り込みながら肥大した。