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アスリートのセカンドキャリア・デュアルキャリアと日本の年功序列社会の最悪の相性

アスリートのキャリアは度々問題になるし、このアカウントでもたびたび取り上げている。これについて社会の仕組みから見ていくと、特に日本ではセカンドキャリアと年功序列は最悪の相性であることが分かる。以下詳しく見ていきたい。

日本社会は年齢・年次で規定されている

日本社会では、敬語に代表されるように、1歳年上・年下なだけで先輩・後輩と話し言葉まで変える傾向がある。後輩は先輩の荷物持ち。組織としては違ったとしても、日本人の文化的な側面であるためにこの構造が変わるのには文化が変わるほどの何十年という時間が必要となる。同時に〇〇歳くらいであったら、こういうことをしているはず、という暗黙の予想が根底にある。

基本的に飛び級も留年もないまま、12歳まで小学校、15歳まで中学校、18歳まで高等学校に通う。その後の社会でもこの延長である。日本社会では様々なものがこの仕組みの上に成り立っている。スキルやロールではなく、組織に長くいたほうが偉い傾向が強い。

今までやっていたことを辞めて、新たに始める際には、日本では特に年齢が厄介なことになる。この点から、何もなく比較的高齢になった状態から、セカンドキャリアを始めるのは非常に難しい社会である。

結果としてスポーツを引退した30代の人々は30代フリーターのようになりがちである。

更にスポーツ推薦やプロ・実業団のようになると、スポーツだけで進路を切り開くことに成功体験があるので、引退後は余計にどうしていいかが分からなくなってしまう傾向にある。

ひとつのものに集中することが美徳とされる社会

日本では「この道一筋何十年」のように、途中で変えたり、同時並行的に進めるのではなく、一つのことだけに集中し長く続けることが美徳と考える傾向がある。この状態では副業やデュアルキャリアは嫌われる傾向にあるのは無理もない。

しかし「スポーツだけに集中」というのは引退した直後に株価が暴落する粉飾決算の株のようなものである。「その時はその時だ!何とかなる!」という考えを持ちがちであるが、実際に何とかなるのは一握りどころか一つまみレベルである。そういうあるスポーツ、特にメディアが持ち上げるスポーツを代表する顔レベルの人材にならない限りは、キャリアに対しても入念な対策が必要となる。

セカンドキャリアとデュアルキャリア

上記のように一般的に日本の文化と社会構造としてセカンドキャリアにも、デュアルキャリアにも、両方とも懐疑的である。年功社会とセカンドキャリア、副業とデュアルキャリアが対応する。しかし、どちらかはやらないとアスリートは引退後は生きていくな、と言われているようなものではないか。

ここで考えるべきは、究極どちらの方が日本人は寛容か?という状態である。

年功:「先輩のメンツをつぶすなんてけしからん」
副業:「ひとつのことに集中しないだなんてけしからん」

はどちらの方が強い概念だろうか?

おそらく年功の方がまだまだ強いだろう。副業は解禁され始めている一方で、日本で先輩や年長に「先輩って仕事できないし、何やってもダメですね。邪魔なんで、どいておいてください」とはまだまだ言いづらい社会だろう。そもそも、この例でもまだ「ですます調」である。

部活で試合に出ている後輩が、試合に出ていない先輩に「お前水汲んで来いよ」と言える日々はまだまだ遠いことだろう。陰口を言うくらいで表立ってはまだまだ遠い印象である。

ということはセカンドキャリアとして新たに取り組むよりも、デュアルキャリアとして並行して取り組む方が、日本社会におけるこの点から言っても合理的であるといえる。

では、どうやればいいのか?というのは他の記事でも多数取り上げている。社会の仕組みとアスリートのポテンシャルを生かす最も効率が良いのは「勉強を捨てないこと」である。

終わりに

上記のように日本社会ではセカンドキャリアと年功序列の考えが、最悪の相性であることが分かる。

もちろん社会の構造がおかしい!というのは自由である。しかしながら何十年何百年もかけてできてきている文化や構造を個人が変えるのはほぼ不可能である。だったら、上記のような構造を理解した上で、個人がどうできるか?を考えるほうが理にかなっているのではないだろうか。

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